2 自覚

 美苑の中等部入学の次の日から、月乃さんと登校することにしていた。

 月乃さんの家の車に乗って、お話をする。僕がテニスを好きで、テニス部に入りたいと言ったら、優しく笑ってくれた。


「そうなの。テニスはあまりルールとか知らないけど、頑張ってね」


 それから、月乃さんの手作りだという、お弁当をもらった。

 昼休みに学食で開けると綺麗な出汁巻き卵が入っていた。食材は高級なのかもしれないけど、内容は意外に庶民的で、月乃さんに親近感を抱いた。美味しかった。



 次の日にお話をしていたら、少し心配されてしまった。


「お友達は出来そう?」


 とても気を遣ってくれるなあ、と思いつつ、同じテニス部に入ろうかという友達の話をした。

 月乃さんは部活に入っていないらしい。その代わり、読書が好きだと言った。


「本が好きなんですか。僕は漫画ばかりだなあ」

「漫画も好きよ? お薦めがあったら教えてね」


 意外な答えに驚いた。お嬢様でも漫画を読むのか。僕は少年漫画が好きだし、兄は青年漫画もたくさん持っている。貸しあいっこしましょうと提案した。


「いいけど、少女漫画ばかりよ?」

「それがいいんです。お互いの趣味がわかるから。僕だって少年漫画ばかりですよ」


 僕は段々、月乃さんのことが知りたくなってきた。


 ♦ ♦ ♦


 漫画の貸し借りは面白かった。月乃さんは少女漫画と言うけれど、どちらかというとコメディものが多くて、所謂ラブコメだった。僕でも笑って読めた。


「このラブコメ、すごく笑えました。主人公と相手の男の子が漫才みたいな掛け合いで、笑いっぱなしでした」

「そう言ってもらえると貸した甲斐があるわ。でも主人公の女の子が、明るくて、楽しくて、前向きな恋をするところも好きなのよ。恋に恋しちゃうわね」


 僕はスポーツ関係の少年漫画ばかり貸したが、時々兄の青年漫画も貸した。


「この動物のお話、面白かったわ。霊長類って賢いのね。象の話も良かったわ。だけど、動物を自己都合で捨てるのは許せないわね。自分勝手にも程があるわ。動物は、あんなに可愛いのに!」


 月乃さんは動物好きらしい。今日は近未来予想ファンタジーものを持って来た。


「今日は近未来予想のファンタジーです」

「え……。近未来、予想……?」


 何故か月乃さんは黙ってしまった。気に入らなかっただろうか。

 僕が首を傾げていると、月乃さんは気を取り直したように明るく笑った。


「い、いいわね。ファンタジーだものね。楽しんで読むわ」


 翌日、近未来予想ファンタジーを返してくれた。


「面白かったわ。月にドームを作って、そこで暮らす話なんて。重力も違うし、地球に帰ったとき、大変そうだと思ったわ」


 楽しんでもらえたようで、何よりだ。

 お弁当も毎日すごく美味しい。僕の要望でたくさんお重に詰めてくれる。昨日は生姜焼きを、クラスメイトでテニス部友達の深見に取られた。


「何これ! めっちゃ美味いじゃん。母ちゃんに作ってもらってんの?」

「違うよ。高等部三年の虹川月乃さんにだよ。月乃さんは僕の婚約者なんだから、勝手にお弁当取るなよ」


 文句を言ったら、深見は仰天していた。


「こ、婚約者!?」

「そうだよ。婚約者だよ。だから全部、僕のものなんだ」

「……婚約者、か。そりゃ、大事だな。でも、またもらうからな」


 深見のせいで、お弁当を時々クラスメイトやテニス部仲間に取られてしまう。僕は悔しかった。僕の為のお弁当なのに!

