人生はレモンで運命はカレイドスコープ

紅野かすみ🫖💚

カラリ、カランコロンーー

「ずっと貴女を捜していました」

 微かなレモンの香りが運んできた3年前の夏を、さおりは昨日の事のように思い出す。カラリ、カランコロン――運命が転がる瞬間の音がした。


 *


「私、櫻木美都っていいます」

 アスファルトをじりじりと焼いている夏の日差しを横目に、冷房のよく効いた大学のカフェテリアで日替わり定食を食べているときだった。さおりの鼻腔を微かなレモンの香りがくすぐり、耳当たりの良い鈴の音が耳を通り抜ける。

 声の主は陶器人形のような美少女。白いワンピースにカナリーイエローのレースカーディガンを羽織ったその小さな身体を、腰まであるココアブラウンの髪がふわりと包んでいる。さおりの前に座った彼女は唐突に自己紹介をし、そして言った。


「ずっと貴女を捜していました」


 くっきりとした二重瞼の目を見開き、美都はグッとさおりに近づく。どこかワクワクしているような、何かを確信しているような、そんな眼差しを向けている。さおりの持っていた箸から、鮭の切り身がポロリと落ちた。

「へ?」

 味噌汁がはねる音ともにさおりはたった一言を紡いだ。ハスキーボイスがさらに掠れた、さおり自身も引くような声だった。

 いきなり現れた美少女に驚いたのも理由だが、さおりがそんな声をあげる羽目になったのは言葉の方だ。

 ズットアナタヲサガシテイマシタ。

 声にはならず、その復唱も口の動きだけ。さおりはまじまじと美都を見つめ返した。

「記憶が蘇ってからずっと、あなたの事を捜していたんです」

「は? どゆこと? 最近記憶喪失から回復した生き別れの妹とか何とか言う気じゃないでしょうね?」

「違います。私と貴女は前世で恋人だったんです!」

 言葉にならない奇怪な声で悲鳴のような叫びをあげ、ガタンと椅子が倒れる勢いでさおりが立ち上がる。バッとカフェテリア中の視線が2人に向いた。さおりは美都の手を引き、俯いたまま駆け足でその場を後にする。黒いショートカットの間から覗いた耳は赤らんでいた。

 後にも先にも、これほどの羞恥を抱いた経験はなかったとさおりは後に語る。


 *


「で、さっきの話はどういうこと?」

 灼熱の中、色白な美都と話すは些か気が引けて、さおりは大学近くの喫茶店に駆け込んだ。冷たいレモンティーを2つ頼み、日の届かない奥の席に座る。レモンティーを一口啜って、さおりは美都に話を促した。

「私、前世の記憶があるんです」

「……あっそう」

「あれ? 今度は驚かないんですね」

「さっきので十分驚いたからね。もうキャパオーバー。叫ぶ気力もない」

「なるほどです」

 美都はレモンティーを啜り、眉をひそめると、クルリとガムシロップを入れた。ゆっくりと沈み溶けていく様子を眺めながら、美都は再び口を開く。

「今の名前聞いてもいいですか?」

「今のって言い方はやめてね。まだ認めたわけじゃないから」

 ほっと一息ついて名乗った。

「中園さおり」

「相変わらずいい名前」

 くふっと笑って美都はレモンティーを飲む。その動作をさおりは静かに目で追っていた。

 美都は1つ1つの動作が可愛らしく映る。ストローを細い指で押さえるのも、物思いにふけるようにグラスの中を見つめるのも。可愛いとはかけ離れたところにいる自身には似合わないもの。同じ女なのについ惚れてしまいそうになる。

「さおり……さんは今いくつですか?」

「20歳。3年。そっちは?」

「15歳、高1です」

「ふーん。中学生かと思った」

「あ〜よく言われます。そんなに子どもっぽいかな」

 レモンティーを飲み干し、グラスに残った氷をカラカラ回しながら美都は言う。やや幼く見える顔立ちをしていることと無邪気そうな性格、オーバーリアクションとも取れるような仕草が、余計に彼女を子どもっぽく見せているのかもしれない。

「てことは5歳差かぁ。前と一緒だ」

「ねぇ、その前の……前世の話を聞かせてよ」

「……何も思い出しませんか」

 恐る恐るといった調子で美都は上目遣いにさおりを見る。掻き回されることを止められた氷たちも沈黙した。

「うん」

 静かに、その沈黙を壊したくないかのように、さおりは小さく頷いた。

「残念だなぁ。会ったら思い出すかと思ったのに……」

 少し震えた明るい声で美都は言い、グッと伸びをして立ち上がる。テーブルにメモ帳の切れ端と小銭を置いた。

「これ、私の連絡先です。私から詳しく話すことは……今はできません」

 突撃してごめんなさい、ありがとうございました。ぺこりと一礼し、足早にさおりの横を通り過ぎる。


 レモンティー好きなこと知ってたのにな。


 涙声で呟かれたか細い一言は、さおりの耳に沈みゆくように残った。

 美都に尋ねることなく、さおりはレモンティーを2つ注文した。まるで彼女の好みを知っているかのように。



 カラリ、カランコロン――喫茶店のドアベルが鳴った。

 カラリ、カランコロン――氷が溶けてグラスにぶつかった。

 カラリ、カランコロン――瞼の裏で小さな筒が転がった。

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