②
お祭りの本番は夜からと相場が決まっているけれど、わたしたち小学生には明るいうちから屋台がやっているのはありがたい。だからかな、現在の会場の平均年齢はわたしの知っているどの夏祭りよりも低かった。
そして、わたしの視線の先には特に子供たちが集まっている屋台があった。二十メートルくらい離れている。
「盛り上がってるな」夏目君も同じ所を見ていた。「何の屋台だ?」
二人してそろそろと歩き、その暖簾が見えてくると夏目君は、「へー」と興味があるのかないのか感情の輪郭のはっきりしない声を出した。
わたしはというと、首をひねっていた。
「ウミガメのスープ屋さんって、何?」暖簾にはそう記されていた。「ウミガメって、食べれるの? そんな料理、聞いたことないけど」
夏目君は、ぷぷ、と笑って、「ウミガメのスープってのはクイズの一種の呼び名だよ。だから、そこはクイズを出してる屋台なんだろ」
なるほどークイズを出してるのかー……クイズを出すって何? それだけなのにあんなに盛況なの?
そうだとしたら、たしかにこの町には変な人しかいないのかもしれない。鳥のように、アヒルは飛べないのだけれど、高い位置から冷静に考えてみるとお母さんも変わっているからこの推測は正しいように思えてくる。
なんて考えは、その屋台の『景品一覧』が記されたボードを目にした途端シャボン玉みたいに、ぱっと弾けて祭り
ゲーム機やそのソフト、わたしでも知っているブランドのデジタル式腕時計などがあり、納得したのだ。この子たちはそれらを狙っているんだ、と。
でも、そんなことよりもわたしの目は、その一覧の中に見つけた『
ということはやっぱり、『ティファニーで朝食を』に出てくるあの有名なジュエリーブランドのティファニーで間違いないんだろう。見れば、現物は奥の棚にあった。南国の海を思わせる淡く緑掛かった水色の箱だ。白いリボンが結ばれている。
「欲しい景品でもあったのか」夏目君に問われた。
「う、うん」負い目のような言いづらさが、舌を硬くしていた。「あるかもしれない、ような、なくも、ないかもしれない、ような」
「要するに、あるんだな」夏目君の目が『景品一覧』に向けられた。「どれ」
そうではないとわかっているけれど、ぶっきらぼうに尋ねられると怒られている気がして気後れしてしまう。「あの、ティファニーの」わたしがおずおずと答えると、
「あー」夏目君は納得したように間延びした声を出した。「こんな小ぎたねえ所にティファニーって、すげえ場違いだな」
「また、そういうこと言う」
夏目君はわたしと繋がったまま肩をすくめた。
「こういう屋台は、高額景品を渡す気もないのにあたかも獲得の可能性があるかのように見せかけていることが往々にしてある」夏目君は言う。「あのティファニーブルーは空箱かもしれねえし、そうでなくてもとんでもなくアンフェアなクイズが出てくるかもしれねえな」
「そうなの」しゅんと声が
「ああ」夏目君は首肯し、「そもそも、ウミガメのスープ自体が質問を重ねないと伏線を明かしてくれない叙述トリックミステリーだからな、アンフェアとの相性はいいだろうな」
「ねえ、そのウミガメのスープっていうのは、どんなクイズなの?」クイズの簡単な説明は『景品一覧』のボードにあったのだけれど、わたしは尋ねた。
「口だけで説明するより実際に見たほうが早い」
そう言って夏目君は、屋台のほうへ顎をくいとしゃくった。
それに従って目をやると、わたしたちより二つ三つ年下とおぼしき男の子がクイズに挑戦するところだった。
クイズには難易度が設定されていて、それに応じて正解時に貰える景品が変わるようだった。男の子が選択したのは、クイズに自信がないのか、一番簡単な〈イージー〉の問題だった。
クロワッサンみたいな、リーゼントベースのポンパドールに小さくて丸いサングラスをした屋台のおじさんが、〈イージー〉のルールを──『景品一覧』のボードにも記されているのだけれど──説明する。
①挑戦料は一回五百円
②制限時間は三分(おじさんが問題を読み上げおわった瞬間からカウント)
③質問は五回まで
④挑戦者は一人で考えなければならない
⑤解答回数は三回まで
らしい。屋台という形式を考えると納得できるものだと思う。夏目君が危惧しているような詐欺まがいの後ろ暗い気配は感じない。
男の子が、「わかった」とうなずくと、リーゼントのおじさんはわたしたち観客を見回して、
「ヒントを口走らないようお願いしますねー」
と声をぐるりと巡らした。
リーゼントのおじさんは、景品の棚の前のテーブルに積まれた大きめのスマートフォンサイズのカードの山から一枚を取り、男の子の前のカウンターに裏にして置いた。「問題はこのカードに書かれている」彼は言い、「準備はいいか?」と芝居掛かった不敵な笑みを見せた。
男の子が、「いいよー」と元気な声で答えるとクイズが始まった。
クイズタイトル『涙のラブレター』
ある日、小学三年生のカナちゃんは学校の自分の靴箱に洋封筒を見つけた。
カナちゃんは期待に胸を膨らませて封を開けた。そして、中の手紙を読むとしくしくと泣き出した。なぜ?