 翌日も、月乃さんの車の中で話をする。


「月乃さんが僕の為に作ってくれたお弁当なのに、時々クラスメイトに取られてしまいます。美味しいからって。僕も、月乃さんのお弁当は、とっても美味しいと思います。取られてしまうのは悔しいです」

「あら。美味しいって言ってもらえて嬉しくて堪らないわ。それならば、明日からはお弁当の量をもっと増やしてあげる。それより中等部のことや、テニスのことを、もっと教えて。征士くんのお話、面白くって仕方ないわ」

「そうですね。家庭科の実習授業で、男性の先生が卵焼きを見本に作っていました。見本なのに崩れてしまって、クラス中で大笑いしました」


 月乃さんはそれを聞いて、涙が出そうなくらい笑った。


「私の中等部時代も、確かその先生いたわ。家庭科の佐々木先生ね。裁縫技術や理論は完璧なのに、調理はあまり上手じゃないのよね」


 次の日のお弁当は、お重の他にもタッパーがついていた。見事な卵焼きが入っていて、学食で蓋を開けた途端、にやついてしまった。


「征士くん、昨日は何があったの? テニス部の活動はどう?」

「はい。何故か女子がたくさん見学に来ています。昨日は試合形式の練習でした。相手の打ってきたボールがとんでもない球だったので、必死に避けたんですけど、僕の靴紐にボールが当たってしまって、相手のポイントになってしまいました」


 月乃さんはそれを聞いて、びっくりしたようだった。


「ボールは身体には当たらなかったの? 大丈夫だった? それにしても当てた方がポイントを取るなんて、何だか釈然としないわね。当たった方がポイントをもらうべきだと思うわ。征士くんのこと、すごく心配だわ」

「身体にはボールは当たらなかったので大丈夫です。それに、ルールですし。心配してもらって、ありがとうございます」


 月乃さんは思いやりがあり、独特の風刺的な一面も持っている。何より、僕のことをいつも聞いてくれて、心配までしてくれる。興味のないテニスの話だろうに。月乃さんは、いつも優しい。


「征士くん。昨日は何か、面白いことがあった?」


 ♦ ♦ ♦


 テニス部の夏の大会が近くなって、その話を月乃さんにした。


「試合に出られないかもしれないけれど、控えに選ばれたのはすごいじゃない! でも、前に話してくれたテニスのルール、難しいわね。何でポイント取れていない0のことをラブっていうのかしら」

「フランス語が由来らしいですよ。何でも、卵の意味とか」

「なるほど、卵ね! 丸いからね。納得したわ。でも0の次のポイントが15なんて面白いわね。その次は30とか」

「30の次の40、その次のポイントが取れたら1ゲーム取れますよ。6ゲーム先に取った方が、1セットマッチに勝てます」


 僕の話をいつも楽しそうに聞いてくれる。僕はいつの間にか、月乃さんのことを好きになってきているのを自覚した。

 それから少し経って、月乃さんからテニス部の試合へ、お弁当を差し入れに行きたいとメールが届いた。僕は喜んで返事した。

 当日、月乃さんは大きなバスケットを持って、大会へ来てくれた。


「これ、サンドイッチ。たくさん作ってきたから、テニス部の皆さんにどうぞ」

「ええ? 僕だけじゃないんですか……」


 僕はがっかりした。


「いっぱいあるから。好きなだけ食べて?」

「…………」


 いきなり深見がバスケットを取った。


「皆ー!! 『月乃さん』から差し入れ!!」


 余計なことを! おかげでテニス部仲間に全部食べられてしまった。

 でもその後、吉野先輩が怪我をした為、僕が急遽試合に出ることになった。ここは張り切って、月乃さんへいいところを見せなければ。

 僕は頑張った。サービスもかなりの確率で、オンザラインでポイントを取った。ゲームカウント6-1で勝てた。思わず勝った後、月乃さんへ手を振ってしまった。

 躊躇いながら、小さく手を振り返してくれた。頑張った甲斐があった。


 家へ帰ると月乃さんから『公式戦初勝利おめでとう。すごくどきどきしながら観戦しちゃった。試合に勝てて、私までとても嬉しくなったわ』とメールが届いた。

 僕は、勝ったご褒美に『お弁当に大きなエビフライが食べたいです』と書いた。ついでに『おめでとうは直接言って欲しかったです』とも書いた。いつか言ってもらいたい。

 僕はメールを眺めて、にやにやした。

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