秘拳の三  トーガとナズナ

「ナズナ、いたんなら一言ぐらい声を出せ」


 立っていたのは今年で十六歳になるナズナだ。


 日焼けしていない肌はどこまでも白く、ほどよい高さの鼻梁に端整な相貌は清楚というよりも凄艶。


 背中まで垂れた黒髪の艶やかさも相まって実年齢よりも年上に見える。


 けれども美貌の持ち主には変わりない。


 特にここ数年で見違えるほど綺麗になった。


 染物の中でも高級な色とされる黄色の着物にまったく負けていない。


「真っ昼間から精が出ることね。そうやって毎日毎日誰かの肌を触る気分はどう?」


「嫌な言い方をするな。按法の一種である指圧はきちんとした治療の一つだ」


 トーガよりも頭一つ分は背が低いナズナはふんと鼻を鳴らした。


「どうだか。本当は治療と偽って女の肌を触るのが目的なんでしょう? それで夜な夜な一人で興奮しているんだ。いやらしい」


「お前はいつからそんな下種な考えを持つようになったんだ?」


 ナズナは幼馴染であるティンダの妹だ。


 それこそ童子の頃から三人でよく遊んだものだが、昔はもっと素直でおしとやかな女だった気がする。


「下種な考えじゃない。他の女たちがカー(井戸)で噂していたもの。トーガに治療して貰うと身体が火照るって。それって相手を発情させたってことでしょう」


「あのな……」


 トーガは表情を歪めて前髪を掻き毟った。


 ナズナは根本的に勘違いをしている。


 指圧の治療後に身体が熱を持つのは血行の巡りが改善されて調子がよくなった証なのだ。


 それは発情の際に放つ熱とは違う。


「俺は医者だ。誰かが怪我や病気をしたら治療するさ。童子だろうと年寄りだろうと男だろうと女だろうと関係ない。ましてや治療中に女を発情させてどうする?」


「色々とあるじゃない。たとえばその……男と女の関係に……」


「フラー(馬鹿)、それを下種げすな考えって言うんだ」


 拉致が明かないとトーガはナズナの横を通り過ぎようとした。


 しかし、隣を横切ろうとしたときナズナは何を思ったのか右手をむんずと掴んできた。


「何で俺の腕を掴む?」


「何で私の顔を見た途端に帰ろうとするの?」


 トーガは自分の右腕を掴んでいたナズナの手を優しく離した。


「別に他意はない。用事がすんだから帰るだけだ」


「用事がすんだらさっさと帰るわけ?」


「他にどうしろと?」


「水の一杯ぐらい飲んでいきなさいよ」


 なぜか今日のナズナは食い下がってくる。今度は左腕をがっしりと掴んできた。


「いらん。それにお前は着物を織っていた最中だろ?」


「ちょうどナカユクイ(一休み)しようと思っていたところなの!」


 根森村に住む女たちは赤子や病人を除き例外なく着物を織る。


 それは工芸品を産むという行為と自分の好みに合った衣服を作りたいという思いが混同しているからだ。


 ナズナも例外ではない。


 それどころかナズナが織る着物は非常に評判が高く、貿易船を出している石垣島の仲間村では飛ぶように売れているという。


「だが俺にも医者としての仕事があるからな」 


「ちなみに次はどこの家に行くつもり?」


 そうだな、とトーガは空中に視線を彷徨わせた。


「確かマーヤが食欲不振だって聞い」


 その瞬間、ナズナは瞳を爛々と輝かせた。


「ほら、ついに本音が出た! マーヤと言えば踊りが上手い美人じゃない。そうやって医者の立場を利用して女の肌を触るつもりなんでしょう」


「おい、何だか話が堂々巡りしているぞ。とにかく俺はお前が思っているような考えはない。長い付き合いのお前なら俺の性格ぐらい分かっているだろ?」


「それでも気になるの。トーガが他の女の肌を触る姿なんて想像したくない」


「だったら想像するな。俺も妹と思っているお前に変人だと思われたくない」


「妹……」


 表情を曇らせたナズナはトーガの左腕からそっと手を離した。


「そうだ。お前は親友であるティンダの妹。ならば俺にとっても妹同然じゃないか」


 トーガは屈託のない笑みをナズナに向ける。


「分かったら自分の仕事に戻れ。お前の織る着物は俺も気に入っているんだ。また新作ができたら真っ先に売ってくれよ」


 本心だった。


 トーガが所有している着物はほとんどナズナが織ってくれたものだ。


 他の女たちから買った着物も幾つかあるが、やはりナズナが織ってくれた着物が一番着心地がいい。


「お金なんていらない。トーガだったらあげる」


「そうはいかん。きちんと金は払うさ」


 それに、とトーガは言葉を続けた。


「お前は由緒あるチッチビの一人に選ばれたんだろ。着物を金も受け取らずにやるなんて自分の評価を貶めるようなことはするな。他のチッチビたちやツカサ様に叱られるぞ」


「私は好きでチッチビになったわけじゃない」


「そんなことを言うな。チッチビに選ばれるのは光栄なことだと言うじゃないか」


 最後にトーガは快活に笑うと、戸口に向かって歩き出す。


「じゃあな、お互い自分の仕事に励もう」


 ナズナは手を振りながら遠ざかっていくトーガに呟いた。


「クヌ トゥットゥルー ウィキガ(この、鈍感男)」

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