古の風語り
陽麻
第一章 漁村
第1話 小舟に乗った者
青年の眠る、木で出来た粗末な小屋に、朝日が一筋の光を投げ入れた。
ちょうど目の位置に光を感じた
ああ、夜明けなのだ、と気が付く。少しまどろんでからぱちりと目を見開いた。
愛犬のクロウが丸い小作りな早夜の顔を舐めている。
起きぬけのぼんやりとしていた頭が一気に覚醒してきた。
「ああ、飯が欲しいのか、ちょっと待ってろ」
板の間に獣からとった毛皮を掛けて直接寝るという、粗末な寝床で身体を動かす。
顔を舐めてくるクロウの様子があまりにも可愛らしいので、早夜は顔に笑みをはいて上半身を起こしながらクロウを撫でた。茶色の小型犬のクロウは毛並みがふわふわしていてその外見も可愛らしい。
土鍋から昨日炊いた麦と雑穀の粥を器に盛ってクロウの前に置く。するとクロウは勢い良く食べ始める。
粥を食べている様子を見ながら早夜はクロウに話しかけた。
「クロウ、今日は海に行くぞ。魚を捕ってくる日だ」
「わんっ」
言葉が分かっているような心得た顔でクロウは吠えた。
その顔を見て今度は本当に声をあげて笑うと、早夜は顔を洗う為に大きな木で出来た器に水を入れた。冷たい水で顔を洗うと、気が引きしめられるようだ。
身だしなみを整えるために、長い黒髪を組み紐で後ろに一つにまとめる。
早夜の右腕の肘と手首の間には、波模様の青い入れ墨が輪になって入っていて、青色の腕輪をしているように見えた。
少し日焼けした身体が健康的で、着物からのぞく長い四肢は、良く動いているためか引きしまっていて細い。
早夜の家、粗末な小屋は一間しかなく、あとは土間に窯がある。風呂は、このあたりも山の方にいけば温泉が出るので、たまにそれを使わせてもらっている。この漁村は山に囲まれた村だった。太陽は海から昇り、山へと沈む。
今、この小屋には早夜とクロウしか住んでいない。両親は海の事故で数年前に亡くなってしまったからだ。嵐の日だった。それはとても悲しい出来ごとで、今思い出しても悲しくなる。寂しくて仕方がないときもあるが、今はクロウもいるので少しは寂しさもまぎれた。
両親が亡くなってからは、隣に住む真緒おばさんに面倒を見てもらうこともしばしばあった。だが概ね一人でなんとかやってきた早夜だった。
寝間着にしてある着物を脱いで、薄い紺地の着物を羽織った。小屋の扉を開けると、途端にクロウが矢のように海へ向けて走り出す。
早夜はクロウを先に行かせ、わらで編んだ帽子をかむり、釣り道具を持って小屋の外へと出た。涼やかな風が吹きわたり、西の空はまだ薄暗かった。暁を抜ける時刻、東から赤い太陽がだんだんと昇ってきて、
今が一年のうちで一番日が長い、そんな時期の早朝は気持ちが良かった。
海岸へ向かう村人はまだいない。海から昇ってくる太陽の光が海面をきらきらと反射させていた。
ゆっくりと朝の新鮮な空気を吸い込むと、早夜はクロウを追って走り出した。
「まて、クロウ!」
「わんっ」
早夜の小屋は海岸からすぐのところにあった。小屋から少し走ったところはもう海岸だ。ここは大きな砂浜になっていて、小舟で釣りをするのに良い。両脇に行くと岩場や干潟があり、そこでは海苔や貝などが取れた。
海から太陽が、だんだんと昇って行く。光が村全体を照らして行く。
その様子を早夜は足を止めてゆっくりと見た。
「わん、わんっ」
先に海岸についたクロウが何かを訴えるようにしきりに吠えている。
早夜は不審に思ってクロウの方へ視線を向けてみると、小舟が海辺についていた。
見慣れない小舟だ。このあたりにあるただの小舟では無かった。何を塗ってあるのか分からないが、全体が白い色をして艶があった。小舟でも上等な感じのするものだ。
「なんだ、この舟」
小舟に近づき、中を覗いてみて、早夜は悲鳴をあげそうになった。
そこには一人の美丈夫な男が寝ていたからだ。小舟がその男の身体でいっぱいになってしまい、他のものは何も乗っていなかった。
