太陽がつくる影

ポロポロ五月雨

一年生、1学期


 ハナとは…高校の入学式で初めて会った。私は場の空気と言うか、カーストを見分けるのが得意で、この知恵を生かして中学生活を過ごしてきた。そしてその知恵が、ハナこそがこのクラスで人気者になる、いわゆる擦り寄るべき人間であると判断した。

  私は入学式が終わり、クラスに戻って早々ハナに話しかけた。


「ねぇ、どこ中?」


 高校の入学式と言えば鉄板のテーマ、出身の中学について尋ねると、ハナは小さな顔で快活に近隣の中学を口にした。私は適当に、話を続けた。何でもない会話を適度に盛り上げるのも得意だった。


 会話しながら…ハナの顔をよく見た。二重でまつ毛の長い、可愛いというよりは美人な方で、初見では近寄りがたい雰囲気。だが、最初の自己紹介でハナは…元気が良かった。うん、元気良し。そのルックスとのギャップは、人の心をつかむのに、十分すぎるほどだった。


「ハナちゃん、さっきのヤバすぎでしょー!」


 幸いにも、ハナは私の後ろの席だった。自己紹介が終わった後、私は速攻で振り返り、さっきの話を持ち出す。すると続々と、人気者の匂いを嗅ぎつけたクラスメートたちが、机の周りに集まって来た。


「ハナちゃんはさ・・」「ホントマジで・・・」「ヤバー・・・」


 ひとしきりの当たり障りないコメントにも、ハナは丁寧に答える。柔らかな笑顔が、まだぎこちない新入生達の教室で、それこそ咲いた花のように眩しかった。


 こうして、ハナは私の予想通り、瞬く間に人気者になった。



 ハナはクラスの中心だった。お昼休みなんか、日を増すごとに人数が増えて、まるで大家族のようになっていた。そういう意味では確かに、ハナファミリーといった集団で、私たちは一学期を過ごしていた。


 しかし…私はハナに関して、ひとつ気に食わないことがあった。


「ハナ、夏休みなんだけどさ」


 一学期も終わり、夏休み目前の7月頃。私はハナと夏休みの予定について話し合っていた。


「一日と二日空いてる?良かったらお泊りとかさ」


 私がそう切り出すと、ハナは首を横に振った。

  ハナほどの子なら、そりゃ予定くらい埋まってるか。おそらく中学の同級生だろう。そう分かってはいつつも、予定探りがてら、私は「何かあんのー?」と聞いた。するとハナは、意外なことを言った。


「ヒナちゃんと、釣りに行くんだ!」


 ヒナちゃん?と言われ、最初はやっぱり中学の同級生かと思った。しかし、その名前には何だか聞き覚えがあった。


「あぁ、オンダさん」


 私はクラスの隅で本を読む彼女に目を向けた。

  オンダさんは、この時のイメージだけで言えば、声と背の小さい、目立たない奴だった。勉強だけは出来るみたいで、教師からの評価は良かったが、正直言って、クラスメートの中では浮いた存在だった。実際、私も委員会の関係で数回しか話したことが無い。


「ハナ、仲良かったんだ」

「うん!前に本屋さんで会ってさ、好きな本が同じだったっぽくて、ビックリしちゃった」


 そう、ハナは本当の意味で誰とでも仲良くなれた。仲良くできた、じゃなくて、心から誰とでも友達になれたのだ。


『ふぅん…』


 プライドとか、無いのかな。しかも釣りって。


 私の心に、夏の空には似つかわしくないような、暗く黒いモヤが張った。私はこれ以上この話題について話す気になれず、テキトーに夏休みの宿題に話題を切り替えた。



「えー、オンダさんとー?」


 パジャマ姿のA子が、クッキーを食べながら言った。食べカスがぼろぼろ崩れて、布団の上に落ちる。


「そう、釣りに行ってるらしいよ」


 8月の一日。私はハナ以外のハナファミリーと、私の家でお泊り会をしていた。今は風呂が沸くのを待ちながら、だべっている途中である。


「釣りって、魚とか臭いし、私絶対ヤなんだけどー」


 そう言ってA子はけらけら笑い、同意を求めるように他の人に目線を配った。

  「分かるー」「無い無い」 深く考えず、相槌を打つ。


「まー釣りじゃなくても、ねぇ。オンダさん…」


 B子が言った。A子が笑う。


「だよねー!ぶっちゃけオンダさんとなら、何やっても盛り上がらなさそー」


 皆が笑った。私たちはこうやって、表に出せないことを共有し、仲を深め合っている。B子が濁しながら雰囲気を出し、A子がズバッと文句を言う。これがいつもの流れだった。この流れが始まっては誰も逆らえず、それからはオンダさんへの文句から始まり、派生して他の人。最後には転じて、好きな男子の話をして終わった。


