2 相合傘
朝は晴れていたのに、授業の途中から雨が降ってきた。
下校時間の昇降口で空を見上げる。私は傘を持ってこなかった。どうしようか悩んでいると、あれ、と声をかけられた。
「何、志野谷。お前、傘持ってないの?」
声をかけてきたのは瀬戸くんだった。心配そうな顔をして私を見ている。
「……うん。朝晴れていたから、いらないと思って」
「そっか……」
束の間大きな瞳を伏せた後、彼は提案してきた。
「じゃあ、それなら僕の傘に入っていく? 折り畳みで小さくて悪いんだけど、家まで送るからさ」
思いがけない私にとってラッキーな提案をされ、却って驚いてしまった。
「いいの?」
「いいよ。志野谷の家、駅の向こう側だろ? 僕、電車に乗って帰るからさ。方向同じだし」
何てラッキーなんだろう。私はすごく嬉しくなった。
「ありがとう、瀬戸くん。わざわざごめんね」
「いや。僕こそいつも、志野谷のこと断って悪いと思っているし。お詫びも兼ねてさ、送るから」
瀬戸くんは折り畳み傘を開いた。紺色の傘だ。折り畳みだから、普通の傘よりも小さい。
「じゃあ、帰ろうか」
そう言われて、私は瀬戸くんの傘に入れてもらった。小さい傘だから瀬戸くんに近づかないと濡れてしまう。ローズのフレグランスをつけていて正解だった。
校門を出てから、瀬戸くんはやはり心配そうに言う。
「志野谷。もっと寄ってきていいよ。濡れると風邪引いちゃうだろ」
瀬戸くんは何て優しいんだろう。遠慮なく身体を寄せて、ついでに思い切って、彼が傘を握る腕にそっと自分の手を添えてみた。別に何も言われなかった。
男の子らしくて、しっかりした腕。うっとりしてしまう。
「ねえ、瀬戸くん」
「何?」
「瀬戸くんは優しいね。格好良いし、こんな人、中学までいなかったよ」
手を添えたまま、考えていることそのままを言う。だって、こんなに優しくて素敵な人、本当に中学校まではいなかった。
「そう? そうかな? でも、褒めてくれてありがとう」
「だって、本当のことだもん」
それからしばらく黙って、駅までの道を歩く。
……やばい。何か話さないと、気が利かない女って思われちゃう。
「あ、あのさあ!」
焦ったあまり、大声を出してしまった。
その焦りの勢いで、つい言ってしまった。
「瀬戸くんのこと、美苑の高等部入って、私、一目惚れしたんだよ? クラス紹介のとき、すっごく格好良くて、それからずっと好きなんだよ」
「…………」
「だから、やっぱり付き合ってください! お願い!」
自分より頭一個と半分、高い身長を見上げながら告白した。決死の覚悟での告白だ。ますます身体を寄せてみる。
瀬戸くんの滑らかな顎の線が見える。少し時間をおいてから彼は言った。
「……好きって言われるのは、すごく嬉しい。すごく、嬉しいんだ」
何かを考えながら、瀬戸くんはそう言った。
「志野谷は、勉強教えても素直に理解してくれる。こうして好きって真っ直ぐ素直に言ってくれる。素直なところは僕も好きなんだ。好きって言われるのは僕の憧れなんだ」
でも、と彼は続けた。
「……婚約者、いるから。ごめん」
添えていた手を、そっと外された。
その後は無言で、瀬戸くんは家まで送ってくれた。
♦ ♦ ♦
私は家に帰ってから考え込んだ。
瀬戸くんは、私に好きって言われて嬉しいと言ってくれた。素直なところが好きって言ってくれた。前に可愛いって褒めてくれた。
……何をどう考えても、婚約者が邪魔。前に思った通り、婚約者さえいなければ、必ず私と付き合ってくれる。
「どうしたら、婚約者いなくなるかな……」
机に肘をついて顔に手を当て、呟いた。
もう一度、瀬戸くんと婚約者の写真を取り出して眺めてみる。
「……写真……。……写真!!」
写真を見て、閃いた!
例えば、私が瀬戸くんとキスでもしている写真を、婚約者に送り付ければいいんだ。別に、本当のキスなんかじゃなくてもいい。顔を寄せて、キスしているように見える写真でもいい。そうしたらきっと、婚約者は瀬戸くんが私を好きになったと思うはずだ。そう思われたなら、こちらのものだ。
……でも、ちょっと押しが甘いかも?
政略結婚なら、それくらいでは、婚約者ではなくならないかもしれない。
更に考えてみる。
「うーん……」
政略結婚。強引な婚約。……しがらみの多い、婚約。多分。
……写真を見せてから、駄目押しに、婚約者を説得してみようか。
「しがらみの多い、婚約から……瀬戸くんを、自由にしてください……みたいな、感じかな?」
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