秘拳の二十一 ニルヤカナヤの常在神

 不思議な声がナズナの耳朶を打った。


 男と女の声が入り混じったようなマジムン(魔物)の声とは違い、心地よい三線の音色にも似た妖艶な女の声である。


 ナズナはチッチビの誰かの声かと思い周囲を見渡したが、冷静になって考えてみればチッチビの中に今のような甘美な声を発する者などいない。


「どうした? 何をそんなに驚いておる?」


「ツカサ様には今の声が聞こえなかったんですか?」


「声?」


「ええ、どこからか『私の声が聞こえる者よ。イビ(聖石)に触れろ。我はニルヤカナヤの常在神なり』と聞こえたんですが」


「何だと!」


 カメは目玉が飛び出るほど目を見開き、ナズナの両腕を力強く掴んだ。


「本当か? 本当にニルヤカナヤの常在神と聞いたのか?」


「は、はい。少なくとも私にはそう聞こえました」


 困惑するナズナに構わず、カメは言葉を捲くし立てた。


「ニルヤカナヤとはニライカナイの別の名だ。そしてニライカナイとは知っての通り、琉球に五穀豊穣を与える神々が住まう異郷。すなわちニルヤカナヤの常在神とは、琉球国を創世したアマミキヨ様ご本人のことを指す」


 ナズナ、とカメは唾が飛び散るほどの声量で名前を呼んだ。


「やはり私の目に狂いはなかった。ナズナ、お前にはアマミキヨ様の声が聞こえるほどのセジ(霊力)が備わっていたんだよ」


 興奮冷めやらぬカメとは打って変わり、ナズナには今ひとつ実感が湧いてこない。


 もしかしたら二年前と同じく、マジムン(魔物)かヤナムン(悪霊)たちの声ではないかと疑ったものの、どれだけ周囲を見渡しても異形な物体は視認できなかった。


「そうとなれば話は早い。ナズナ、アマミキヨ様の言葉に従ってイビ(聖石)に触れるのだ。さすればアマミキヨ様の言葉をもっとはっきり聞けるだろう」


 そう言うと、カメはナズナをイビ(聖石)まで引きずった。


 とても六十歳を超えた年寄りとは思えない腕力である。


「ちょっと待ってください。まだ本当にアマミキヨ様の声と決まったわけではありません。単なる幻聴だったのかも」


「いいや、あんたが聞いた声は幻聴なんかじゃない。きっとアマミキヨ様はお前を使って私たちに何かを伝えようとしているのさ」


「何かって……あっ!」


「そうだよ。何十年も平穏だった根森村に突如として災いが起こり始めた時分、アマミキヨ様からセジ(霊力)が高い人間に伝えることは一つ」


 二の句は自分自身で気がついたナズナが紡いだ。


「根森村に起こった災いの原因と解決策ですね」


「ダールヨー(その通りさ)」


 カメは首の骨が折れそうなほど大きく首肯した。


「分かりました。とにかくやってみます」


 ナズナは真っ二つに割れていたイビ(聖石)に視線を移す。


 チッチビに入るとカメに誓ってから約二年。


 ナズナはオン(御獄)の中に点在するクバの木とイビ(聖石)には一度たりとも触れたことはなかった。


 根森村の常在神が宿るクバの木はもちろんのこと、セジ(霊力)を高める効果があるというイビ(聖石)にもツカサ以外は触れることが許されない大事な代物だったからだ。


 ナズナは腹の底から覚悟を決め、慎重な足取りでイビ(聖石)に歩を進めた。


(イビ(聖石)に触れろ、か)


 綺麗な断面を見せているイビ(聖石)を前に、ナズナは心臓を誰かに掴まれたような違和感を覚えた。


 全身の汗腺から生温い汗が浮かび、頭部の右側に鈍い痛みが走る。


 触れたくない。


 一瞬、ナズナの脳裏にそんな言葉が浮かんだが、ここまできてイビ(聖石)に触れないという選択は残されていなかった。


 背中にカメや他のチッチビたちの期待が込められた視線が容赦なく突き刺さってくる。


 やがてナズナが恐る恐るイビ(聖石)に手を伸ばし、カメや十数人のチッチビたちに見守られながらイビ(聖石)に右手の掌を当てたときだ。


 不意にナズナの意識は空白になった。


 そして――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る