五章 番外編 今泉蓮Side

第46話 中二

 中二の秋、中間テストの結果を見た母親に俺は強制的に駅前の学習塾に放り込まれた。

「蓮、ちゃんと勉強して大学まで行くこと!じゃ、ないとギターは没収だから!」

 母親は中卒の美容師だ。夜の店で働いて得た資金をもとに自分で店を出し、結構成功しているらしい。俺にギターとアンプを買って、戸建てを買って母子家庭でやって行けるくらいには。本人曰く、相当苦労もしたらしく、俺には常に大学に行け、良い会社に入れと言っている。


 せっかく買ってもらったギターを取り上げられたくない俺は渋々、特に成績の良くない数学だけ、週一回学習塾に通う事になった。


 学習塾は駅前のビルの五階にある。市内の色々な中学校から生徒を集めていて、繁盛していた。

 そのため、授業開始時間間近になるとビルのエレベーターはかなり混雑してしまう。それで先日、入塾テストを受ける際、ギリギリに行って遅刻してしまったのだ。

 

 今日は入塾一日目。遅れたら面倒だと思った俺は、裏口の階段から登る事にした。そこはビルの表側ではなくう完全に裏側から回らなければならないためかなりの穴場らしい。階段は、外階段になっていて秋の涼しい風が吹いている。混雑したエレベーターに乗るより、歩いて五階まで登った方がずっと快適だった。

 階段のちょうど真ん中、三階あたりで、人の気配を感じた。自分と同じ考えで階段を使っている人がいても不思議ではない。俺は特に気にせず、階段を登って行った。

 踊り場まであと何段か、という距離になると、微かに声が聞こえてきた。声というか、歌。


「ミックスジュースミックスフライ〜♪」


 え?なに?


 その人は確かにそう歌った。

 訳がわからない。でもなぜかその歌は俺の心の琴線に触れて、思い切り、切れるんじゃないかと言うくらい俺の琴線を引っ張った。


 俺は立ち止まって、その人を仰ぎ見ると、その人はまだ俺には気付かず歌っている。


「いっしょにたべるととつぜんふくつう〜♪」


 その人は鼻歌を歌いながら、ハンカチでメガネを拭いている。たぶん、階段を歩いて登り息でメガネが曇ったんだろう。俺と同じ、男子中学生だと思う。声変わりしたのか、高音は少し掠れていた。


 俺が一段上がって踊り場に立つと、彼はこちらを振り向いて目を見開いた。

 

 ぱっちりとした目元。白い頬に、パッと花が散るみたいに赤みが差す。その表情をみた瞬間、俺の胸はドキンと大きな音を立てた。


 どこの制服だろう?濃紺のブレザーに白いニットのベスト、赤いストライプのネクタイ。紺色と明るい水色のチェックのズボン。この辺りの公立中学ではないことはすぐに分かった。

 背は160cm前半だろうか?痩せ型の身体には制服が大きすぎる気がするし、髪もちょっと長すぎる。でも、制服はよく似合っている。こんな感じの制服を着た男のアイドルグループがいるけど、そこにいても全然おかしくないなと思った。


 俺がもう一歩踏み出した瞬間、その人は拭いていた黒縁のメガネを掛け俺にぺこりとお辞儀をすると、走って行ってしまった。


 おい、さっきの歌、何なんだよ…。

 黒縁のメガネ、全然似合ってなかった。

 それになんでお辞儀?まさか…。


 

 俺はまず職員室に行き、その後教室に案内された。クラスは先日の入塾テストの結果で分けられたらしい。俺はAからEクラスのうち、Eクラスだった。

 さっきのあいつは、私立の制服を着ていた。きっと中学受験したんだろう。だからもっと上のクラスにいるはず。そう思っていたのだが。


 塾の教師に案内された教室に、さっきのあいつはいた。

 中学受験、したんじゃないのかよ?俺は面食らった。


「席はここで。テキストは、ちょっと遅れてて。ごめんなさいね…。上村君、今日、テキストを今泉くんに見せてもらえる?」

「ハイ…。」


“上村くん”…。


 上村くん、と呼ばれた先ほどのあいつは、俺をチラリと見た。そして案の定、分厚い眼鏡の奥の瞳が驚いている。


 やっぱりさっきのお辞儀…。俺のこと年上だと思ってたな?確かに俺はまあまあ背が高い。それにちょっと老け顔…。いや、顔が整ってて大人びてるんだ…!

 上村くんの態度におれは密かに傷ついた。


 塾の席は二人がけの長机になっている。ひょっとして名前の順で、この並びになったんだろうか?俺が“い”、上村くんは“う”だ。“あ”の人が二人いたから二列目で、隣同士になったんだな。

 俺は母親が離婚して”今泉”に苗字が変わったことをこの時初めて、喜んだ。


 上村くんは長机の真ん中にテキストを開いて置いた。テキストは何も記入されていない、綺麗なテキストだった。上村くんは、予習などは何もせずに塾に来ているようだ。

 先生に当てられると、面白いくらい挙動不審になっていた。あと、授業もろくに聞いていない。ノートに何やら、絵のような文字のようなものを書いて遊んでいる。

 あんまり遊んでいるので、俺は上村くんの横顔をじっと見ていた。顔周りの髪が長すぎるのと、分厚い黒縁のメガネが邪魔して顔が良く見えない。しかし時たま、手で髪をかき上げたりすると、少し横顔が見える。

 ぱっちりした二重の目は長い睫毛に彩られている。瞳の色は白い肌によく合う茶色。すっと綺麗な鼻に、唇。下唇がぷっくりしていて、この唇からあの声がでていたのか、と思うとそこから目が離せなかった。


 俺は何の授業をしているのかわからないくらい、上村くんを見ていた。上村くんはノートの落書きを消したくなったようで、筆箱からおもむろに消しゴムを取り出した。

 俺は筆箱の内側に「上村圭吾」と書かれているのを発見した。下の名前、「圭吾」…うえむらけいごであってる?お前の名前…。


 俺は入塾初日、数学の方程式など一つも覚えず、上村くんの名前と歌だけ覚えて帰宅した。

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