9 意外な来訪者

 梅雨時期の雨降りの中。帰ろうとして昇降口へ行ったら、志野谷が途方に暮れたような顔をして空を見上げていた。傘がない様子だ。

 いつも付き合ってくれと頼まれるのを断り続けていて悪いし、この間はお弁当ももらった。何より女子には優しくしないと。

 僕は志野谷に声をかけて、家まで送ることにした。

 小さい折り畳み傘なので、自然、身体を寄せ合うことになる。

 志野谷は身体を寄せて、更に傘を握る僕の腕へ手を添えてきた。

 振り払うのも悪いのでそのままにしておくと、やたらと僕のことを優しいだの格好良いだの言ってきた。

 一応お礼は言ったけど、後は話したいことなどない。

 月乃さんとだと、いつも楽しいおしゃべりが出来るのにな……。

 無言で歩いていたら、志野谷が突然大声で話しかけてきた。


「あ、あのさあ!」

「?」


 いきなり何だろう。


「瀬戸くんのこと、美苑の高等部入って、私一目惚れしたんだよ? クラス紹介のとき、すっごく格好良くて、それからずっと好きなんだよ」

「…………」

「だから、やっぱり付き合ってください! お願い!」


 僕は黙り込んでしまった。

 もし、今の台詞を月乃さんから言われたら、どんなに嬉しいだろうか。


「……好きって言われるのは、すごく嬉しい。すごく、嬉しいんだ」


 僕は、月乃さんのことを考えつつ、そう言った。


「志野谷は、勉強教えても素直に理解してくれる。こうして好きって真っ直ぐ素直に言ってくれる。素直なところは僕も好きなんだ。好きって言われるのは、僕の憧れなんだ」


 酔った月乃さんの素直なところが好きだ。月乃さんから好きって言われるのを、夢みたいに憧れているんだ。だから。


「でも……婚約者、いるから。ごめん」


 志野谷には悪いけど、僕を諦めてもらおう。

 腕に添えられていた手を、そっと外した。


 ♦ ♦ ♦


 その日から少し経った金曜日。

 クラスの用事を志野谷から頼まれた後、帰宅すると、母親が電話をしていた。

 電話を切った後、僕を見た。


「征士……。お前、明日は用事、ないわね?」

「え……うん。特に用事は入っていないけど」


 不思議に思って尋ねる。


「僕に何か用事の電話だった?」

「よく……わからないんだけど。何でも虹川グループの顧問弁護士の方が、うちに来て相談したいんですって。お父さんもいるかと訊かれたんだけど」

「虹川グループの顧問弁護士? 父さんに用事?」

「征士にもだって。重要な相談なんですって」


 母親と揃って、首を傾げた。

 弁護士の人が相談なんて何だろう。しかも僕と父親にだって?

 見当もつかない。

 取り敢えず、明日はきちんとした身なりをしておこう。


 ♦ ♦ ♦


「婚約、解消!?」


 翌日土曜日。弁護士の椎名と名乗った人は、僕と月乃さんとの婚約解消について話をしてきた。

 今日は兄も在宅していて、家族全員揃っている。


「誠に申し訳ございません」


 椎名さんは、何度も謝罪してきた。

 僕達家族は、婚約を申し込まれたときよりも困惑した。


「どうしてですか!? 理由は!?」


 僕はすっかり興奮して、椎名さんに詰め寄っていた。


「ですから先程申し上げました通り、全て虹川家の事情です。こちらの事情ですので理由はお話出来ません。大変ご迷惑をおかけしました。慰謝料は一応持参いたしましたが、足りないようであれば後からいくらでも……」

「慰謝料なんて絶対いりません! 理由を教えてください!」

「虹川家の事情でございます」


 僕がいくら訊いても、全て『虹川家の事情』だ。

 謝られてばかりだ。その事情とやらを、是非訊かなければ。

 いつも月乃さんは優しかった。僕が他の人を好きにならない限り、他の婚約話は断るって言っていた。虹川会長にだって経営学の勉強を褒められていた。

 婚約解消される事情がわからない。

 僕は失礼なことを承知の上で、椎名さんの前で、月乃さんの携帯に電話した。


「…………」


 何回かけても繋がらない。メールも送ったが、返ってこない。

 椎名さんは結局『虹川家の事情』を一言も話さないまま、すごい金額の入った慰謝料を置いて、謝罪しつつ帰っていった。

 椎名さんは、父親の勤務先での不都合な点や、慰謝料の増額について相談を受けると名刺を置いていった。

 一家で呆然とした。

 慰謝料なんて、死んでも受け取りたくなかった。何回も断ったのに、無理矢理押し付けてきた。

 僕が月乃さんと結婚出来なくなるなんて、想像も出来ない。

 いつか好きって言ってもらうのが夢だった。幸せな家族になるんだと思っていた。将来必ず愛し合えると考えていた。

 僕は月乃さんの携帯に電話をかけ続け、メールも送りまくった。


 ……電話は、繋がらない。いくら待っても、メールも返ってこない。

 しばらくそれを繰り返した挙句、虹川の家へ電話してみた。

 お手伝いさんの豊永さんが取り次いでくれたのは、椎名さんだった。

 僕は月乃さんにかけたのに!

 椎名さんは、月乃さんの体調がすぐれないので代理だと言っていた。事情を訊いても『虹川家の事情』の一点張りだ。

 明日朝にでも虹川の家に行ってみよう。

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