秘拳の十四 ナズナの思い
琉球国は異国との盛んな貿易で先進国の技術を多く吸収し、芭蕉布や琉球絣などの実に多様多彩な織物を作り上げてきた。
だが根森村で愛されている織物と言えばやはり芭蕉布である。
必要以上に肌に纏わりつかない軽さに定評があり、普段着や野良着、下着に至るまですべて芭蕉布で織られた着物を着ている者は珍しくない。
それゆえに芭蕉布の織物を織るように頼まれた女は、一日中部屋に篭って作業に没頭する。
辛く過酷な仕事だが女たちは愚痴を零さずに淡々と仕事に励む。
なぜなら商品価値の高い織物を織りたい、自分の特色を出した織物を織りたい、愛しい人に贈る織物を織りたい、など千差万別な思いを胸に秘めているからだ。
ただ人間である以上は働くことに限界を感じることもある。
ちょうど今のナズナがそうであったように。
「あ~、もうワジワジ(いらいら)する! 何でうちばかりに着物の注文が来るのよ!」
ついに我慢の緒が切れたのだろう。
機織をしていたナズナは盛大に愚痴を零した。機織の部屋全体にナズナの怒声が響き渡る。
「仕方ないさ。あんたの機織の腕前は誰よりも達者なんだ。値が同じなら質のいい着物を織れる人間に注文するのは当然だよ」
相槌を打ったのは苧績みの作業をしていたミクダだ。
「それに注文があるのは嬉しいことじゃないか。お陰で今年もひとしきり贅沢できるさ」
「贅沢するよりも今の私は暇が欲しいの。これじゃあジューグヤー(十五夜)までにミンサー(帯)が完成しないじゃない」
口では文句ばかり垂れているナズナだったが、生来の生真面目な性格で手を抜くという行為ができなかった。
お陰で一着の着物を作るだけでも時間がかかる。
三日後に迫ったジューグヤー(十五夜)までにミンサー(帯)を織りたいナズナとしては暇が欲しいという言葉は事実だった。
「別にジューグヤー(十五夜)までに完成させなくてもいいだろう。のんびりとのんびりと織ればいいさ」
カラカラと音を立てて苧績みをしていたミクダにナズナは本音を吐露した。
「それは絶対に嫌よ。もしも私の他にトーガへミンサー(帯)を渡す女がいたらどうするの? それもジューグヤー(十五夜)の日に」
「そうだね。トーガは男前だから他の女が放って置かないか」
ナズナは機織を続けながら大きく頷いた。
「母さんもそう思うでしょう? だから私は何としてもジューグヤー(十五夜)までにミンサー(帯)を完成させてトーガに贈りたいの」
ナズナは職人に作って貰った高機に色染めがすんだ糸をかけ、横糸の手投げ杼を間に投げ込んで丁寧に着物を織っていく。
もちろん柄を綺麗に合わせながらである。
「でも、トーガはあんたの織ったミンサー(帯)を受け取るかね?」
「受け取るわよ。私は誰よりもトーガのことを知っている。その証に私が織った着物をいつも着てくれているじゃない」
「そういう意味で言ったんじゃないさ。私はトーガが本当にミンサー(帯)に込められた女心を理解した上で受け取るのかって聞いているんだよ」
その言葉を聞いた途端、ナズナはぴたりと機織を止めた。
こちらに顔を向けず黙々と糸を紡いでいくミクダに視線を転じる。
「それってどういうこと?」
「どうもこうもないよ。確かにトーガはあんたの織った着物をよく着ている。けれど、それは単にあんたが織った着物が一番着心地がいいからじゃないのかい?」
大きく目を瞠ったナズナにミクダは容赦ない言葉を浴びせる。
「それにトーガはあんたを妹同然に見ている。そんな男に結婚の証としたミンサー(帯)を渡しても受け取るとは思えないけどね」
これにはナズナも言葉を失った。
一番の理解者だと思っていた母親のミクダから否定的な意見を聞くとは思わなかったからだ。
早まる動悸を強靭な意志の力で抑えつつ、ナズナは振り絞るように言葉を発した。
「そんなこと分からないじゃない。私だってもう今年で十六よ」
ナズナは語気を強めて一気に捲くし立てた。
