最終章 想い
第16話 一時の別れ
遠呂智も山へ帰り、早夜の小屋には須佐と速風と早夜の三人となった。
ある早朝のこと、いつも通りに日の出とともに起きだした早夜は、先に起きていた須佐に家の外へと呼びだされた。
何か嫌な予感がする。
当然、速風のことだろうと見当をつけた。
「早夜。速風のことだが」
やはりと思う。
「あいつは天つ神だ。もう神力も戻った。だからここにいる意味も無くなった」
「意味が……ない……?」
「もともと天照さまの怒りを買って流された身、怒りが解ければ高天原に戻る。それにあいつはまがりなりにも神だ」
「……」
「だからオレが高天原に連れて帰ったら、もう二度とここには来ないだろう」
ずきりと胸がきしんだ。
速風はそんなことを望んでいないと、大声で言ってしまいそうになる。
神力が戻ったのなら、嵐も起きない、それでいいじゃないか。
今までどおり、寝食を共にし、暮らしてゆけないのか。
「それは速風も知ってるのか?」
「これから説得する。最後の別れを済ませておくと良い」
ぎりっと奥歯をかみしめる。
叫び出したい衝動を、必死でこらえた早夜だった。
はたしてその日の午後、飯を食い終わったときに速風は早夜に高天原に一旦帰ることを切り出した。須佐に説得されたらしい。
「一時的に帰るだけだ。また戻ってくる」
彼は平然とそう言うけれど、今朝、須佐から忠告されている早夜としては、それは淡い希望くらいにしか思えなかった。
「本当に帰ってくるのか?」
「なんだ? 信じられないのか?」
「いや……」
下を向いて意気消沈している早夜に近づき、額に口付けを落とす。
「必ず戻ってくる。わたしにも考えがあるからな」
「考え?」
「ああ。だから安心して待っていてくれ。わたしは早夜のいない生活はもう考えられない」
俺も……、という言葉を早夜は飲みこんだ。
「それでだな、一応、天上界である高天原へ帰るのだから、身を綺麗にしてから行きたい。以前行った温泉にまた連れて行ってくれないだろうか」
「ああ、いいよ。今から行く?」
「ああ。そうすれば明日には発てる」
明日……早すぎる。そんなところまで話がまとまっていたのか。
早夜は愕然とする。
明日には速風はもういない。
きっと帰ってこない。
須佐がそう言っていた。
「じゃ、温泉に行こうか」
早夜は静かに声をだし、ひどい顔を見られたくなくて速風から視線を逸らせた。
以前来た裏山にある河原の温泉。川で身体を洗い、着物も洗う。
早夜と速風は裸になって身体をこすった。
その間、早夜は無言であることを考えていた。
もう、一生逢えなくなるかもしれない、速風。
彼を自分の身体に余すところなく、刻みつけたい。
彼と過ごした日々を忘れないように、それこそ身体の奥まで。
そんなことを思う自分は変なのだろうか。
「早夜、何を考えてるんだ。なにかぼうっとしている」
「ああ、なんでもない」
そう答えて、暫くして早夜は速風の方へと川の中を歩いた。
「やっぱり、なんでもある」
「なんだ?」
きょとんとした速風の前にたち、そのたくましい胸に自分の額をこつんと付けた。
「高天原に帰っちゃう前に、俺を抱いて」
決死の覚悟で早夜は言った。
「早夜……」
「お、俺、速風が好きなんだ。速風だって牢で俺の事、愛してるって言ってくれたよな」
「ああ。でもいいのか? 言っている意味は分かっているな」
「……うん、すこし怖いけど、いい。俺を抱いて」
そう言うと、がっと速風に早夜は抱きあげられた。
そのまま速風は歩いて行き、大きな平らな岩の上に早夜の背中を下ろした。
見上げた速風の顔が影になっているが、早夜は自分を凝視している彼の視線を痛いほど感じた。
何も纏うものが無い裸で、自分の身体に乗りあげられる。大きな両手で顔を覆われて、大事に口付けをされる。それが涙がでるほど気持ちよくて、早夜は速風の素肌の背に己の腕を回した。
こすれ合う、素肌と素肌。さっき洗ったばかりの綺麗な早夜の肌は、健康的に日焼けして、そして川の水で冷えていた。
次第に深くなって行く口づけに、早夜の息が上がって行く。
大好きな人とする行為は、なんて感じるのだろうか。こんな経験は初めてだった。
「速風、ずっといつまでも愛してる」
速風、ずっといつまでも、待っている。
「お願い、もっと俺に速風を刻みつけて」
お願い、帰らないで。
声に出来ない願いを込めて、早夜は涙をこぼした。
「愛してる!」
行かないで!
早夜の腕が速風の背にきつく回される。
「早夜……そんなことを言うな、わたしも理性が……飛んでしまう…!」
「いいんだ、それで。もっと強く俺を抱いて!」
「早夜……! わたしもそなたを愛している!」
速風の言葉を聞いていると、心がたまらなくなり高い嬌声をあげながらも、速風を想って早夜は泣いた。
行かないで。
言葉に出来ない想いの代わりに、早夜は速風を求めてうわごとのように繰り返す。
「俺に速風を刻みつけて……」
果てしなく早夜は速風を求め続けた。
二人はいつまでも抱き合っていた。
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