第11話 遠い記憶
尻尾だ。矮小な小人の策など見透かしていたと言わんばかりに、ジャイアントエレファントは無情にも己の尻尾で土の柱を粉々に粉砕したのだ。
レハトの顔からサッと血の気が引いた。遥か前方から、囮になってくれたロビン達の悲鳴が聞こえる。下方では、ファレムや近接攻撃部隊の受験生らが懸命にクリーチャ―と戦闘しているのが見える。全員がレハトの勝利の為にその命を賭けていた。にもかかわらず、彼はその期待に応えることが出来ないまま、勝利の術を失った。重力に従って彼の体は急降下し、鼠色の壁に嘲笑われるがままに落ちていく。絶望の色が彼の顔を染めかけた。
「諦めてんじゃねぇぜ!」
突如として、何かがレハトの足首を掴む。目を見張った。その足を掴んでいたのは、泥に塗れながらもこの高さまでジャンプし、未だ絶望の色を知らぬイーロンだったからだ。
「おま…嘘だろ⁉」
驚嘆するレハトの顔を見上げて、イーロンは泥まみれの顔で笑ってみせた。そのままイーロンは上体を反らし、左脚を曲げて投球の構えを見せる。レハトの足を掴んだ右腕に力を籠め、斜めに伸ばしたと思うと、肩から腕にかけての筋肉に血を迸らせる。
「行けぇぇぇぇぇ!!!!!」
90㎏あるレハトの体が、スリークォーターの要領で勢いよく投げ出された。イーロンの化け物じみた剛腕と跳躍力に仰天しつつ、空を飛ぶレハト。飛行しながら空中で態勢を立て直すと、迫るジャイアントエレファントの背中に向かって受け身をしながら着地した。
「助かった、イーロン!」
振り返らずに感謝の言葉を伝え、真っすぐ前を向く。その顔には再び希望の色が浮かび、レハトの全身に力を与えた。強く踏み込みんで風を切る。僅かに胎動する鼠色の大地から足を滑らせない様に持ち前の俊足で一気に駆け抜けると、あっという間に頭部に辿り着いた。そこから伸びる鼻の先で、数人の受験生が苦しそうに締め上げられているのが目に入る。
時間はほとんど残されていない。一撃で仕留める必要があった。
一つ深呼吸を置く。取り込まれた酸素はレハトの細胞一つ一つに僅かばかりの力を与え、逸る気持ちを落ち着かせてくれた。グランディウスの柄を固く握りしめ直し、歯を食いしばる。大きく開いた足は次の衝撃に備える土台となり、力を籠める為の礎となる。それぞれの想いと覚悟を胸に抱きながら、グランディウスを高く、高く振り上げ、力の限り大地に叩き付け、叫んだ。
━━━━━「ソイルクラッシャー」━━━━━
鈍色の衝動が巨象の皮膚を、血管を、頭蓋を伝って脳に響く。それは留まる事を知らずに巨象の全身を伝導し、そのまま会場中に軽い地震さえ発生させる。上方からの強烈な力に押し込まれて、ジャイアントエレファントの脚はされるがままに土に埋まる。激しい土煙を伴いながら、会場はあまりの衝撃によって静寂に包まれた。
「やった、のか…?」
誰かがそう言った。腹の底にずっしりと響くような爆音を伴って、その衝撃は辺り一帯を揺らした。地中に飛び出していたクリーチャーが地中へと避難したおかげで脅威から解放された受験生達は、今度はその衝撃に視線を奪われ、呆然と土煙の中を眺めている。
しばしの沈黙の末に、煙が僅かに晴れた。その先に見えたのはピクリとも動かない丘の上に立った人影だった。汗を流し、髪を乱し、それでも尚力強く地に立ったレハトの姿だった。
歓声が上がる。英雄を称える賛美の歓声が。恐怖から一転して喜びに包まれた受験生らの声が高らかに会場に響く。その様子を眺めていたロビンも、安堵の表情でレハトの姿を見上げていた。
そんな歓声に包まれながら飛び降りようとしたレハト。その瞬間、彼はふと、踏みしめる鼠色の大地から妙な違和感を覚えた。
(……何だ?)
刹那、レハトの足元が揺らいだ。回避する暇も与えず、恐るべき速さで側方から飛んできた物体がレハトの体をきつく縛り付ける。
「ぐっ…!こいつ、まだ、生きて…っ!?」
根元から先端にかけて、鼠色と薄いピンク色のグラデーションで彩られた肉肉しい鼻が、レハトの胴体を強く巻き取り離さない。その力は万力のように強く、レハトの背骨や肋骨が悲鳴を上げた。力を失ったレハトの腕からグランディウスが転げ落ち、彼の顔が苦悶に満ちる。体内で内蔵同士が圧迫され、ちぎれた血管から血液が噴き出し、レハトの胴体が内出血で赤黒く染まった。
「ぐぅぅぅっ、あ“あ”あ“ぁぁぁっっっ!!!!!」
「レハト!!!」
前方から一部始終を見ていたロビンが思わず叫ぶ。
助けなければ。
そう思って即座に数発の矢を撃ったが、ジャイアントエレファントの肉体には傷一つつかない。助けを求める様に周りの受験生たちの顔を見渡したものの、彼らはその脅威に恐れをなすばかりで、こちらの声など耳に届いてすらいなかった。
(どうする…。どうすればレハトを助けられる…!?)