「いくら妹同然に見られていても赤の他人じゃない。だったら私にはトーガと結婚することもできるわ」
突如、ナズナは椅子から立ち上がった。
その勢いがあまりにも強かったため、椅子は激しい音を立てて床を転がる。
「落ち着きな。そんな大声を出したらティンダが飛んでくるよ」
と、ミクダが糸を紡ぐ作業を中断したときだ。
廊下を走る音が近づいてくると、部屋の戸が盛大に開かれた。
「おい、今の声は何だ!」
血相を変えて部屋に入ってきたのはティンダである。
染めたような白髪を頭頂部で結い、緋色地に紫の花が刺繍された愛用の着物を身に纏っていた。
「ほら、来ちまったよ」
ミクダはどっと肩を竦めると、ティンダを無視して再び苧績みの作業を始める。
一方、ティンダは息を荒げていたナズナに顔を向けた。
「一体どうした? 誰か夜這いでも仕掛けてきた奴がいたのか?」
ミクダは小さく頭を振った。
「この子も肝心なところが抜けているから困るよ。真っ昼間から夜這いなんてする奴なんているもんか。いたとしたらそいつはよっぽど間抜けな奴だろうさ」
大きく首を傾げたティンダに対し、突然の闖入者に冷静さを取り戻したナズナは椅子を戻して座り直した。
「何でもない。ちょっと母さんと口論になっただけだから」
「口論って……戸口付近にまでお前の金切り声が響いてきたぞ」
一息ついたティンダは板張りの床に座り込んだ。
「あんまり大声を出すなよ。ただでさえオジィが苛立ってんだ。何たって二日も雨が降り続いたせいで腰痛を治療してくれるトーガを呼べなかったんだからな。まあ、それでも雨が止んだから今日の夕刻までには診に来てくれると思うが」
トーガという名前にナズナは過敏に反応した。
固く握り締めた両手の拳を膝頭の上に乗せ、悲しみの感情を必死に抑えるように全身を震わせる。
そんなナズナを見て感受性が鋭かったティンダは気づいたのだろう。
一言一言区切るようにナズナに声をかける。
「母さんとの口論ってトーガのことなのか?」
ナズナは無言のまま首肯した。
ティンダもミクダと同様に自分がトーガに惚れていると知っている人間だ。
なのでナズナは特に隠す必要もなく口論した内容を訥々と話した。
すべての話を聞き終えるや否や、ティンダは目眉を吊り上げてミクダを睨みつけた。
「母さん、いくら何でもそれは言い過ぎだろう!」
「はいはい、すまなかったね」
ミクダはやおら立ち上がると「そろそろ昼餉の準備でもしようか」と逃げるように部屋から出て行った。
「まったく、母さんは……ナズナ、あまり気にするな。大丈夫、お前の気持ちは絶対にトーガに伝わるさ」
そう励まされてもナズナの気持ちが高揚することはなかった。
それどころか、根拠のない慰めに聞こえたので余計に気分が落ち込んでしまった。
「母さんだけじゃない。トーガとの結婚だけは止めとけってツカサ様にも言われた」
「理由は?」
「トーガの父親は罪人で母親は大和人だったからって」
ティンダは忌々しそうに舌打ちした。
「そんなこと何の理由にもなってないぞ。たとえ両親がどうだろうとトーガはトーガだ」
ティンダは片膝に手を添えて立ち上がると、顔をうつむかせていたナズナに歩み寄る。
「そうだろう? それともお前はカメバァや母さんの忠告を真に受けてトーガとの結婚を諦めるのか?」
「諦めるわけないじゃない!」
ナズナは瞬時に顔を上げ、ティンダに向かって叫んだ。
「私は誰よりもトーガが好き。この思いだけは嘘じゃない。どれだけツカサ様や母さんに反対されようとも絶対にトーガに結婚を申し込みたい。ううん、申し込んで見せる」
「その結果、トーガに断られたとしてもか?」
「思いを告げる前に諦めるよりはいい」
やがてティンダは強張らせていた表情を弛緩させた。
それだけではない。
健康そうな白い歯を口元から覗かせ、目元に若干の涙を浮かべていたナズナの頭を優しく撫でた。
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