③
クイズタイトル『感謝されるサイコパス』
サイコパスのヤスナリは毎日毎日ハンマーで子供の頭蓋をかち割り、脳漿が飛び散ってできた染みを見てその日の運勢を占い一喜一憂していた。
ある日ヤスナリは、女子高生のコマコの幼い妹の頭蓋を彼女の目の前で粉砕した。脳漿は広範囲に広がり、コマコにも掛かってしまった。
脳漿染み占いは女難を示しており落胆するヤスナリに、コマコは言った。
「ありがとうございます!」
なぜ?
え、何でだろ?
と首をかしげたりはせずにわたしは夏目君を見ていた。答えはわたしにはわからないけれど、もしかしたら夏目君にもわからないかもしれないけれど、わたしのために考えてくれている彼を見つめていたかった。
無表情の、少し冷たくも
正解できなかったとしても、この夏の情景を見られただけで満足だった。
一秒、二秒と時間が過ぎてゆく。夏目君の口は閉ざされたままで開く気配はない。やっぱり質問できないと彼でも難しいのかもしれない。
不正解のときどうやって慰めよう、とわたしは考えはじめた。
気にしてないと伝える?
でもそれだと気を遣われたと思ってプライドが傷つくかな。
少し不機嫌なふりをして確実に獲得できそうなほかの物を要求する?
演技が上手くできるか不安だけど、夏目君の性格を考えるとこっちのほうが気持ちの落としどころができていいかもしれない。無償の親切や同情には常に疑いと警戒を持つ彼には。
不意に、「──ふんっ」と夏目君がいつものように皮肉に嗤った。わたしの、彼と二人だけだった世界に余計な音が戻る。くだらねえ、とささやいてから彼は答えを口にした。
「正解は、世界がゾンビパニックに陥っているから」
あ、とか、おー、とか周りの子たちや大人たちが、まだ正解だと決まったわけではないからか控えめな声を発した。
二、三秒の後、リーゼントのおじさんはもったいをつけるように口角を吊り上げ、「正解だ」と告げた。
おおー! と今度こそ大きな歓声が上がった。不揃いに膨れ上がった拍手のリズムが、どこからか流れてくるJ-POPを一瞬だけ打ち消した。
「どうしてわかったんだ?」リーゼントのおじさんは悔しさのないさっぱりとした表情だった。「直感か?」
「はあ? 説明しなきゃいけねえの? めんどーなんだけど」
そう言う夏目君に、「せっかくだし、教えてあげれば」とわたしは言った。
嫌そうに顔を歪めて溜め息をついた夏目君は、しゃーねえな、とつぶやき、リーゼントのおじさんに顔の向きを戻し、口を開く。
「一番に着目したのは、『頭蓋をかち割り』っつー言い回しだ。あえて〈殺す〉と言わずにそう表現したからには何か理由があんじゃねえかと疑った。で、思ったのが、生きた生物を対象としていないから〈殺す〉って言葉が使えないって可能性だ。であれば、その非生物の『幼い妹』に襲われていたところを助けられたからコマコは礼を述べたと考えるのが最も妥当だ」
無言でうなずくリーゼントのおじさんに夏目君は続ける。
「となると、ウミガメのスープにありがちな特殊設定もの。問題文から矛盾も無理もなく導かれる非現実的シチュエーションは何かと考えると、『幼い妹』って設定が鍵になっているとわかる。通常の身体能力の『幼い妹』に殺されそうになったとしても、肉体的には成人と遜色ない高校生のコマコであれば助けを待たずに撃退できたはずだ。つまり、特殊設定は『幼い妹』の状態、とりわけ殺傷能力を強化する方向で意味を成していると推測できる。
