第6話 風は吹くのだから

ベル家に獣…いや、『奴』が襲撃してきた夜から一夜明け。僕は疲労と緊張で11時ちょっとまで、泥のように眠ってしまっていた。


昨日までとは打って変わって随分と重く感じる頭や体に鞭打って豪奢なベッドから起き上がり、寝間着から普段着へと着替える。


その最中に、ふと中庭を覗き込む。


「……随分と荒れちゃったな」


昨日の戦闘や溢れた水、それらの余波で戦いが終わった直後は花壇も草木も散りまくりで、見るも無惨なことになっていた。


早朝から屋敷のメイドさん達使用人が頑張ってくれているようで、現在進行形で整えられている真っ最中だ。とはいえ、流石に元通りとはいかないらしく土の入れ替えもするそうで心が痛む。


「ハーツ、入るわよ?」

「どうぞ、姉さん」


コンコンコンと丁寧に3回部屋の扉がノックされ、着替え終えた時だったのでそのまま中へと案内する。ゆっくりと開けられた扉から、声の通りマガミが入ってきた。


いつものように綺麗な銀色の髪と狼の耳尾を煌めかせ、琥珀色の瞳を細め優しそうな微笑みを浮かべている。そう、いつも通りのはずなのに。


『お前は…そうか、あの時の…』


『奴』がマガミを見た時の声が、何処か昔を懐かしむような…『旧知の仲』とばかりのものに聞こえて、頭から離れない。


「ハーツ…あんな奴の言葉なんて、真に受けちゃダメよ?魔物…ううん、獣の言葉なんて適当なことに決まってるんだから」


僕の表情や雰囲気を敏感に感じ取ったようで、心の内を見透かしたように的確に声を掛けてくるマガミ。


「うん…そうだね、姉さん」


頭の中がぐちゃぐちゃして、真っ直ぐにその顔が見られない。申し訳なく思いつつも、悟られないよう目を閉じて満面の笑みを作った。


……もし、僕の知らない何かをマガミが秘めているとしても。僕にとってマガミは大切な人だから、今は考える時間が欲しかったから。


〜〜〜〜〜


「大丈夫だよ、旦那様!そろそろ中庭の模様替えをしたかったらしくて、この際良い機会だって皆楽しそうにしてるよ」


マガミと並んで書斎に顔を出すと、出迎えてくれたリーンが金色の髪と赤いリボンを何度も揺らして明るく笑ってくれた。胸まで揺れているのは、内緒である。


「そうです、旦那様。貴方やマガミ義姉がいなかったら、この屋敷の皆は眠ったままどうなっていたことか…。だから、胸を張ってください」


その隣に立つリーシャも、黄玉の瞳を細めて励ましてくれる。青いリボンと短く結えた髪が弾む様は、見ていて心が癒される。


2人の言葉と笑顔で、ざわついていた心がすっかりと落ち着いた。今なら、ゆっくりと考えを纏められるだろう。


ただ、その前に。


「「……旦那様って、何?」」


異口同音に、僕とマガミは2人に訊ねた。

昨晩辺りからどういう訳か、リーンとリーシャの僕に対する二人称が変わっているのである。


「何って…ねぇ?リーシャちゃん。昨日ハーツは…」

「うん、お姉ちゃん。『私達から宝玉を受け取ったもん』、これはプロポーズを受け入れてくれたってことだよね!」


「……えええええっ!?」


もしかしたら中庭にまで響いたかもしれない。それくらい、自分が出したとは思えないほどの大声で僕は驚いてしまう。


「ま、待ってよ!あれはそういうことじゃ…!」

「酷い!私達の気持ちを弄んだんだ!」

「旦那様酷いです!」

「いや決してそんな訳でも…」

「へぇ…ハーツ、やっぱり狐の方が良いんだ」


マガミが隣から威圧、というより揶揄うようにニヤニヤと此方を見てくる。


あぁややこしくなってきた…こらそこ、リーンとリーシャ!これ見よがしに狐の耳と尻尾を揺らして僕にアピールしない!もっとややこしくなるでしょ!


「どうすれば良いんだ…!」

「ふ、ふふっ…」

「ん?」

「「「あはははっ…!」」」

「ど、どうしたの皆…?」


僕が思わず頭を抱えて呻くと、急にリーンもリーシャもついにはマガミもお腹を抱えて笑い出す。


状況を飲み込めず困惑していると、ひとしきり笑い終えて涙目を拭ったマガミが口を開いた。


「ごめんごめん、ハーツをちょっと皆で揶揄おうって話してたのよ」

「いつ!?というか何で!?」

「だってハーツ兄ったら、あの後からずっと暗い顔してましたから。皆で元気あげようってことで、こんな感じに」

「ハーツはもうちょっと、私達のこと頼っても良いと思うなぁ。私達は、あのベル家だよ?誰が魔法の先生をしてたか、忘れた?」


マガミ、リーン、リーシャ。3人が、揃って僕を優しい笑顔で包んでくれる。それがどうしようもなく温かくて、小恥ずかしくて…嬉しくて。


……僕は、何を迷っていたのだろう。何を怖がっていたのだろう。リーンとリーシャが、マガミが、僕の側には居てくれるのに。


それだけじゃない。レイドや他の友人達皆が、一緒にいてくれる。心の支えになってくれている。


「……ありがとう。姉さん、リーン、リーシャ。もう、大丈夫。目が覚めたよ」

「全くよ。ハーツったら、お寝坊さんなんだから」

「ごめんごめん」


脇腹を肘で小突かれ、大袈裟にくすぐったそうにして茶化してマガミと笑い合う。そこに、私達も混ぜてとにこやかにリーン達が入ってきたので暫しくすぐり大会と相成るのだった。


〜〜〜〜〜


「今回はありがとう。泊めてもらった上に、一宿一飯の恩義を返すどころか中庭を荒らしちゃって…更には宝玉まで。本当に、ありがとう。リーン、リーシャ」

「ハーツ兄、お返事いつでもお待ちしてますからね!」

「色良い返事だと良いな〜」

「名家らしい言い回しね…」


何かとご多忙なベル家の当主、イーリナさんに代わって玄関先まで見送りに来てくれたリーンとリーシャから離れ際に中々重いお土産を貰う。


「分かってる、必ずいつか返事するから。そう遠くない内に」

「うん!それと、今お母様が各所の<剣士>と連絡を取り合って魔物の状況を調査してもらってるの。こっちは分かり次第、連絡するね」


お願い、と返すと2人は似通った無邪気な笑みを見せてくれた。それを最後に、僕とマガミはベル家の屋敷を後にする。


「これで炎、水、雷の宝玉かあ…最初は魔物の原因がこれだと思って、集めてたんだけど…」


『奴』の言う儀式というのが気になる。

そういう意味でも、早々にあるであろう風と土の宝玉を集める必要が出てきた。


「何が待ってるかは…集めてから、ね」


マガミの言葉にこくり、と頷きを返す。歩きながら、懐に入れてある炎と水の宝玉を、同時に剣と宝玉を発現させ手の内で眺める。


不意に、キン---と三つの宝玉が光る。何だろうと覗き込むと、剣がひとりでに向かって斜め左の南東に剣先を向けヒュオオオ……と翠色の微風が僕とマガミの間を吹き抜けた。


「今のって…」

「風の宝玉の、在り処?」


マガミと顔を見合わせ、唖然としている内に風は止み宝玉から光は消え失せていた。

少しはゆっくりしたかったけれど、仕方ない。先を急ごう。


どんな道を歩こうと、風は吹くのだから。

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