第7話 帰り道

 図書準備室にはなんだかんだ長居して、時刻はすでに17時に差し掛かろうとしていた。もうすぐ隣の図書室も閉まるということで、藤井とさすがにそろそろ帰ろうという話になった。


 「これどうしよ」


 藤井は持ってきた電気ケトルに目をやってそう言った。

 どう考えたって図書準備室に電気ケトルがあるのはおかしい。しかしその電気ケトルが比較的古いものだからなのか、完全に異物として浮いているわけでもなかった。なんならやけに図書準備室に馴染んでいた。


 「持って帰るの面倒だよな」

 「そりゃそうだよ。見かけによらず結構重いし」

 「なら置いていくしかない。また近いうちに使うこともありそうだし」

 「ブタメン食べるの?」

 「さーな。次はコーヒーでも作って飲んでるかもしれない」

 「完全に秘密基地にしようとしてるじゃん」

 「藤井にだけは言われたくない」


 図書準備室に訪れるのはこれが最後という雰囲気はまったくなかったので、俺は何食わぬ顔で電気ケトルをここに置いていくと提案したのだった。しかしよくよく考えてみればかなり大胆な提案だったのかもしれない。


 「さすがに堂々と置いていくのはまずいか」

 「そうだね。どこが隠せるような場所があればいいんだけど……」


 俺たちは図書準備室を見渡して電気ケトルをうまく隠せそうな場所を探す。


 「……あそことかどうだ、机の下に山積みになってる本の後ろ」

 「いいね、そこにしよう」


 そして藤井は電気ケトルを俺が指示した場所へ移動させた。そうすると見事に電気ケトルは見えなくなった。


 「よし、これで問題ない」

 「電気ケトルがある場所にしては不自然すぎるけどね」

 「そんなの今更だろ。ここは図書準備室なんだから、どこに電気ケトルが置いてあったって不自然になる」

 「それもそうだね。……じゃあ事も済んだし、帰ろっか」

 「おう」


 それから俺たちは廊下に誰もいないことを確認してからそっと図書準備室を後にした。もちろん鍵は開けたままだ。


 廊下はすでに日中の明るさを失ってすっかり薄暗くなっていた。

 やがて階段に差し掛かると暗さはより一層深まり、足元をちゃんと見て降りなければ足を踏み外してしまいそうだった。


 「気を付けろよ、暗いから」


 俺はつい、そう声をかけた。


 「大丈夫だよ、小さい子どもじゃあるまいし」


 ……が、その時。


 「……ひゃっ」


 俺の注意がかえって藤井の注意力に隙をつくってしまったのか、藤井は見事に足を階段から踏み外して前によろけた。藤井は反射的に少し前を歩いていた俺の肩に寄りかかってきた。


 「ちょっ、あっぶなぁ……」

 「ご、ごめん……」


 藤井は俺の肩を持ちながら体勢を整えると、今度は黙って、そっと階段を降りて行った。


 ようやく階段を降り切ると、西から夕陽の陽射しが差し込んできて、辺りは一気に明るくなった。俺たちはそのまま校門へと向かう。


 「夕陽、綺麗だね」

 「……あ、ああ。そうだな」

 「…………」

 「…………」


 校門に向かうまでのわずかな道のりで会話が途切れてしまった。俺はどちらかといえば黙っていた方が気楽なはずなのに、この時ばかりはどうにか次の言葉を探していた。


 「次は——」

 「また——」


 意を決して次の言葉を発したと思ったら、なんとそのタイミングが藤井と完全に重なってしまった。

 結局、藤井が「どうぞ」と言って譲ってくれたので、俺は気まずさを感じながらも再び口を開く。


 「……いやその、次はいつ、図書準備室に行く予定なのかなぁと」


 俺が言うと、藤井の顔が少し綻んだ。


 「私も今、同じようなこと言おうとしてた。……また近いうちに、一緒に図書準備室行こうよって」

 「そ、そうか。俺はいつでも行くけど」

 「ほんと? やった」

 「……なんなら来週からテスト週間だし、図書準備室にこもって勉強するのもありだな」

 「それいい! そうしよそうしよ!」

 「じゃあそういうことで決まりだな」

 「うん!」


 藤井は笑顔で頷いてくれた。そんな様子を見ていると、俺もつい、顔を綻ばせてしまう。


 そんなこんなしているうちに俺たちは校門を通り過ぎていた。校門を出て公道に差し掛かるところで俺たちは立ち止まる。


 「川瀬は駅まで歩き?」

 「ああ。藤井はバスか?」

 「うん。……じゃあここでバイバイだね」

 「そうだな。……今日はなんというか、楽しかったよ」

 「私も楽しかった。ありがとね、付き合ってくれて」

 「こちらこそ。……じゃあまた来週」

 「うん、また来週」


 そして俺たちは別々の方向へ歩き出した。


 少し歩いたところでなんとなく後ろを振り返ってみると、もうそこに藤井の姿は見えなくなっていた。俺はふと、バス停にたたずむ藤井の姿を頭に思い浮かべるのだった。

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