第10話 湿地での攻防

地恵期20年2月10日

ユーサリア トレイルブレイザーベース 実技試験専用会場 14時22分



「砲撃開始!!!」


 ロビンが声を張り上げるのと同時に、何十という銃声や爆撃音が轟き、会場を揺らした。各地で戦闘していた他の受験生達もそれに反応して、会場中心にいる巨象に思わず視線を向ける。


「おいおい、マジであんな化け物と戦ってんのかよ!?」

「大人しく逃げてりゃいいってのに、命知らずな奴らもいたもんだな…」


 彼らの行動に対して呆れの感情を抱いているその他多数の受験生らの言葉など知りもせず、ロビン率いる遠隔攻撃部隊は目の前の脅威を打ち破らんと懸命に作戦を実行していた。


 先程の地割れは、近接攻撃部隊がジャイアントエレファントに接近したことにより行われた攻撃であった。つまり、遠隔攻撃部隊は鼻と象牙の射程より離れた所から牽制を行い、近接攻撃部隊はレハトが後ろに回り込むまでのフォローに回る。こうする事で、先程の地割れにも十分対応出来る距離を保ちつつ、攻撃が出来る。これが、各々が持つ武器によって二手に分かれた意図である。案の定、彼らの銃撃がジャイアントエレファントに致命傷を与えられていないのは明らかであったものの、注意を引くには十分すぎる程のダメージは孕んでいた。

 時を同じくして、徐々に彼らとの距離を縮めていくジャイアントエレファントの側方では、後ろに回り込もうと全力疾走しているレハトら近接攻撃部隊の姿があった。


「見てみろよレハト!派手にドンパチやってやがるぜ!」

「ああ。あいつらが追い詰められない内に早く回り込むぞ!」

 

 そう言ってスピードを上げるレハトの足元を、覚えのある違和感が襲う。突如として感じたその感覚の正体を思い出して、レハトは高く跳び上がった。

 

「同じ手を何度も喰らうかよ!」


 振り返りざまに回した蹴りが、地面から突き出したタイトゥンワームの頭部に直撃する。ゴニュッというグロテスクな感触を感じながら、レハトは勢いのままタイトゥンワームの頭部を蹴り飛ばした。


「まだまだ来るぞ、イーロン!」

「分かってるっつーのっ!」


 イーロンの爪先からビンクの口が飛び出し、鼻先をかすめる。寸での所で回避したイーロンは、その腹部に強烈なストレートパンチを浴びせた。


「くたばれ化け物ォッ!!!」


 不快な金切り声と共に弾け飛んだタイトゥンワームの肉片が、泥をピンク色に染め上げる。頭上の惨状に反応してか、何匹ものタイトゥンワームが次から次へと姿を現し、2人の前に立ち塞がる。しかし2人は背中をピタリと合わせ、微塵も怯むことなくタイトゥンワーム達と対峙した。


「これじゃあ埒が明かねぇ!動くなよイーロン!」

「おうよ!」


 その言葉と同時に、レハトは大地を思い切りグランディウスで叩いた。その衝撃は波紋の如く円形に広がり、2人を囲むように地面が波打つ。生じた波動は地面の奥底まで伝播し、周囲のタイトゥンワームを怯ませた。

 その時、グランディウスに埋められた鈍色の〈土〉のジェクトが反応し、2人の踏みしめる大地が一瞬にして硬化した。身動きが取れなくなった一瞬の隙をついて、今度はその土が複数の棘の様に尖り、全てのタイトゥンワームの腹部に風穴を開けていった。

 2人は泥に覆われたタイトゥンワームの森を抜け、代わりに少々の草が生えた湿原へと出る。先程までより地盤が固くなり走りやすくなったものの、その先に待っていたのは30㎝以上の長い翅を持つ蜻蛉型下級クリーチャー{フロートドラゴンフライ}の群れであった。


「ちっ!次から次へと!」


 レハトの都合など知る由もなく、青い複眼を持ったフロートドラゴンフライは翅を微動させながらキレのある浮遊で2人を翻弄する。攻撃範囲が狭い2人には非常の相性の悪い敵であり、隙を見て体に食らいつこうとするのを回避するので精一杯。そんな苦戦を救ったのは、幾つもの光の斬撃だった。