ロビンが懸念していた更なる問題点。それはジャイアントエレファントのタフさにあった。全クリーチャーの中でもトップクラスの体躯を誇るジャイアントエレファントは、タフさにおいても大抵の上級クリーチャーを凌ぐ。個体によっては水素爆弾レベルの力を与えても生きていたという情報さえある。とはいえそれは、頭部以外の場所を攻撃した際の話。頭部にさえダメージを与えられれば問題無いからと、その情報は無視していたのだ。
とにかく、ロビンが必死に策を講じる間にもレハトの背骨は着実に軋んでいた。
試験が終了するまで残り1分。それまでにレハトの体が持つとは到底思えない。1秒でも早くレハトを助けなければ、死ななかったとしても甚大な後遺症は免れない。そうなればトレイルブレイザーになるという夢はどうなる?
呼吸が荒くなる。鼓動が速くなる。しかし皮肉なことに、急ごうと思えば思う程に思考は鈍くなる。そのせいで平静を失ったロビンの脳には、策など微塵も浮かばなかった。1秒、また1秒と時は経過する。しかし新たな策を考え、それを実行する時間など、既に残されていない事を悟った。
────だからこそ、
ビュンッ
ロビンは再び矢を撃った。何度も何度も、繰り返し。無駄だと分かっていながら、歯を食いしばりながら撃ち続けた。それに気づいたレハトは苦しそうな表情から一変、微かに表情を緩めたように見えた。
「助けるんだ」
「ロビ…ン…?」
「助けるんだよ!まだ何も始まってすらいないんだ!こんな所で絶対に終わらせない…終わらせたくない!だから、だからさっさと倒れろ!馬鹿野郎ォッ!!」
ロビンの嘆き虚しく、ジャイアントエレファントは一向にその連撃に怯む様子は無い。かえってレハトを縛り付ける力は強くなる一方で、彼の表情がより一層苦悶に包まれるばかりであった。それでも尚、ロビンは諦める事をやめなかった。
「まだ、諦めて………たまるもんかぁァァァッッッ!!!!!」
今朝からずっと嫌気がさしていた。14年間も準備をしていたのに、今になって急に死への恐怖を感じてトレイルブレイザーを諦めようとした自分の愚かさに。ライデンやレハトから激励されても試験中震えが止まらない自分の臆病さに。
逃げたかった。逃げ出してしまいたかった。けれどレハトの命の灯だけは、この命に代えても消させる訳にはいかない。
だって彼は、僕の
風が巻き起こる。砂塵取り巻く旋風が瞳に浮かべた涙を、恐怖を、震えを吹き飛ばす。そしてロビンの覚悟に応える様にして、アマテラスが微かに光った。鮮やかな緑の光を纏って。
────キィィィィィン
突如として優しい音がロビンの耳を包む。音に吸い込まれるようにして、彼は一瞬気を失った。
「起きて」
脳内に響いた声で、ロビンは目を覚ました。
甘くて綺麗な香りが体を包み、サラサラとした川のせせらぎだけが聞こえて来る。
綺麗な花々が広がる平原に立っていた。頭上には果てしない青い空が広がり、ふかふかの翼を広げた小鳥が空を飛んでさえずりを奏でていた。目に映る景色が昔読んだ本の景色と重なりあう。何物にも代え難い、とても美しい世界だった。
「青空…?」
気づくと、目には涙が溢れていた。しかしそれは悲しさからではなく、寧ろ嬉し涙に近かった。どこまでもどこまでも広がる透き通るような青。そんな空の美しさにこの上ない感動を覚えたのだから。
ふと、どこからか視線を感じた。気配を追って辺りを見回すと、小川の向こうに白いワンピースを着た黒髪の少女がこちらを見ている。しかし遠くて顔は見えない。
少女の方へ行こうと、ロビンは一歩踏み出す。その時、彼は自分の手にアマテラスが握られている事に気づいた。ところがそれはこれまで見た事ない程に鮮やかな緑色に光り輝いて、とても神秘的なオーラを纏っていた。
しかし、どうしてこんなにも強く輝いているのだろうかという疑問はすぐに頭から抜けた。ロビンの頭と体は、既に導かれるようにしてアマテラスを構えていたからだ。誰かに操られるようにして、ロビンは無意識に矢を放つ動作をする。その瞬間、どこからともなく強烈な突風が吹き荒れ、目の前の景色ごと吹き飛ばしていった────。
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試験開始28分時点 獲得ポイント数
レハト・・・・・106pt
ロビン・・・・・65pt
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