第2話 邂逅
「えっ……!? 痛い……」
敵対原生生物によるすれ違いざまのかぎ爪攻撃が当たった左肩に、本来あってはいけない感覚が発生した。攻撃を受けた箇所から熱を帯びたような感覚と、ヒリヒリと微弱な電気を流されているような小さな痛み。
どうして……?
左肩を見てもダメージを受けたエフェクトが残っているだけで、皮膚どころかバトルスーツすら引き裂かれていない。なのに痛みは確実に感じる。
「どういう事だ……? バグ? もしそうなら早く運営に報告しないと」
手での操作で何も無い空間にメニュー画面を表示させる。
このゲーム延いてはHMDを使用するにあたって、痛覚の再現は法律によって禁止されている。例えそれが不具合で再現されてしまったとしても関係無い。好きなゲームが利用禁止になるのは避けたい。
幸いゲーム内コミュニティにはまだ報告が無い。なら俺だけがこのバグに遭っている可能性も十分にある。
ダメージも痛みも少ない。今の内に―――。
「うわぉっ!」
咄嗟にしゃがんで、こちらに飛んできた原生生物の爪を躱した。
そうだった。まだこいつと戦闘中だった。
バグを報告する為にも、これ以上痛みを受けない為にも手早くこの敵を処理しなければいけない。正眼に構えた太刀をしっかりと握り、こちらを睨む蜂に負けじと殺意の眼を向ける。
いざ敵の懐に飛び込もうと動いたその直後、目の前に居た蜂型原生生物が弾けて消えた。そしてそれとほぼ同時に、己の右胸辺りに強い衝撃が加わった。
その衝撃は凄まじく、咄嗟の事だったのもあり、俺の体は後方へと大きく吹き飛んだ。転がりながらもなんとか勢いを殺し、立ち上がった正面には見たことの無い人物が立っていた。
いいや、知っている。黒くて影そのものが動いているようだが、そのシルエットは知っている。
「ティース? 何故ここに―――」
そのシルエットは、病院の帰りに連絡を取っていたかつての戦友のものだった。
有り得ない! あいつはまだ入院中の筈だ。仮に嘘だったとしても、今目の前に居るこいつはあいつじゃない!
プレイヤー名を確認する為、相手の頭上を見る。本来ならプレイヤーの頭上にはプレイヤー名とプレイヤーランク、クランに入っているかどうかのマークや公式マーク等、様々な情報が表示されているのだが、目の前のこの影にはそれらが一切、表示されていない。
妙な点はもう一つある。どうやって俺にダメージを与えたかだ。
視界の端に浮かぶ自分の体力、現在は最大値から見て一割も無い瀕死状態。このゲームはプレイヤー同士の戦闘、即ちPvPは基本的に認められていない。しかしPvPを望むプレイヤー双方がPvPを認める事で初めて、承認したプレイヤーにダメージを与えられる。
だが俺はこいつとのPvPを承認していないし、リクエストも受け取っていない。
こいつ……プレイヤーなのか……?
「お前は、誰だ……」
影は剣を収めず、こちらを見つめて微動だにしない。その様子に気味の悪さを感じた直後、右胸に激しい痛みが襲って来た。
考えることに夢中で忘れていた痛みは先ほどの痛みとは別格で、刺されたところから何かが流れ出ている様な感覚に陥り、右腕は麻痺したように動かなくなっていた。
痛みに耐えるのに必死な俺に、かつての戦友の影は容赦無く剣を振りかざす。
「クソがーっ!!」
急接近して来たティースの影に、俺は渾身の気合で、感覚がどこかに行ってしまった右腕を持ち上げ、奴の剣筋を遮るように太刀を動かす。
ガキンッと金属音が聞こえ、敵の攻撃を防いだと認識した刹那、斬り返した奴の剣が己の右前腕を斬り落とすのが見えた。
「————っ!!」
声が出なかった。あまりの激痛にその場で転げ回った。
このゲームにはプレイヤーに対する部位破壊と言うものは無い。だから右腕は完全だ。それは分かっている。分かっているのに右前腕が分からない。何処を向いていて、何処を触っているのか分からない。
俺は必死にもう一方の手で右前腕を握った。存在を確認しながら痛みに耐える為だった。なのに幾ら強く握っても感覚が無い。今左手が握っているのが右腕なのか、はたまた落としてしまった太刀なのか分からない。
ただ呻くような声を出しながら地面に蹲っていると、影は何処かへと消えてしまった。
「痛い……助けてくれぇ……」
他のプレイヤーが見たら、さぞかし変な奴に見えるだろう。でもこの時だけは、心からこの痛みから逃げたかった。
「キャーッ!」
悲鳴だ……。もしかしたら近くのプレイヤーが、あの影に襲われているのかもしれない。
「助けないと……」
でも痛くて動けない……。
「駄目だ、動け……。動け動け動け! 動け! 動けっ!!」
自分自身を鼓舞するように雄叫びを上げながら立ち上がる。そして立ち上がって、すぐさま悲鳴が聞こえた方角へ向かう。
痛む体に鞭を打ちながら進める足には、今度こそ誰かを救いたい、その一心が原動力となって動かしていた。
始めに無視したガイドに沿って、最初の町が見える丘までやって来た。
「見つけた!」
登った丘のすぐ下に、他プレイヤーと影が居るのを確認できた。
影は今まさに野良プレイヤーを刺し殺そうと剣を振り上げる最中。奴が普通のプレイヤーでは無いのはさっきので分かった。今俺が出来ることは奴の写真を撮る事と、今目の前で助けを求める人の手を掴むことだ!
「嫌ーっ! ……え?」
俺は影とプレイヤーとの間に体を滑り込ませた。
野良プレイヤーを殺そうと振るった剣先は、背中から俺の胴体を突き抜けて、尻もちをついている野良プレイヤーの鼻先で止まった。
胴体に感じる異物感を確かめながら、驚いた表情で固まっている野良プレイヤーに話しかける。
「大丈夫、ですか?」
「あ、え、はい……」
その言葉が限界だった。
腹に感じていた異物感が無くなると、俺は膝から崩れ落ちて野良プレイヤーの上に覆い被さった。
「ちょっ、ちょっと!」
迷惑そうに声を上げる野良プレイヤーに心の中で謝罪しつつ、後方の様子を窺う。そこに影は居なかった。
「良かった……。今度は、助けれた……」
無意識に言葉を漏らした俺は、そのまま眠りについた。
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