ここで『頭蓋をかち割り』が示すもう一つの意味、解答者への第二のヒントが限定される。ドタマを破壊するなんて猟奇的なやり方に動揺もせずにノータイムで感謝を口にするってことは、コマコがキチガイであるか、その世界がイカれてるかだろうと考えていたが、その一方を除外できた。〈コマコがキチガイである〉もある種の特殊設定と言えるところ、これは『幼い妹』の非生物化や殺傷能力の強化とは馴染まない──言い換えると、コマコにまで影響があるのならば、彼女の殺傷能力も『幼い妹』を撃退できる程度まで引き上げられているはずなのにそうはなっていないからだ。連関しない二つの特殊設定が解答として存在するなら話は別だが、ウミガメのスープでそれは一般的ではない。したがって、〈コマコがキチガイである〉可能性は除外してもいいと判断した。
あとは、『ヤスナリ』『コマコ』『女子高生』という名詞から想定される現代の日本を舞台としていてもおかしくなくて、『幼い妹』を非生物化させつつその殺傷能力を強化する、世界規模の特殊設定ってなると──ゾンビパニックなら整合性があるなって思ったわけ。例外はあるが、一般的にゾンビの倒し方は頭部又は脳の破壊だからその点も矛盾はない」そして最後に、はい解答解説終了これで満足か、と夏目君は吐き捨てるように言った。
解説に聞き入っていた観客から、ほーう、と
リーゼントのおじさんは、ぱちぱちと乾いた拍手をした。「パーフェクトだ。斜に構えた腹立たしい面したクソガキのくせにやるじゃねえか」
「はっ、そう褒めんなよ」馬鹿にするように嗤う夏目君は、期待に応えているかのよう。「あんたの敗因は、〈質問禁止〉にしておきながら論理的に考えれば答えにたどり着けるフェアな問題にしようとしたところだ。一見、〈質問禁止〉は難易度を上げているように見えるが、フェアにしようとするとその性質はパラドキシカルに反転する──要は、伏線を入れなきゃならねえからヒントを増やさざるを得なくなっちまう。サイコパスだとか脳漿染み占いだとかセンセーショナルで目を惹くワードを入れたのも苦し紛れの目めくらましなんだろ? 開き直ってアンフェアクイズにすりゃ楽だし景品も取られねえですむのによ、ご苦労なこった」
痛いところを衝かれたのか、リーゼントのおじさんはクロワッサンヘアから目の上に垂れた後れ毛をくるくると指で掻き回した。「だってよ、伏線なしの夢オチは嫌だろ? 叙述トリックの出来の半分は伏線で決まるんだよ。そこは妥協できなかった」
「残りの半分は、何で決まるの?」
わたしは尋ねていた。まさか頭痛薬のように優しさで、というわけじゃないでしょ?
「そりゃお前」と夏目君とリーゼントのおじさんの声が同時に言った。けれどその先は、
「叙述トリック以外の出来だ」「意外性だ」
と意見が分かれた。前者が夏目君で後者がリーゼントのおじさんだ。二人は顔を見合せ、鏡に映したかのように同じタイミングで眉を集めた。
仲いいね、と頬が緩む。場に、忍ぶ気のない大きな笑いが、どっと溢れた──次の瞬間、
──ちっ。
温かな空気の流れに逆らうような舌打ちの音が、鼓膜をちくりと刺した。と思う。
とっさに周囲に視線を走らせた。けれど、縁もゆかりもない他人の顔しか映らない。不思議そうにわたしを見返す知らない瞳に、どこにも知り合いのいない孤独な世界に突然立たされたかのような錯覚が一瞬だけ起きた。
「何でアホ面してんの?」
夏目君の声に小さくかぶりを振って答えた。「何でもない」
空耳だったのだろう。たまにあること。
けれど、すっと冷える感覚が、名残の雪のように胸の奥にこびりついていた。
それから夕方までわたしたちは、商店街を歩き回りお祭りを楽しんだ。喉の奥に引っかかる小骨のような不安はあったのだけれど、巾着と肩を寄せ合って揺れるティファニーブルーの紙袋が目に入るたびにその気持ちは薄れていった。問題なんか何一つ起きなかったし、自然と、きっと
