第39話 湿った夏の香り

「っ!!」


 俺が話しかけるとびくりと肩を震わせて恐る恐るこちらを伺ってきた。


 びっくりしたからなのかは分からないが泣き声を上げることは無かった。


「ま…まいご……かもしれないです……」


 少し状況を理解して落ち着いたのかおずおずと口を開いた。


「そっか、山だと迷いやすいもんね」


 黒髪を胸の下あたりまで伸ばしたロングヘヤーはその少女の可憐さには絶妙にマッチしているように思えた。


 大きな瞳には雫が浮かんでいた。


「はい…」


 ん〜、この年頃の子はみんな初対面でも普通にタメ口使ってくるのになぁ。


 この子は敬語で…、将来必ず生きてくることだけどなーんかやりずらいなぁ。


「ここらへんの子じゃないの?」


「はい…」


「家どこなの?」


 やば、そんなこと初対面の子に聞くべきじゃなかった…。


「ごめん、こんなこと急に言われてもって感じだよね…」


「ふじさわ……」


 ふじさわ……、えっ?もしかして藤沢のことか?


 もしそうだとすると……。


「藤沢市のこと?」


「うん」


「奇遇だね、俺もそこに住んでるんだよ」


 すごい偶然だ。


「ちなみに俺は春野小学校はるのしょうがっこうに通ってるんだけど君は?」


 でもまぁさすがに学校まで一緒ってことは無いだ…


「同じです」


「へ?」


 え?ちょ…今なんて??


 同じ…って言った?


 どんな奇跡だよ。


 ここ藤沢からだいぶ離れてるぞ。


 なんで住んでるとこどころか学校まで一緒なんだよ。


「びっくりだね」


 俺は驚きで若干引き攣った笑顔を浮かべながらそう言う。


「でも私あなたのこと知らない…」


 あぁ、そっか。


 俺まだ学校一回も行ってないもんな。


 転校してきたばっかで友達もいないから知るわけがないか。


「俺転校してきたばっかだからね」


「転校……?」


 すると彼女はキョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。


「そう、海外から来たんだ」


「海外……すごいですね」


 なかなか人から手放しに褒められた経験がないから少しむず痒い。


 でも悪いかなどはするはずもなくただただ嬉しかった。


「ありがとう」


 その子に感謝の言葉を言う。


「あ、そう言えば名前ってなんて言うの?」


「ゆーひ、ゆめさきゆーひ」


 ゆーひ、ね。


 うーん、良いあだ名とかないかな。


 やっぱ安直だけどシンプルイズベストっていうしこれにしよっかな。


「ゆーちゃん!!」


「へ?ゆーちゃん!?」


「そ!今日からゆーちゃんって呼ぶね!」


「どうして急に…」


「どうせ学校一緒なんだからさ、友達になろうよ!」


「でも…」


「まだ俺は学校行ったことなくて友達いないからさ、良かったら友達になって欲しいなーって」


「学年も違うかもしれませんし…」


「今何年生?」


「3年生です」


「同じじゃん!」


 ここもまた奇跡で被るとは。


 ここまで来たら運命かと思っちゃうな。


「友達になるの…やだ?」


「いえ、全然嫌では無いですっ!」


「ほんと!?」


「はい、ただちょっとびっくりしただけですので」


「あ、言い忘れてたけど俺の名前は双葉乃亜。よろしくね」


「はい、よろしくお願いします」


 そうして二人打ち解ける頃にはもうゆーちゃんの涙は止まっていた。


「それで…迷子だったっけ?ここら辺なら案内できるから任せて」


「じてんしゃ…ここから一番近くの自転車屋さんまで連れていってください!」


 自転車屋ねえ。


 道路少し下ったところだったっけな。


「じゃあ着いてきて」


 そうして俺はゆーちゃんを目的地までって行った。


 たった数十分の出来事だった。


 でもその数十分が俺の人生において何か大きなものをもたらしたような、そんな気がした。


 この少し湿った夏の香りがしたら俺は真っ先に今日のことを思い出すんだろうと思った。


♢♢♢


「おはようゆーちゃん」


「おはようございます」


 その後、無事転校して来た俺はゆーちゃんと親しく話すことが出来ていた。


 しかもクラスも一緒。


 嬉しくてたまらなかった。


 その理由は自分でも明白だ。


 俺は今まで海外にいたこともあり稀に英語が出てしまうことがあった。


 それを不気味がった他の生徒たちは俺と話そうともしなかったからだ。


 ゆーちゃんは俺を見るなりすぐに声をかけてくれた。


 俺もそれに応じてゆーちゃんとよく話すようになった。


 でもいつしか俺が話せる人はゆーちゃんしかいなくなっていた。


 ちょっとしたいじめなどもあって学校に来たくないな、と思う時でもゆーちゃんのことを考えたら頑張ろうって思えた。


 でもそれがどういった感情なのかはまだ俺には分からなかった。


 でもそれはいいもののような気がして、悪いもののような気もした。


 そしていつもの帰り道、ゆーちゃんが突然言い放った。


「明日、2人きりでお祭りに行きませんか?」


 俺には願ってもない誘いだった。


 このモヤモヤとした心の中の答えを見つけ出すためには今が最大のチャンスなのかもしれない。


「うん、良いよ」


「あ!でも、遅い時間だとお母さんに怒られちゃうからせめて6時には家にいるようにしたいかもです」


「分かったけど花火はどうするの?見れないよね」


 花火は7時に打ち上がる予定だから見れないはずだ。


「実は私良い場所知ってるのでそこで市販の花火やりましょう」


「そうだな、それでいいね」


「うん、じゃあ明日一緒に行こうね」


「はい!」

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