「たしかにこりゃイージーだな」夏目君はつぶやくように言った。「ベリーイージーだ」
「そうなの?」わたしにはよくわからないけれど。「これだけじゃ、答えを限定できないと思うけど」
「そう、その、答えを限定できない問題文こそがウミガメのスープの肝なんだよ。ウミガメのスープってのはこんなふうにシチュエーションや言動の理由を当てるクイズなんだが、解答者は出題者に〈はい〉か〈いいえ〉で答えられる質問をして解答となりうるパターンを絞っていって、正解を探り当てるんだ」
「え、それじゃあ……」わたしは、ティファニーが獲得できる難易度である〈ルナティック〉のルールへと視線を向けた。
そこには、『質問禁止』とある。夏目君の説明によると、ウミガメのスープはその性質上、論理や知識、ひらめきだけでは正解にたどり着けない。つまり、難易度〈ルナティック〉をクリアするには、何択かはわからないけれど運も手繰り寄せなければならない。
うーん、と身体ごと首を傾けていた男の子が、最初の質問をする。「『思いを寄せる』ってどういう意味ー?」
どわっと観客に笑いが起こった。そっからかよー、と誰かの声が夏空に飛んでいった。
「カナちゃんはタイチ君のことが好きってことさ」リーゼントのおじさんは笑うことなく答えた。「質問はあと四回ね」
「容赦ねえなあ」夏目君が苦笑まじりに言った。
男の子は続いて、「その手紙には難しい漢字が使われてた?」と尋ねた。
リーゼントのおじさんは首を横に振った。「使われていない」
えーじゃあわかんないよー、と男の子はすねたように口をすぼめた。けれどすぐに、「あ」とひらめいたようだった。「そのラブレターは本物?」と再度質問。
「もちろん本物だ」リーゼントのおじさんは即答し、「そろそろ答えていかないと時間切れになるぞ」とカウンターの時計を目で示した。
「あ、やば」男の子は焦った顔になり、「じゃあわかんないからもう答えるよ──カナちゃんはうれしすぎて泣いちゃったとか?」と早口で言った。
「違う」リーゼントのおじさんは答えた。
「じゃあじゃあ、ええと、目にごみが入ったから?」
またまたリーゼントが左右に揺れた。
──ピピ、ピピ。
カウンターのアラームを止めたリーゼントのおじさんは、「残念、挑戦失敗だ」と残念そうには見えない、どちらかというと楽しそうな顔で言った。
「えー」男の子はいたく不満そうだ。「じゃあさ、答えは何なのー?」
──入れ間違いだよ。
隣から聞こえたそのつぶやきはわたしの耳をふわりと撫でるようで、その感触に意識を持っていかれそうになるけれど、気合いでこらえ、意味を考える。
クイズの答えはつまり、
「タイチ君はラブレターを入れる場所を間違えたんだ」リーゼントのおじさんは男の子に言う。「タイチ君のラブレターはカナちゃんじゃなくて、カナちゃんの隣の靴箱を使っているハナちゃんに宛てたものだった。カナちゃんはタイチ君が自分以外の女の子を好きだと知って失恋の悲しみで泣いてしまったんだ」
「あー」男の子はしぶしぶ納得したような、理性と感情の板挟みになっているような複雑な顔で、けれどやっぱり悔しさが勝っているのがわかる声を出していた。
「アンフェアといえばアンフェアだが」夏目君が口を開いた。わたしを見て、「欲しいんだよな、オープンハート」と尋ねるように小さく言った。
わたしがうなずくと、夏目君は少し笑った。「とりあえず一回やってみるけど期待はすんなよ」
やった、と胸の内で手を合わせた。うれしかった。お母さんがしているような大人のアクセサリーが手に入るかもしれないということよりも、夏目君がわたしのために行動してくれることが。
「がんばって」ありきたりなエールをわたしは送った。
ん、と口を閉じたまま答えた夏目君は、わたしから手を離し、リーゼントのおじさんに声を掛けた。「次は俺がやってもいいか?」
「いいぞ」リーゼントのおじさんが応じる。「難易度はどうする?」
「〈ルナティック〉で」
難易度〈ルナティック〉は、〈挑戦料金三千円〉〈制限時間二十秒〉〈質問禁止〉〈解答回数一回〉とかなり厳しいものだ。だからだろう、夏目君が答えると観客から、おおー、という期待と好奇心と少しの嘲りがまざったような声が上がった。
「ルールはちゃんと把握してるか?」リーゼントのおじさんが、悪魔のように難しいルールを設定しておきながら良心的なことを言った。
「あそこに書いてあるとおりなんだろ?」夏目君は『景品一覧』の所にあるルールに目をやり、尋ねた。
「ああ、そうだ」
「なら、説明はいいからさっさと始めてくれ」
「オーケー」リーゼントのおじさんは、出題者なのに挑むような顔つきで答え、「自信過剰の生意気なガキも嫌いじゃねえぜ」なんて言っている。
口の悪い夏目君は当然のように、「ダセえリーゼントの勘違い親父に好かれてもうれしくねえよ」なんて返している。
ひゅー、と囃し立てるような口笛が後ろのほうから聞こえた。
「へっ、マジで生意気だな、おい」リーゼントのおじさんはわたしを一瞥し、「しかもその年で女連れか」と、からかうような、あきれるような。
わたしはその視線と声に居心地の悪さを感じ、肩を縮めた。
リーゼントのおじさんは先ほどと同じようにカードを準備し、「読み上げおわったらスタートだ。いいか?」と確認した。
「ああ」
夏目君がうなずくと、カードがめくられた。
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