オーダー3 鳥子 デザートも!

「早く食べないと、カレーが冷めるよ」


「あ、はい」


 ナンをちぎってカレーを掬って口に入れる。


「美味しい!」


 思わず声が出た。スパイスの香りが口いっぱいに広がって、辛いんだけど刻んで煮込まれているらしい野菜の甘みもある。具はほうれんそうとゆで卵というオーソドックスなものだけど、初めて食べた料理みたいに新鮮に感じるのはなんでだろう。


「ホールスパイスと、粉に挽いたものを使い分けてみた。ビールに合うように尖った辛さにはしてないんだ」


 湊くんが冷えたグラスにビールを注いでくれる。差しだされて一口飲むと、カレーのスパイスの残り香がビールの苦みを爽やかにしてくれた。


「すごい。これが料理とお酒のマリアージュというやつなのか!」


「こういうのは初めて?」


「うーん。私は貧乏舌だから、あんまり気にすることなかったけど。もしかしたら、そういうことにも気を付けてもらった料理を食べてたのかも」


「ネタバレ厳禁派のシェフなら、黙って出すかもね。どうぞ、食べて」


 勧められてサラダも口に入れる。まずは生ハム無しで。


「美味っしい! なにこれ!」


「コブサラダ。食べるの初めて?」


「ううん、食べたことはある。でも、今まで食べたのと比べ物にならない。うわー、美味しすぎて目がシパシパする」


 湊くんが笑う。


「なにそれ、シパシパって。どんな感想」


「目の前に星が飛んでる感じ」


「七、八十年代くらいの古いマンガの表現方法だ。鳥子さんの年齢だと普通に読んでた感じ?」


「ふむふむ。ケンカを売ってるね? 今日はそんなことじゃ怒らないよ。こんなに美味しくて幸せなんだもん」


 湊くんがテーブルに肘を突いて顎を乗せた。楽しそうに、じっと私を見てる。


「こーら。食事中に肘を突くんじゃありません」


「そうやって、息子くんを叱ってるの?」


「そうね。でも最近は叱ることも減ったな。行儀よく食事出来るようになった」


「大人になったんだ」


「そう言われると、嬉しいけど寂しいなー。気遣ってくれてるんだと思うけど、わがままを言うことって少ないんだ。もともと私にはあんまりわがまま言わなかったんだよね。頼りない母だからかな」


 自分で言ってて、なんだか笑える。そう、あの人には徹底的にぐずってみせてた。


「ほら、またその顔」


「え?」


「恋をしている少女の顔。鏡見る?」


 湊くんが壁を指差す。きれいに磨かれた鏡。少し、おめかしした私。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気分。


「普通だよ。なにも変わらないよ」


 そう自分に言い聞かせようとしてるみたい。なんだか言葉が上滑りしてる感じがする。


「俺のことを話すときも、そんな顔してよ」


「え?」


「誰かに俺のこと話してよ。料理が上手なんだって。カレーはスパイスから作るんだって」


「佐渡くん……」


 思わず呟いた私の声に、佐渡くんは、はっとした様子で口を閉じた。


「ナン、美味しいですよ」


 そう言うと、佐渡くんは少しだけ笑った。


 私たちは、沈黙のまま食事を終えた。コブサラダは半分残った。食後に淹れてもらったハーブティーは甘かったのに、帰り道、なぜか口の中は苦さでいっぱいだった。




 大家さんのうちに着いて、そっと玄関の扉を開ける。家の中はすごく静かだ。


「ただいま」


「おかえり」


 小声で言った声に返事があって、ほっとした。肩に入っていた力がすっと抜ける。

 お茶の間に入ると、島彦と時也が並んで寝ている。島彦はいつも通り、大の字で、時也の顔にパンチしようとしてるみたい。時也は本当に子どもに戻ったような、とっても安らかな寝顔。虎狼が頭を撫でてやっているから、そう思うのかもしれない。


「早かったね」


「うん。早食いだから」


 虎狼は黙って頷く。無理やり話を聞こうとしたりしない。だから、喋りたくなってしまうんだ。


「忘れなきゃだめかな」


「だめじゃないさ」


「前に進まなきゃだめかな」


「進んでるよ」


 虎狼は優しく微笑む。


「料理、頑張ってるんだろ。島彦が言ってた」


「一応ね。美味しいもの食べたいもん」


「伊吹さんが亡くなったころは作れなかった。今は作れる。もっと上手くなるよ」


 伊吹のこと、ここでなら話していいんだ。いつも我慢してるけど、虎狼がさらっと名前を出してくれると悲しいとか苦しいとか、一人で考えてるときの気持ちが消える。


「上手くなるかな。伊吹の料理の腕に追いつけるかな」


「追い越せるよ。きっと」


 伊吹が亡くなったことを気にして、言葉を濁したりしない。厳然とした事実だし、たぶん、私は伊吹を越えて生きていくしかないんだ。


「年取ったよなあ」


「そんなこと言っている暇はないんじゃないか。島彦はどんどん大きくなって体重も増える。でもまだ抱っこは必要だろ」


「ううう。鍛えます」


「その意気だ」


 鍛え続けて来た虎狼に後押しされて、頑張れる気がした。料理だって、もっと頑張る。

 スパイスを挽くところからカレーを作るんだよって、私だって言うんだもんね。湊くんなんかに、負けてられるかい。

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