 ハナは…人の悪口を言わなかった。A子とB子の流れには誰も逆らえない、とは言ったが、唯一ハナだけが逆らうことが出来た(A子とB子も、空気を察してか、ハナの前では人の悪口を言わない)。だからこそなのか、このお泊り会の中で誰もハナの名前を出さなかった。出せば、せっかく盛り上がった空気が、萎んでしまうからである。ましてハナ自身の悪口なんて言おうものなら、きっと2学期からは、一人で昼ご飯を食べなきゃいけなくなる。好きな男子の話をする時も、ハナの名前は出さない。クラスの男子は全員、ハナのことが好きだと分かっていたからである。

  ハナは、この場に居ないのに、私たちを支配していた。



 夏休みの間。ハナとはプールに行く約束をしていた。その日は幸いにして晴天で、絶好のプール日和ではあったのだが、直前になって一緒に行く予定だったB子から「ごめんー、熱出た」とメッセージが来た。


『どうする?』

 と、ハナに送る。

『2人で行こ!』

 と、返ってくる。


 こうして私とハナは、2人きりでプールに出かけた。

  プールは2駅離れたところにある、ウォータースライダーも付いたようなアトラクションプールだった。駅で待ち合わせをし、集合時間の5分前に着いたのだが、既にハナは待っていた。青いプールバックを下げ、長い髪を後ろで結んで、ポニーテールにしている。


「ハナ!」


 私が急いで駆け寄ると、ハナは「おーい!」と手を大きく振った。


「ごめん、待った?」

「全然、早く行こ!」


 ハナはそう言うと、ポケットからICカードを取り出して改札の方へ歩き出した。夏の陽の中から、駅の日陰に入るハナを、私は急いで追いかけた。

  電車の中では、出来るだけ迷惑が掛からないように、ひそひそ声で会話した。他にも人がまばらに乗っていて、夏休み中ということもあってか、学生が多い。友達と話したり、部活動なのか、大きなカバンを持っている人もいる。


「ねぇ、宿題どのくらい終わった?」


 私がハナに聞くと、ハナは苦そうな顔をして肩を落とした。どうやらちっとも終わってないらしく、30ページほど出された数学帳も、まだ2ページしか終わってないらしい。「一日1ページで終わるって言ってたけど、これじゃ間に合わないよ」と言って、ため息をつく。私は声をひそめて笑うと、「2ページずつやれば終わるよ」と言った。

「あ!確かに」

 ハナは手を叩くと、同じように声をひそめて笑った。



 プールは家族連れやらで賑わい、それなりに混雑していた。更衣室も人が多く、試着室のような着替え場所が一つだけしか空いていなかった。


「私が空くまで待ってるから、ハナ先に着替えてきなよ」


 私がそう言うと、ハナは少し考える様子を見せた。そして思いついたように頷くと


「一緒の所でいんじゃない?」


 と言った。


「え」

「ほら!あそこも埋まっちゃうよ」


 ハナは私の手を引くと、カーテンの仕切りを開き、中に私を引っ張り込んだ。持ってきた青いカバンを置き、服の一番上のボタンに手を掛ける。その姿に、私は少しだけ熱くなった。


「どうしたの?」


 そう言われて、我に返る。私は後れを取り戻すように服を脱ぐと、湧きあがった気持ちをかき消すように乱雑に床に投げ捨てた。ハナはそんな私の気も知れず、遠慮無しに肌を晒して、すいすいと水着を着た。青い水玉の無難な水着だったが、ハナが着ると一気に、伝統工芸のグラスのように見えた。


『細い…』


 見えた体は、まるで箸のように細かった。だが骨っぽいわけじゃなくて、健康らしい肉付きの、しなやかな体。私は耐え切れず、自分の体が目に入らないよう、顔を少し上に向けた。


「ほら、早く早く」


 ハナは私をせかした。しかし、この時私には、プロポーションへの劣等感とは別に、不思議で不快な感情が湧きあがっていた。私は着替えるよりも先に、この感情を潰すべく、持ってきていたビーチタオルをハナに被せた。


「泳ぐ前まで、これ被ってて」


 ハナはキョトンとする。私が言い聞かせるように「日焼け対策だよ」と言うと、納得したようで、「分かった!ありがとう」と言い、タオルを握って肩から掛けた。

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