早夜よりも背は高いだろう。厚い胸板をしていて、そこに綺麗な赤と白の宝玉を交互にしつらえた長い首飾りをしていた。
さらにその毛髪が若い外見にそぐわず長い白髪なことが、人間離れしていることを物語っていた。その男は、二十四、五歳くらいに見える。早夜よりも五つか六つほど年上だろう。群青色の上等な着物を着ていて、早夜は以前村に来たときに垣間見た豪族を思い出した。
その人物は、静かに寝ている。
一瞬死んでいるのかとも思った。
どこかの集落では死人が出た場合、このように遺骸を海に小舟で流す風習のところもあるのだ。
しかしこの人物は豪族のような気がする。豪族ならば古墳を作って、そこに埋葬するだろう。
クロウは早夜が舟にたどり着いて中を観察している間、大人しく彼のすることを見守っていた。
「死んでるのかな……」
釣り道具を置いて、左手を舟の縁に置き、そっと鼻先に右手をあててみた。
吐息を感じる。
生きている。
「おい」
「……」
男は何も答えない。
「おい!」
もう一度呼ぶと、男はうっすらと半眼に目を開いた。
「お前、名前はなんていうんだ? どこから来た? どうして舟にのっているんだ?」
立て続けに質問した早夜に男はうつろに応える。
「わた……お…はやかぜ……お…み…」
「え?」
そう言うなり、またもや意識を失う。
「え? はやかぜ? なに? まいったなあ」
早夜はこの男が何を言っているのか理解できなかった。さらにこのまま村人に、この男が見つかったらどうなるだろうと思った。
それを考えるとこの男は、髪の色からして不気味だ。日雫村の村人はみな、いや、この
こっそりと連れ帰ろう。
そう早夜は思った。そうしないと、この男は村から追い出されるか、牢にでも入れられるかもしれない。それはなんだか不憫に思えた。
連れ帰る為に早夜はその男を舟から出そうとしたが、あまりの重さで動かなかった。
「お、重い……」
男は早夜よりも大きな身体をしていたので、小柄な早夜には重労働だ。
「歩け、自分で歩くんだ!」
さっき意識があったことを思い出して、男に呼び掛ける。
男は朦朧として意識をとりもどし、早夜の手に縋って舟の上に立った。
「そうだ、そのまま、縁をまたいで、舟から降りるんだ」
男が足をあげる。ぱしゃんと浅瀬の中に足を入れて、海岸に降りた。
上等な靴を履いていた。
靴を見てやはり豪族か、と思った。
男が早夜の肩にもたれかかり、早夜は彼を支えるかたちとなる。
「そう、そのまま、俺につかまって歩け。小屋まで連れてってやるから」
「……」
返事は無い。
しかし、早夜の肩に手を回し、早夜を杖代わりにして、男は導かれるまま目をつむって歩き出した。
「重い……」
早夜は必至で彼を支えて自分の小屋への道を歩いた。
幸い、まだ村人は起きだしていない。しんと静まり返った村が、今は有難かった。
肩に男を背負いなおしながら小屋まで歩いていく。
しかし、小屋の前まで来て、隣家の真緒おばさんに会ってしまった。
しまった、と思った。
「早夜? そいつは誰だい! 村のもんじゃないんじゃないかい?」
中年の恰幅の良い真緒は驚いた声で、追及する強い剣幕で早夜に迫った。
とっさに早夜は真緒に懇願する。
「お願い、村の人には今はこの人のこと、黙ってて?」
「でもその髪の色! 鬼じゃないか!」
「……分からない……でもお願い、今だけは誰にも言わないで!」
「分かったよ……、早夜がそういうのなら。でもいずればれることだよ」
今度は心配気に早夜をたしなめる。
それでも、早夜の必死の懇願で真緒は不承不承くびを縦にふってくれた。
不審な目を向ける真緒の眼を尻目に、早夜は木でできた小屋の扉を押して開けた。そして、男を背負いなおし、中に入って行った。
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