レモンティーは恋の味
今も昔も、レモンティーは恋の味がした。
今も昔も、恋に落ちた時、口にしていた。
でもまだ、砂糖を入れないとそれは苦い。
*
コポコポと沸き立ち始めるお湯の音を背に、美都は棚に並んだ缶を1つ取る。アールグレイの爽やかな香りを吸い込み、ティーポットに茶葉を落として沸騰したお湯を注ぎ込んだ。カタンと3分の砂時計をひっくり返した時、遠い記憶の後ろ姿が脳裏を横切る。
「生まれ変わったはずなのに、変わってなかったなぁ……」
ピンと真っ直ぐに伸びた背筋は、彼女の生き方をそのまま表しているようだった。誰にも揺さぶられず、誰にも曲げられず、ただひたすら自分を貫く。かっこいいだけでは言い切れないような、そんな生き方に憧れたものだ。
その背中はさおりとなっても変わらずにいた。
「ホッとしたよね。だから、勝手に思っちゃったんだ」
前の私を覚えているって。
キュッと唇を噛む。魂は間違いなく彼女だと告げていた。高い位置でまとめていた黒髪がショートカットになっても、白いカフェシャツがグレーのパーカーになっても、孤高という名の鎧を纏った空気は変わらない。いつも傍で見て、感じていたものだった。
さらりとレモンイエローの砂が落ちきる。ティーカップを温めていたお湯を捨て、ポットを傾けた。純白の陶器がボルドーの液体で満たされていく。ふんわりと広がった香りに、美都は肩の力を抜いた。緩やかに口角が上がるのを感じる。
「アールグレイは柑橘類のベルガモットで香りづけされているフレーバーティー」
だからレモンを入れてもそこまで喧嘩しないの。
こじんまりとしたキッチンで振り返った彼女は得意げに言った。
キャンディとかニルギリとかって普通のスーパーじゃなかなかないでしょ。味はだいぶ違うだろうけど、手軽においしくできるっていう意味でアールグレイはとても便利。加えて、これはアイスでもミルクティーでもストレートでも楽しめる。結構優秀だと思わない?
「でも私はレモンティーしか飲まないつもりよ」
記憶の中の自分と同時に美都は言う。生まれ変わる前も後も、それ以外を作ろうと思ったことはない。
そっと薄くスライスしたレモンを紅茶に浮かべる。香りが移ったところで素早く引き上げた。ボルドーがキャラメルに近い明るい色へと変わっている。
レモンを入れると紅茶の色が薄くなるのは、紅茶の色素がレモンの成分に反応するからなんだって。詳しい名前は忘れちゃったけど。
「テアフラビンっていうポリフェノールがクエン酸に反応するからだってさ」
彼女の話が忘れられなくて、小学校の自由研究で題材にしたのは内緒。好きなものを語る彼女の輝いた目に惚れたのも秘密。知るのは自分とレモンと紅茶だけでいい。
「苦い……」
舌先に乗ってまず感じたのは渋み、喉元を過ぎる頃には苦味が残った。角砂糖のビンを開け、1つ2つと落としていく。ティースプーンでかき混ぜながら、美都は自身が恋に落ちたあの味を思い浮かべた。
最初にレモンの風味が鼻の奥を通り過ぎる。口の中で液体を留めて感じるのは仄かな甘みと渋みのない紅茶の味。やがてレモンと紅茶が手を取り合って、ワルツを踊るかのように降下していくのだ。
彼女の作るのは不思議と甘いレモンティーだった。その甘さが好きになり、やがてそれを作る後ろ姿に恋をした。
「あのレモンティーも苦かったなぁ」
さおりが頼んでくれたレモンティー。美味しかったけど好みの甘さではなかった。だからガムシロップを溶かした。
惚れた恋の味には程遠いはずなのに、なぜか舌に残ったのを思い出す。もう1つの恋の味と言いたくなったほど。
それでも思うことはただ一つ。
「人生は甘くないってことか」
西洋では、レモンはよくないもの、上手くいかないことって意味もあるらしいよ。だから、人生がレモンという試練を与えたなら、砂糖を入れてレモネードにしてしまえってことわざもあるんだってさ。
その話を最初にしたのは自分か彼女か。今となってはわからない。朧気になってしまうくらい他愛ない切り出しだったのだろう。
美都にとって、今がまさに人生にレモンを与えられた状況だ。そのレモンをどうするかなんて、ずっと前から決めている。
「When life gives you lemons――」
恋の味になれなかったレモンティーを飲み干し、美都はその続きを口ずさんだ。
*
When life gives me lemons,I don't make lemonade.
I'll give it to you to make my favorite sweet and delicious tea with lemon.
――人生がレモンをくれたとしても、私はレモネードなんて作らない。あなたにそれを渡して、私の大好きな甘くて美味しいレモンティーにしてもらうわ。
人生はレモンで運命はカレイドスコープ 紅野かすみ🫖💚 @forte1126
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