第2話
夢から覚めたとき、私は全身が汗で濡れていた。
赤い紫陽花。濡れた花弁の下に埋もれる赤いワンピース。
泥にまみれた女性の顔──
それが夢であってほしいと、必死に思った。
けれど、私の中にはもう、確かな違和感があった。
小林さん──“怖いおじさん”と呼んでいた彼が犯人とは、どうしても思えなかった。
私が会ったとき、彼はたしかに不安そうだった。けれど、狂気は感じられなかった。
むしろ必死で、ただ彼女を探していたように思えた。
だとすれば、なぜ──?
そう考えながら、私は屋敷の裏庭へと足を運んでいた。
そこは紫陽花が密集している場所で、特にひときわ色濃い赤を咲かせる一画がある。
叔母が言っていた、“今年はとても色が深いの”という場所だった。
私はふと、立ち止まった
昨日降った雨のせいで、土が柔らかくなっている。
しゃがんで、手でそっと表面をなぞった。
その瞬間──爪先に、何か固いものが触れた。
「……え?」
恐る恐る、土を少し掘ると白い何かが顔を出した。
それは──骨だった。
人のものかどうかなんて、見なくても分かってしまった。
細くて、関節の形がはっきりしている
しかも、その爪には赤いマニキュアの痕がかすかに残っていた。
私は息を呑んだ。
叫び出したいほどの恐怖がこみ上げた。
「…うそ……」
その時だった。
「掘り返しちゃダメよ」
背後から、静かな声がした。
叔母──吏滝さんだった
いつの間にか私の背後に立っていたのだ。
「おば、さん…これは」
私の声は震えていた。
叔母はふんわりと笑った。
「山の中だから、たまに動物の骨が出てくるの。狐とか、鹿とか。驚かせちゃったわね」
その口調は、何気ない会話をするかのように自然だったけれど、私は気づいてしまった。
この人は──知っている。
私は何も言えず、ただ立ち上がって頷くしかできなかった。
心臓がうるさいほどに脈打っていた。
叔母は私の肩に手を置いた
「紫陽花ってね、なんでも飲み込んでくれるのよ。
悲しみも、怒りも、痛みも。だからこそ、色を咲かせられるの」
そして、ゆっくりと囁いた。
「言わない方がいいことも、あるわ」
私は、その言葉の意味を考える余裕もなく、ただ頷いた。
叔母は笑ったまま、花に視線を落とした。
「ほら、今年の紫陽花、特に綺麗でしょう。」
私は何も言えずに背を向けて家へ戻った。
背後では花が揺れる音がした。
ざわり、と風に吹かれて赤い花が揺れる
まるで、誰かが花弁を引きちぎっているかのように。
それからというもの、私は夜になるたび夢を見るようになった。
夢の中では、あの赤い紫陽花が、私の喉元から生えてくる。
呼吸ができなくなって、苦しくなって。
けれど枯れない、枯れてはくれない。
しがみつく紫陽花は、私の身体の奥に根を張り、血を吸い上げていく。
夢の中で、女の声が聞こえる
「わたし、ここにいるの」
「枯れたくない、忘れられたくない」
「あなたも、咲けばいいのに」
私は汗びっしょりで目を覚ます。
けれど、あの赤い花の香りが鼻の奥に残っていた。
もう──この家の空気が、変わってしまった気がする。
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