「ここは私達に任せてください!」

「遠隔攻撃部隊も壁に追いやられ始めてます!早く!」


 2人の俊足から遅れてようやくやって来た近接攻撃部隊の面々。奇襲によって切り伏せられたフロートドラゴンフライの死体がぼたぼたと草に落ち、その血が彼らの剣先から滴り落ちている。


「助かった!ここは任せるぞ!」


 レハトは振り向きざまに彼らに感謝すると、イーロンと共に更なる先へと急ぐ。しかし、2人が抜けていった群れの穴はすぐさま新しいフロートドラゴンフライに埋め尽くされ、囲まれた近接攻撃部隊は、互いに背中を合わせ剣や槍を構える。


「先に行けだなんてかっこつけたはいいものの、僕達にとっても相性良くないんですよね…」

「仕方ないですよ。何とか切り抜けましょう!」


 それから間もなくして、湿地を走っていた2人の周りには次第に小規模の湖沼が現れるようになっていた。水面は泥を多量に含んだせいで茶色く濁っており、水中の様子が全く見えない。沼底で発酵したヘドロが悪臭を帯び、辺りには酷い臭いが充満している。

 ロビンの事前情報によれば、ジャイアントエレファントの視野角は約340度。完全に視野の外側に行く為には、後方20度まで回り込んでから攻め込む必要がある。そしてそのジャイアントエレファントの死角に辿り着くまであと数m程になった時である。

 鳴動。大地を震わす鳴動が、彼らの耳に響き渡った。驚いて音のした方──ジャイアントエレファントの前方──に目をやると、ロビンら遠隔攻撃部隊がジャイアントエレファントの長い鼻に襲われている姿が瞳に映ったのだ。


「ロビン!みんなッ!!」


 囮である遠隔攻撃部隊の牽制は長く持たない。それこそが、ロビンが懸念していた複数の問題点の一つであった。

 予期せぬ形で大量投入されたマンパワーによってロビンの考案した作戦は限りなく成功に近づいたわけだが、もしもクリーチャーに阻まれるなどしてレハトの攻撃が遅れた場合、ジャイアントエレファントの囮となっている遠隔攻撃部隊は少しずつ会場の端へと追いやられ、やがて逃げ道を失ってしまう。壁に追い詰められたら最後、広範囲攻撃を得意とするジャイアントエレファントにとっては、彼らは格好の餌食となってしまうのだ。無論壁際に追い詰められないように横方向に逃げるという選択肢もあったものの、地中にクリーチャーが潜んでいる都合上、下手な移動は死に直結する。

 実際のところ、ジャイアントエレファントの射程と移動速度はロビンの予想を遥かに上回っていた。追い詰められた遠隔攻撃部隊の面々は、ジャイアントエレファントの鼻に巻き付かれて体を締め上げられるか、或いは刺激を受けて飛び出してきた地中のクリーチャーの餌食になるかの二択に迫られたのである。


「ぐああぁっ!!!」


 追い打ちをかけるかの如く、突然レハトの背後を断末魔が襲った。咄嗟に振り返るも、後ろで走っていたはずのイーロンの姿が見えない。背筋の毛をひんやりと刺す寒気に鳥肌を立たせつつ、レハトは注意深く周囲の気配を探る。


(沼の中に引きずり込まれた?敵は地中から来るのか?それとも水中?どんなクリーチャーだ…?)


 試験が始まる頃から、レハトは一つ深く後悔していた事がある。それは“というものだ。

 試験説明の際、予め出現するクリーチャーの名前と画像が明かされたものの、その詳細については少しも言及されなかった。ロビンの様に情報をしっかり知っていれば、開示された情報を基にどんな状況にも対応する術が思いつくであろう。

 しかし、レハトはクリーチャーについての情報を全くと言っていいほど知らない。戦闘においては生まれ持った鋭い直感と運動神経で、のが彼のセオリーだったからである。故にレハトは、唐突な状況変化に対して直感に頼る以外の作戦を何一つ生み出す事が出来なかった。


 ごぼっ


 足元の泥が泡を吹く。研ぎ澄まされた直感が瞬時に反応し、即座に回避するが、何も起きない。一瞬の出来事に嫌な違和感を覚えたその刹那、再び彼の足元が動いた。

 にゅるりと、ぬめった皮膚がレハトの脛を捕らえた。皮膚にまとわりついた粘液が外気に触れた瞬間に粘度を増したかと思うと、糊のようにくっつき逃がさない。泥沼からピンと触角が突き出し、目の無いはずのソレがこちらを睨んだ。液体の様にぶよりとした感触が、レハトの神経を辿って全身に伝わり、身を震わす。


