驕るゲーマーは久しからず(他の趣味でも同じことだっただろう)

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驕るゲーマーは久しからず(他の趣味でも同じことだっただろう)

 私はゲームが好きだ。

 5歳でファミコンと出会って以来、ひたすらゲームをプレイし続けてきた。


 小学生の頃は寝ても覚めてもファミコンのゲーム、特にドラクエをプレイ。

 中学に上がった頃にはスーパーファミコンを誕生日プレゼントに買ってもらい、様々なタイトルを時間の許す限りプレイした。


 そんなゲーム好きの私だが、高3の時、いったんゲームから離れる。

 そう言うと多くの方は「受験のため?」と思われるだろうが、そうではない。


 当時、連日ゲームをプレイしまくっていた私はある日、ドラクエ6をプレイするのがやめられなくなり徹夜してしまう。


 徹夜したことで疲労困憊した私は「このままではゲームのやりすぎで死ぬのでは」と本気で考えた。


 そう考えた私はとっさにスーパーファミコンのアダプタを引っこ抜き、たまたま部屋の前を通りがかった兄に差し出して「捨ててきてくれ」と頼んだ。兄は戸惑いつつも承諾してくれ、私はゲームをする手段を失った。(スマホはまだこの世に存在していなかったし、パソコンは一般家庭に普及していなかった時代なので、ゲームをしようとしたらコンシューマーかゲーセンぐらいしか方法がなかった)


 


 スーパーファミコンのアダプタを兄に捨ててもらった日から、ゲームを全くやらない期間が3年ぐらい続いた。その間、ゲームの代わりにベランダ園芸を始めるなど、妙に健康的な趣味に目覚めたりもした。


 しかしある日、私はパソコンを入手。すぐにPCゲームという存在を知り、興味を持つ。

 好奇心に負けて試しにコーエーの定番シリーズを購入しプレイしてみたところ、非常に面白くてのめり込んだ。


 これをきっかけに、私はゲーマーに返り咲く。

 すぐにPCゲームだけでは満足できなくなり、ゲームボーイアドバンスも購入。タクティクスオウガ外伝やMOTHER3など、様々なゲームを楽しんだ。


 ゲームのやりすぎで徹夜してしまったこともあった。

 しかし今度は高3の時と違って「ゲームのやりすぎで死ぬのでは」と思うこともなく、気にせずどんどんプレイした。


 相変わらずゲームは楽しかった。

 面白そうと思ったゲームは躊躇なく購入し、気の向くままにプレイしまくった。

 




 それから15年ほど経った頃、異変が起きた。ゲームを最後までプレイできなくなることが増えてきたのである。


 どんなゲームも、プレイ開始から10時間ぐらいまでは楽しめる。


 しかし、その後は「ああ、あとは結局、こういう作業を繰り返すだけなのね」と先が見えてしまう。

 そして「ゲームをプレイしている」というより無意味な「作業」をやらされていると感じ、急速にやる気を失う。エンディングを迎える前に、プレイをやめてしまう。 


 だんだんと、ゲームに対し「似たようなことを繰り返すだけの退屈な作業」と感じることが増えていった。


 そのうち、とある疑惑が脳裏をよぎるようになる。


「ひょっとして、『ゲームというコンテンツ』に飽きてしまったのでは?」


 いや、そんなはずはない。私はこれを否定した。


 私は、あんなにゲームが好きだったじゃないか。単に面白いゲームに出会えていないだけではないか?


 私は自分を納得させようとした。

 だがいくら新しいゲームを購入しても、少しプレイしただけで投げ出してしまう。未クリアのゲームばかりが手元に増えていく。


 やっぱりゲームに飽きちゃったのかな……。


 年齢的にゲームをする体力が落ちてきていたことも手伝って、私は次第にゲームから遠ざかっていった。多くても、せいぜい年に5タイトルぐらいしかプレイしなくなった。ゲームへの興味も薄れていった。




 更にそれから数年後。


 ゲームから完全にフェードアウトするかと思われた頃、とあるイベントの告知をネット上で見かけた。15年前にニコニコ動画で活躍していた、ゲーム実況者たちのイベントである。(ご存知でない方に説明すると、ゲーム実況者とは「ゲームをプレイしながら喋り、その様子を動画にする人」のことである)


 私はその実況者たちの熱心なファンというわけではない。しかしゲーム好きの端くれとして彼らの存在は知っていたし、彼らの動画も何本も視聴したことがある。


 まだ活動していたんだなあと感心しつつ、懐かしさもあり、私は彼らのイベントの様子をネットで視聴してみた。


 熱心なファンではない私が100%楽しめるような内容ではなかったが、ゲーム好きの彼らが15年前と変わらずゲームを楽しみ、ゲームをプレイし続けている姿には思うところがあった。


