10 『瀬戸くん』

 翌日日曜日。体調がすぐれないという月乃さんの為に、あまり早朝ではない時間に虹川の家へ行った。

 門で名乗って玄関まで通されると、月乃さんではなく、虹川会長が出てきた。


「瀬戸くん」


『瀬戸くん』? 今までいつも『征士くん』と呼ばれていた。


「……あの、月乃さんは?」

「月乃は今、体調が悪くて眠っている」

「せめて、お見舞いだけでも!」


 眠っていても顔くらいは見たい。あの優しい顔が見たい。


「すまない。本当に体調が悪いんだよ」


 虹川会長から、頭を下げられてしまった。

 でも、ここで引くわけにいかない。


「じゃあ何で、いきなり婚約解消なんですか!? 理由を教えてください!」


 虹川会長は困り顔になった。


「理由は瀬戸くんが……一番わかっているんじゃないかな」

「わかりませんよ。意味がわからない! 最初に言っていた資質とやらが、僕にはなくなったんですか!?」

「いや、資質は瀬戸くんが一番だ」


 ますます理解不能。段々恐慌状態に陥る。


「資質があるならどうして! 教えてもらえるまで帰りません!」

「……今までうちの事情に巻き込んですまなかった。これからは、きみは自由だ。好きなように生きるといい」


 また、頭を下げられた。


「事情を……!」

「もう跡取りでないから、来なくていいんだ。本当に申し訳なかった。ご両親にも謝ってくれ。慰謝料はいくらでも言い値で払う。お父さんの勤務先で困ったことがあっても、必ずフォローする。頼む。もううちには来ないでくれ」


 家から追い出されてしまった。

 事情も何ひとつ、わからなかった。

 理由は僕が一番わかる? 何も、わからない。

 僕は道端で、強く唇を噛み締めた。


 ♦ ♦ ♦


 月曜になって登校しても、頭の中が真っ白なまま。

 誰かに話しかけられた気がするけど、何て答えたかもわからなかった。

 授業中も一応教科書は出しているけど、出しているだけだ。読む気になれない。

 授業が終わると、僕は教室を飛び出した。今日は月乃さんのサークル活動がある日だ。大学のテニスコートへ行ってみよう。



「ごめんね、瀬戸くん。月乃ちゃん、今日お休みなの」


 コートで、月乃さんの仲良しの友達の神田玲子先輩に、そう言われた。


「……お休み、ですか?」

「うん、お休み。電話したんだけど、携帯の電源が切られているみたいで……。今日は必修の語学講義もあったんだけどね」


 神田先輩の言葉に肩を落とした。

 明日、出直そう。

 もう一度月乃さんへメールを送りながら、そう思った。



 次の日は大学の門の前で待っていると、神田先輩に声をかけられた。


「瀬戸くん。今日も月乃ちゃん、お休み。月乃ちゃんの好きな能楽の講義があったんだけど、それも出なかったみたいで……」


 必修講義も、好きな講義も出ない? そんなに体調が悪いのだろうか。

 次の日もテニスコートへ行って、神田先輩に尋ねた。やはり休みだった。

 木曜になると、神田先輩が気の毒がって、メアド交換をしてくれた。月乃さんが講義に来たら教えてくれると約束してくれた。

 万が一、マナーモードにしていて気付かないと嫌だから、メール着信音は鳴るように設定した。

 金曜の現国の授業中、メール着信音が鳴った。授業中だけど慌てて読む。神田先輩からだった。月乃さんが今、ゼミの講義を受けているらしい。

 携帯を持って、急いで教室を出て、教えてもらったゼミ室の場所へ向かった。



 大学のゼミ室の前で、ひたすら待った。大学生達は制服姿の僕を胡乱げに見ていたけど、構っていられない。

 ゼミが終わったようで、次々に学生達がゼミ室から出てきた。

 遅れて、一番最後に月乃さんと神田先輩が出てきた。

 月乃さんの顔色は、若干悪い。


「月乃さん!!」


 僕は叫んで、呼び止めた。


「……瀬戸くん? 授業はどうしたの?」


 また『瀬戸くん』だ。どうして名前で呼んでくれない。


「神田先輩に月乃さんが来ているってメールもらって、抜け出してきました」


 神田先輩は、月乃さんへ申し訳なさそうに俯いた。


「それより、月乃さん! 婚約解消ってどういうことですか?!」


 月乃さんを含めて、周り中が驚いたようにこちらを見た。

 僕には関係ない。


「せ、瀬戸くん。もっと声を小さくして」

「これが落ち着いてなんていられますか! 理由は?! 事情は?!」


 叫んで問うと、月乃さんは周囲を憚ったのか、僕の腕を掴んで誰もいない教室へいざなった。僕の背中を押して、中に入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る