わたしのうちの門限の十七時が迫ると夏目君は、「そろそろ帰るか」と提案するように言った。「腹は……まあ別に減ってねえけど。冷房が恋しいしな」なんて謎の言い訳を付け足した。
「いっぱい食べたもんね」
わたしは少しあきれていた。
俺には賭け将棋で稼いだ金がある、と通りの真ん中で宣言した夏目君は、お祭りというは食べることと見つけたり、とばかりに甘い物を中心に食べまくっていた。それで痩せてるんだから不公平も甚だしい。「常に頭を使ってるから糖はむしろ不足してる。デブは怠惰と甘えと低能の結果だ。そういうどうしようもねえ卑しくて醜悪なクズか、残念で滑稽な病気でもねえ限りぶくぶくデブることはねえよ」ということらしいけれど、彼の脳内はブラックボックスなので真偽は定かではない。
まだまだ明るい住宅街を肩を並べて歩き、あっという間にわたしの家の前まで来てしまった。
胸がどきどきと姦しい。頬どころか首から上、全部が熱い。それらは、お祭り会場を出た辺りから芽生えていたある企みのせいだった。
わたしは門扉を背に立ち尽くしてもじもじしていた。
その、明らかに挙動のおかしい、下手をするとおしっこを我慢しているようにも見えかねないわたしを見て夏目君は、不審そうに片方の眉を上げた。「着いたんだから早く帰れば」と突き放すように言ってくる。
ドライなだけでは飽き足らずアイスでもある物言いにも慣れたものなので、へこたれたりはしない。ぐっと心の中で拳を握りしめ、そしたら実際の手にも力が入って巾着と紙袋がそよめき、耳元に寄せられた唇の隙間からそっと吹き込まれるささやきのように
「な、夏目君!」
思いがけず大きな声が出てしまった。でも、気持ちの勢いに従うことをわたしは選んだ。
「何」夏目君は対照的に冷めたものだ。
「今日は、ありがと!」
「んー、どーいた──」しまして、と言おうとしたのだろう夏目君の薄い唇に、わたしのそれを重ねた。
──つもりだったのだけれど、ほとんど目をつぶっていたせいで少しずれてしまったかもしれない。でも、わざわざやり直すのも、何だかやらしいし、とても間抜けだ。ちょっと残念な気持ちを引きずりながらもわたしは、唇を離した。
まぶたを上げると夏目君の驚いた顔が目の前にあって、恥ずかしさが爆発した。爆炎が
「あ、あ、あの」わたしの舌は何を思ったのか、「こ、これは、挨拶? あ、挨拶だよね? ね?!」と難詰するかのような必死さで頓珍漢なことを言い出した。
「あー、まあ、口にするのは違う気もするけど、お前がそう思いたいならそれでいいんじゃね」
夏目君はあくまでも冷静さを失ってはいないみたいでわたしは少し傷ついたのだけれど、「口にするのは」のくだりが
ちゃんとできてた。
ちゃんとキスできてた!
ちゃんと夏目君とキスできてた!!
「ありがとう! ございました!」わたしはいつになく大きく明瞭な声で言っていた。
──なぜに敬語?
と問う声が自分のなのか夏目君のなのか、もう判断する思考力はなくて、わたしは逃げるように玄関扉の内側に逃げ帰った。
ばたんと玄関扉を閉めるなりわたしは、その場で下駄も脱がずにしゃがみ込み、はあああ、と大きく息を吐いた。
「夏目君とキスしちゃったんだ……」
理性とは関係なくつぶやきが洩れ出たのは、心がその事実を噛みしめたがっているからだと自分でもわかる。
薬指の先でそっと唇をなぞる。夏の日差しを受けて火照った、けれど柔い彼の感触が蘇り、ぞくぞくとした甘美な痺れが身体の底から駆け上がって、しとどに濡れた心の敏感な部分を震わせた。
奥がたまらなく熱い。
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