第15話 神の意思
「なあ、遠呂智、こいつどうする?」
早夜の小屋の土間で伸びている見張りの兵士を、須佐がしゃがみこんで指でつつきながら遠呂智に聞いた。遠呂智の拳を腹にくらった兵士はまだ伸びている。
「何、速風が戻ってきたら元にもどす。わしの催眠でな」
「催眠ねえ」
そうこう話をしている間に、速風がミウとタウと共に戻ってくる。
早夜の愛犬、クロウがミウとタウを見てわんっと吠えた。
「おお、ちょうどいいところに帰ってきたのじゃ。今からこやつに術を施す。その際に御主がいてくれなければ都合がわるかったのじゃ」
「ああ、その兵士か……」
「須佐と速風は板の間へあがっていろ。後はわしにまかせるのじゃ」
遠呂智にそう言われて、須佐と速風は板の間へとあがって座った。
遠呂智は兵士の顔の前に手をかざすと、ぶつぶつと何事か呟いた。
するとぱちりとその兵士の目があいた。
自分はどうしたのかときょろきょろあたりを見回している様子を見て、遠呂智は言う。
「お主は突然倒れたのじゃ。大丈夫か」
「突然……?」
「そうじゃ。それまでは何もなかった」
「……何もなかった……」
「そう」
「何もなかった……」
「見張りに戻れ」
「ああ」
兵士は遠呂智の声にぼうっとした顔で答え、早夜の小屋の外に立って、見張りを再開した。交代の見張りがくるまで何事もなく時間は過ぎ、夜には新しい見張りが速風たちのいる小屋の前に立つことになった。
翌日の夜明け、眠れない一夜を過ごした村のものは、そよとも吹かない風に驚いている。
やはり速風は神だったのか、と畏怖の念を持ってその日の天候を見守った。
昨日たてた吹き流しも下に降りてぴくりとも動かない。
海から吹く風も止まっていた。
臣は昨日とおなじ様に広場に椅子を設え、そこに座り、目の前の吹き流しを見ていた。
早夜はまだ牢の中だ。
きんと耳が痛くなるような静寂の中で、集まった村のものも、臣たちも誰ひとりとして声をあげる者はいなかった。
真緒は早夜に食事を持って行く係だった。
朝の食事を届けに行くと、早夜の首に速風の首飾りが掛かっている。
それを見て速風がどうにかしてここへ来たのだと察しがついた。
「早夜」
「あ、真緒おばさん。いつも食事を持ってきてくれてありがとう」
「いいんだよ、そんなこと」
真緒は泣きそうな瞳で早夜をいつくしむように見た。
実際、早夜は風が吹けば首を切られる身なのだ。
「心細いだろ? でももう少しの辛抱だよ。今日は一度も風が吹いてないんだ」
「真緒おばさん、俺は心細くなんてないよ。だって速風が……風の神が守ってくれるから」
真緒は少し目を見開くと、そうかい、と優しく答えた。
早夜の胸を飾る首飾りが、それを証明するように輝いている。
「速風はどうしてる?」
「今は早夜の小屋で軟禁されてるよ」
「そう」
真緒はなごりおしそうに早夜を見ると、「じゃあ行くね」と言い残して村へと帰った。
早夜は一人になると速風の首飾りを口元に寄せた。
そして恭しく口づけをする。
「信じてる。言霊っていうんだろ?」
早夜の表情は、死と隣り合わせだというのに、何故かとても幸せそうに見えた。
はたして、時刻は昼を過ぎ、陽は中天を抜け、西の空を赤く染めあげる時刻になった。
それでも風は吹かなかった。
昨日までは嵐になるような風が吹いていたというのに、だ。
山の稜線に陽が隠れる頃、臣は早夜と速風たち三柱の神を自分の元へと連れてくるように兵士に言った。
早夜は牢から出され、緊張が頂点に達する。
早夜の記憶では風は吹かなかったのではないかと思うが、定かではない。
臣の前に引き出されるときに、声が聞こえた。
「早夜、風は吹かなかったよ」
小さな声で教えてくれたのは、真緒おばさんだ。涙声だった。
臣の前で速風に合い、村人に合い、早夜は初めて今日一日風が吹かなかったことを確信した。
椅子に座った臣の前に引き出された四人は神妙に反応を待つ。
そして臣はおもむろに椅子から降りると、膝をついて速風たちに頭を下げたのだ。
「天つ神とは知らず、無礼なことをした。この豊芦原中つ国の臣として、心からの謝罪と、そして願いがある」
薄汚い格好の速風たちに頭をさげる臣に、家臣たちは驚いた。
「臣、そんな輩に頭をさげるなど!」
「うるさい! 誓約の結果は出た。この方々は神ぞ! お前たちも頭を下げよ!」
戸惑った家臣たちは、顔を見合わせ、そして臣を見て同じように地に身を伏せた。
臣は速風たちの足元に頭を下げる。
「願いとはなんだ?」
速風は聞いた。
「嵐は恵みももたらしますが、被害ももたらします。ほどほどにして頂きたく思います」
「考えよう」
速風は重々しく臣に答えた。
「それではわたし達と早夜は無罪になるのだな」
「もちろんでございます」
臣は頭をあげて立ち上がると、ざっときびすを返し、手を振り上げて家臣に言い放った。
「撤収する。すぐに都へ帰る準備をせよ!」
家臣も兵士もその言葉に慌てふためき、都へと帰る準備をし始めた。
「助かった……」
早夜は気が抜けた声を出し、隣にいた速風に
速風はしっかりと早夜の肩を抱いて、受け止めていた。
「言っただろう? 死なせないと」
「ああ、信じていた。帰ろう? 速風。俺たちの小屋に」
「ああ」
遠呂智と須佐も早夜と速風の後を付いて、早夜の小屋へと帰る。
今日も賑やかな夕食になりそうだ、と早夜は思った。
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