「こいつ…何だ…!?」


{スロウスラッグ}

ナメクジ型中級クリーチャーのスロウスラッグの皮膚には、黒い斑点が浮かび、そのゼリー状の体はあらゆる打撃や斬撃を受け流す。体長は長く、その体躯を生かして獲物を泥沼に引きずり込み捕食する。

 微塵の感情も感じさせないその頭部を見つめながら、レハトは必死にもがいた。


「くそっ!お前なんかに構ってる暇はねぇんだよ!離しやがれぇっ!!」


 レハトの抵抗虚しく、底なし沼が無常にレハトの体を飲み込んでいく。かろうじて地上に手放したグランディウスの柄を持って抜け出そうと試みるが、もがく程に体は沈みを速める。そして首の辺りまで埋まり切るかに見えたその時、レハトの周囲が突然高温を帯びた。

 ドパァッ、と泥が急に盛り上がり、スロウスラッグが姿を現す。引きずり込む力から解放されたレハトは、すぐさまグランディウスを頼りに沼を抜け出し、状況を確認した。


「あんたの友達もやっぱり馬鹿なのね。射撃ができる人間を全員向こうに置いちゃったら、こっちで必要になった時どうするのかしら?」


 声が聞こえる。少し離れた地点から聞こえたのは可愛らしくも嫌みの籠った声。その主の正体に気づき、レハトは目を見開いた。


「てっきり逃げたと思ってたぞ…!」

「勘違いしないでよね。触発されたとかそんなんじゃないから」


 赤いドレスと茶髪のツインテールが特徴的な少女は、沼から数歩離れた安全な場所に立ち、少々引き攣った表情で火炎弾を敵に命中させる。悲鳴こそ出さないものの、何度も炎を当てられて過剰に暴れるその姿から、スロウスラッグが苦しんでいる事は火を見るよりも明らかだった。


「ぬ、沼の中が住処なら乾燥に弱いって事でしょ?ここから攻撃しちゃえばこんなの雑魚同然ね!」


 スロウスラッグのグロテスクな姿に若干の恐怖心を抱いているせいか、最初の数発こそ躊躇いがちだったものの、自分が安全圏から一方的に攻撃できているのがよほど安心なのか、攻撃を当てる毎にその正確性は増していき、表情も余裕を持ったものに変わっていく。

 気づけば、悶えるスロウスラッグの反対側からは、イーロンが装着していた鉄製のガントレットが僅かに突き出ていた。レハトは急いでその腕を引っ張り上げると、沼の中から泥にまみれたイーロンがずぷりと引き上げられる。最早印象的な茶髪も黒いジャケットも泥にコーティングされてしまっているが、幸いなことに微かに息をしているのは見て取れた。


「よし、こいつは無事みてぇだな…。そのナメクジは任せたぞ!」

「えっ!?ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!私を一人にする気!?」


 レハトは振り向きざまに感謝の意を伝えると、焦る少女の返答を待たずしてあっという間にその場を離れる。取り残された少女は目の前の怪物の姿に怯みこそするものの、下唇を噛みながら、ブレる標準を両手で補正し、灼熱の火炎弾をスロウスラッグに当て続けるのだった。


 獲物を飲み込まんとする沼に体を落とさぬよう気を付けながら、レハトは泥を跳ね飛ばしつつ駆け抜ける。間もなくして辿り着いたのは、ジャイアントエレファントのすぐ真後ろ。正面で垂れ下がっている尻尾は太く巨大でこそあるものの、何ら変哲の無い代物であり、ジャイアントエレファントがこちらの存在に気付いているような様子も見えない。不意を衝いて体に乗るには、正に絶好のチャンスであった。


(今なら…行けるっ!)


 グランディウスで力任せに大地を叩く。途端に現れた巨大な土の柱は、ジャイアントエレファントの背中目掛けて、最短の距離で斜めに突き出す。その先端に立ったレハトは、ロビン達を蹂躙している巨象を鬼の形相で睨んでいた。もう少しでその背中に手が届く。その体を木端微塵に砕いてやろうと全身の筋肉を震わせたその瞬間、彼の視界の隅で何かが動いた。


 グワンッッ!!



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試験開始27分時点 獲得ポイント数

レハト・・・・・106pt

ロビン・・・・・65pt

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