 イベントを視聴した日から、私は彼らのゲーム実況プレイ動画をなんとなく視聴するようになった。

 「15年経ってもまだゲームを楽しんでいられるなんて羨ましい」と漠然と感じつつ、ぼんやりと毎日のように動画を眺める。


 その流れである日、件のイベントに出演していた実況者が『リファインドセルフ』というゲームをプレイする動画をたまたま見た。


 「ゲームで性格診断をする」というちょっと変わったコンセプトのこのゲームに、私は興味を惹かれた。自分でもプレイしてみようかな。そんな気持ちが少しだけ芽生える。


 しかし、最後までプレイできる自信がない。購入しても、またエンディングを見る前に投げ出してしまう気がしてならない。


「動画を視聴するだけで充分かな……」


 いったんそう判断したが、翌日、別の実況者が同じゲームをプレイしているのを数秒見て、すぐに「自分でやろう」と思い直した。


 ドット絵で表現されたそのゲーム画面は、ファミコンとスーパーファミコンで育った自分には馴染みのある風景だった。ノスタルジックなのに新しさも感じるゲームデザインは、見ていて心地よさを感じた。好きな世界観だ。


 一言で言うと、面白そうだったのである。それに性格診断をするだけなら、私でも飽きずに最後までプレイできそうに思えた。


 念のため、レビューをネットで確認する。Steam版のレビューで「2~3時間でクリアできる」と書いてある投稿をいくつか見つけた。


 3時間ならさすがにクリアできるだろう。私はリファインドセルフの購入を決断した。


 スマホ版をプレイするつもりだったが私のスマホは対応していないとのことだったため、Steam版(PC版)を購入。


「今度こそ本当にクリアできるかな? それとも、また投げ出してしまうかな? 面白そうだし、イケると思うんだけれども……」


 私は「最後まで楽しんでプレイしてクリアできるかも」という期待と、「またクリア前に放り出して後悔するのでは」という不安が入り混じった複雑な気分で、ゲームのダウンロードが終わるのを待った。

 

 ほどなくしてダウンロードが終了。私はゲームを起動して、リファインドセルフの世界に「えいっ」と飛び込んだ。


「なにこれ?」

「これはこうするの?」

「この選択肢、どれを選ぼう?」

「えっ? えっ? なに? どういうこと?」


 私はリファインドセルフを夢中でプレイした。あっという間に1時間が経ち、1周目をクリアする。

 しかしシナリオの真相は明らかにされない。私は真相が気になってプレイを続けた。


 ゲームのプレイは1日2時間までと決めているのだが、シナリオの謎を解き明かしたいという気持ちが勝ってやめられない。

 結局、シナリオの全貌が明らかにされるまで、私はリファインドセルフを一気に3時間もプレイしてしまった。


「クリアできた。嬉しい。しかも凄く楽しかった。自分でプレイして良かった」


 エンドロールを眺めながら、私は感慨に耽った。エンディングを見るまでゲームをプレイできたのはいつぶりだろうか。こんなに気持ちの良いものなのだったなんて、すっかり忘れていた。


 やればできるじゃん。


「ゲームを最後までプレイしてクリアする」という経験を久しぶりに得たことに、私は大きな満足感を覚えた。


 こんなに満足感を得られるのなら、もっと色んなゲームをプレイしてみたい。


 久々に味わった満ち足りた気分は、私のゲーマー魂を刺激した。


 私って、やっぱりゲームが好きなんだな。


 しばらくぶりに手に入れたこの達成感によって、私は自分がゲーム好きだったことを嫌でも思い出した。


 ゲームをクリアできたことも嬉しかったが、ゲーム内容にも感銘を受けた。


 詳しく書くとネタバレになるので書けないが、リファインドセルフは「性格診断という要素そのものがゲーム体験に組み込まれている」という、不思議な構成で作り上げられたゲームだった。


 これは実際に自分でプレイしないと理解できない類のものだと思われたし、こういった特性を持たせたゲームをプレイしたのは生まれて初めてのことだった。


「世の中にはこんなゲームもあるのか」と、私は深く感心した。


 私が知らないだけで、面白いゲームはまだまだたくさん存在する。飽きてしまったと私が感じたゲームのパターンを塗り替える、新しい趣向のゲームがどんどん発表されている。ゲームは進化し続けているのである。


「ゲームというコンテンツに飽きてしまった」などというのは、ただの驕りだった。


 もっと色んなゲームをプレイしたい。新しいゲーム体験を味わいたい。


 リファインドセルフをクリアしたことにより、私のゲームに対する情熱がまたしても呼び覚まされたのだった。





 以来、私はゲーム情報を熱心に収集するようになった。

 リファインドセルフをクリアしてから2週間も経たないうちにインディーゲームを2本購入し、未知のゲーム体験を期待してワクワクしている。


 私はゲームが好きだ。

 5歳の頃と何も変わってはいない。ゲームの進化が終わらない限り、私は今後もゲームを愛好し続けるだろう。

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