第2章 最初で最後の
第1話 Trail blazer
20年前——人類が第7洞窟に居住し始めた頃——発見されて間もないクリーチャーの討伐を担当していたのは、陸軍を始めとする当時の米国軍だった。世界最強レベルの軍事力を持っていた彼らは、当初こそ洞窟上層部の下級クリーチャーを蹂躙していたわけだが、その限界はすぐに訪れる。避難者の住居スペースを確保する為に洞窟の奥へ進んだ米国軍は、やがて銃火器による攻撃をものともしない中級以上のクリーチャーと対峙する事になるからだ。
たちまち米軍が壊滅の危機に陥り、人類の窮地を悟るアメリカ政府。その後、政府はとある事件をきっかけに、現代技術の限界とジェクトの可能性に気づく事になる。外国との対立が無くなり自衛隊の必要性を失った政府は、程なくして従来の軍隊を解体し、代わりにオブジェクトによって武装された部隊の結成を命じた。この部隊に課せられた目的は、クリーチャーの討伐、及び地球に残された唯一の秘境である洞窟の謎を解明する事。
こうして人類の更なる発展と未知への探求のために暗闇を突き進むことになった彼らを、政府は「開拓者」を意味する【トレイルブレイザー】と名付けたのである。
*****
地恵期20年 4月1日 12時
トレイルブレイザーベース 大講堂
月日は流れ、春が訪れた。2月の受験期間、3月初旬の合否発表を経た4月1日。今日遂に、トレイルブレイザーの入隊式がやって来た。
実技試験の説明でも使われた大講堂には、数人のトレイルブレイザー幹部陣と厳しい試験に合格した130人あまりの新入隊員たちが集まっている。誇り高く堂々とした顔つきの者もいれば、ロボットのように何の反応も示さずに俯いている者もいる。列を成して座る新入隊員の表情が実に多岐に渡っている中で、ロビンは緊張の色を隠すように唇を噛んでいた。
1時間強の入隊式が終わり、式は隊員分けへと移る。そわそわする新入隊員をよそに、壇上には次々と大隊長が上がって新入生の名前を呼んでいく。01、02大隊の発表が終わったかと思うと、壇上の中心に立っていた人物が数歩進んで、マイクの前で止まった。
腰まで伸びた髪は艶やかで、色は若葉の様な柔らかい緑である。トレイルブレイザーが式典で着る黒い礼服をきっちりと身に纏い、その胸元に付けられたバッジが銀色に輝く。トレードマークであるハーフリムの眼鏡を指で押し上げると、実技試験の説明も行っていた眼鏡の女性——ペネトラ・テル——は、この場の誰よりもピンとした姿勢で口を開いた。
「では次に、私ペネトラ・テルが率いる03大隊の新入隊員を発表する。隊員番号02001008……」
トレイルブレイザーの開拓部隊は01~05までの5つの大隊に分かれている。各大隊には100人前後の開拓部隊隊員と20人前後の衛生部隊隊員、10人前後の研究部隊隊員が在籍しており、開拓部隊に関しては毎年各大隊に20人ほどの新入隊員が配属される。大隊分けの基準となるのは、実技試験によって採られた戦闘データや筆記試験の成績。それらに基づいて、戦力バランスや相性を考えて配置される。
「隊員番号02001014 ファレム・ワテラロンド」
「は、はい!」
ロビンより2列後ろに座っていたファレムが、ペネトラの呼びかけに応じて起立した。試験で着用していた赤いドレスとは打って変わって、きちんとしたトレイルブレイザーの礼服を着た彼女は、戦闘員にしては随分とか弱気に見える。僅かばかりに赤らんだその頬から、彼女も緊張しているのだという事が見て取れた。
「隊員番号02001025 イーロン・エルフォンド」
「はい!」
名前が呼ばれた途端、ロビンの左隣に座っていたイーロンが胸を張って勢いよく起立した。礼服を着た彼の体躯は年下とは思えないほど逞しい。胸元に付けられたブロンズバッジがきらりと光を反射して、その煌めきにロビンは目を奪われた。
ブロンズバッジとは、トレイルブレイザーの礼服に付けられるトレイルブレイザーの証である。五角形の中に納まる5つの星は、それぞれ「勇気」「力」「信念」「希望」「慈悲」を表わすとされ、階級が上がる毎に、「シルバーバッジ」「ゴールドバッジ」「プラチナバッジ」が贈呈される。
