第71話 拠点を得て

 神国の白の都のつくりは坂に沿って通りがある。建物が皆海を向いているのは海からやってくるものを眺めるためのようで、どの建物からも海が見えるように窓があった。


 カーヤに案内された住処は、神国の中心からやや海側寄りの小さな空き家だった。一階が居間と水回りで、二階が寝室といった、狭く単純なつくり。エクトルだけならそれで十分だったが、ミリーナと二人で暮らすには手狭だった。


 それでも数日間だけなので、ミリーナには我慢してもらうよりほかはない。


 ミリーナは不満こそいわなかったが、しばらく使われていなかった空き家に入ってすぐ、そのホコリ臭さに鼻を押さえた。


「掃除をしないとダメね」

「俺が出ているあいだ、頼んでもいいか?」

「わかった」


 エクトルが踵を返すと「エクトル」と急に引き留められた。


「なんだい?」

「気をつけてね? ここ、なにか……すごく変。この町に入ってから、空気がさらに重たくなった気がするの……」


 ミリーナの気のせいではないことはエクトルも十分に理解していた。


「ああ。ミリーナも気をつけてくれ。いざとなったら——」

「うん……そのときは、力を使う」

「それでいい。なりふり構うな」


 それだけ言い残して、エクトルは家を出た。それから、表に待たせていたカーヤと合流すると、三番目の代表者の屋敷へと向かった。


 その道すがら、カーヤがそれとなく口を開いた。


「……変わりましたね」

「ん?」

「あなたの顔です。以前よりも柔らかくなりました」

「前はどうだったんだ?」

「話しかけるのも躊躇われました。今は——」

「よせ。敵がどこに潜んでいるかもわからない」


 エクトルは遮った。内心を探られるのは本意ではないといった風だった。


「君はいつから世間話に興じるようになった?」

「……そうでしたね、すみません。ただ、これだけは伝えておきたくて」

「なんだ?」

「今のあなたのほうが、過去のあなたよりもずいぶん立派に見えます」


 そういうと、カーヤは口を閉じたままエクトルを屋敷まで案内した。




 三番目の代表者の屋敷は門扉があり、それなりに大きなつくりのようだが、主人を失ったためか、ひっそりと佇んでいるようにも見える。


 構わずに、エクトルとカーヤは家人に声をかけた。そのメイドの格好をした若い女は、急に見知らぬ若い男と戦神アレスの神官がやってきたので、戸惑う顔をした。


「すまない。俺はエクトルという」

「エクトル様?」

「こっちはカーヤだ」

「ああ、盲目の……し、失礼しました!」


 メイドは慌てたが、カーヤはなんでもないといった風に微笑んでみせた。


「検分と、お悔やみに参ったのです。奥様はいらっしゃいますか?」

「はい……ですが、奥様は憔悴しきっていますので、その……」

「お願いします。今回の事件を調べているのです」


 メイドは小首を傾げた。


「それなら、もうすでに検分に来られた方々がいますが……」

「どちらの方々でしょう?」

「聖騎士団の……」


 カーヤはピクリと反応したが、動揺を表に出さないように努めた。


「その方々の名前は?」

「お一人だけ、エルフィン様と名乗っておられました」

「……ありがとうございます。念のため、我らアレス信教にも調べさせてはいただけないでしょうか?」

「わかりました……奥様に訊いて参りますので、こちらでしばらくお待ち下さい」


 そういって、メイドは屋敷の中に引っ込んだ。


「聖騎士団、エルフィン……知り合いか?」

「聖騎士団の隊長です」


 聖騎士団は神国の軍隊の中枢、一番位が高い精鋭の集まりだ。そこが出張ってきたとなったら、三番目の代表者が亡くなったことが都民に知れ渡り始めたということだろう。


「放っておいていいのか?」

「おそらくは……いよいよ混乱が都民のあいだで広がり始めたのでしょう。事態を掌握し、すみやかに収めたいのだと思います」

「解せんな……」


 エクトルはつぶやくようにいった。


「アレス信教と足踏みが合っていない。向こうは向こうで勝手に動き始めたとでもいうのか?」

「わかりかねますが、おそらくそうでしょう」

「協力は?」

「ありません。彼らは信徒ではありますが、プライドも高い人たちなので」

「それは厄介だな……」


 エクトルは静かに物事をすすめるつもりだった。しかし、目立つ連中が動き出したとなると、そちらに見つからないようにしながら事を運ばなければならない。


 下手に先回りすれば目立ってしまうし、後追いすれば解決の糸口がなくなってしまうかもしれない。そのことを恐れて、一つカーヤに提案した。


「アレス信教はもう手を引くことはできないのか?」

「そうしたいところは山々ですが、できない事情があります」

「なんだ?」

「次の大教皇選出にあたり、アレス信教の大神官様が出るつもりなのですが……」

「……くだらない。そのための手柄取りか」


 エクトルはつまらなそうに上を向いた。


「ですが、残された最後の穏健派でもあります。残り二人の改革派は、諸外国との貿易を盛んにしたり、軍備を拡張したりして、この国をべつの方向へと導こうとしております」

「時代の変遷に付き合うことにしただけだ。世界情勢を知らないわけでもあるまいし……」

「ですが、神国はそれでも長きにわたり繁栄してきました。この国を変える必要はないし、むしろ国内の安寧を重視するというお考えには、私も賛同いたします」

「見解の相違だな、それは……」


 そんな話をしていると、メイドが急いでやってきた。


「奥様がお会いしたいと。こちらへどうぞ——」


 エクトルとカーヤはメイドに案内されて、屋敷の中へと入った。

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