ロビンは自分のブロンズバッジを握り、ふと右の空席を見つめた。いるはずだった男の姿はここには無い。こうなるだろうと知ってはいたものの、改めてその現実を突きつけられると妙な寂しさに襲われた。
「隊員番号02001053 ネリア」
「は~い」
気の抜けた返事を耳にして、ロビンはふと声のした方向に視線をやる。呼びかけと同時に立ち上がったのは、乱れたボブカットをした赤髪の女性だった。スリムな体型とふざけているようで凛とした表情。猫のように伸びをする彼女はがさつそうな印象を与えるが、ロビンは何故かそんな彼女に惹かれるものを感じた。視線に気づいたネリアという女が横目でちらりとロビンに視線を移す。彼女と目が合った事に焦ったロビンは急いで目の前に視線を戻し、咳払いをして気を紛らわした。
「おい、どうしたんだロビン?」
「何でもないよ。というか、まだ大隊分けの途中なんだから話しちゃダメだよ」
「ちぇっ、つまんねえの」
私語を注意されたイーロンは呆れたように舌打ちをした。その行為を視線で咎めようとした時、壇上のペネトラ大隊長が口を開いた。
「隊員番号02001080 ロビン・クィリネス」
「はい!」
名を呼ばれ、ロビンは勢いよく起立した。立った状態で講堂を見下ろしてみると、壇上の左側に座っていた大柄な女性と目が合った。その瞬間、彼女の女豹のような瞳から発せられるビリリとした殺気がロビンの身体を駆け巡った。全身の毛が逆立ち、背筋にヒヤリと悪寒が走る。蛇に睨まれた蛙のように、不意を突かれたロビンは思わず身体が凍った。
「早速ガン飛ばしてんじゃねえよ」
「何を言うか。品定めをしているだけだろ?まあ、この程度の殺気に慄いているようなら、どのみち先は短そうだがな」
「お前なぁ…」
ロビンを睨む大柄な女性を横から小突いたのは、彼女よりも更に大柄な男、トレイルブレイザー開拓部隊総隊長のライデン・ボルティアである。会話の内容は知らないものの、ライデンの助け舟によって正気を取り戻したロビンは、全身から力が抜けて倒れ込むように着席した。
「おい馬鹿!なに座ってんだ!?」
イーロンの小声の叱責に我を取り戻したロビンは慌てて立ち上がるも、緊張と羞恥心で顔を真っ赤にした彼を見て、壇上のペネトラはちらりと真横に視線を移した。状況を理解したペネトラがもう一度ロビンの姿を確認すると、表情を一切変えずに再び新入隊員の読み上げに戻った。眼鏡の奥で光る彼女の冷たい眼に晒されて、ロビンは再度体が硬直した。
「…以上、第19期03大隊。敬礼」
ペネトラの言葉と同時に、起立していた03大隊の同期が一斉に右手を頭まで上げ、挙手の敬礼を行った。それに対してペネトラも答礼を返すと、着席の指示と共にロビン達は機敏に腰を下ろす。ただの大隊分けにここまでプレッシャーを受けると想定していなかったロビンは、心臓の音をバクバクと立てながら静かに深呼吸を繰り返した。
「おいロビン。お前大丈夫か…?」
「今の2人の視線、まるで人間のものとは思えなかった。その辺のクリーチャーなんかよりもずっと威圧感がある。こんな場所、命がいくつあっても足らないよ…!」
そう嘆くロビンの額からは数滴の冷や汗がこぼれ落ち、圧力からようやく解放された体は魂が抜けたように背もたれに寄りかかった。そんな一部始終を間近で見ていたイーロンも、苦笑いを浮かべながら肝を冷やしたのだった。
それからしばらくすると大隊分けも終わり、まともな昼食も取れないまま次の場所への移動が命じられた。案内役の隊員の後に続きながら、ユーサリアの地下に張り巡らされた連絡通路をひたすら歩く。その間も一切の私語は許されず、狭い通路に響き渡るのは数十人の足音のみ。十数分歩いたところで外に出ると、見上げるほど巨大な鋼鉄の板と、その前に並ぶ数人の先輩隊員が視界に現れた。
「まずは入隊式ご苦労!しかし申し訳ないが、君達に休憩するような時間はほとんど用意されていない。これから行うのは、君達がトレイルブレイザーとして活躍するにおいて欠かせない訓練。その名も、模擬開拓演習だ!」
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