第4話 兎獣人(アルミラージュ)

ここはどこだろう? 視界に映るのは真っ暗な闇、闇、闇。前後左右に手を伸ばしてみる。が、指先に何の感触もない。そのとき──


「何をしているリザ! 走れ!」


頭のなかに教官の声が轟いた。そうだ、今は実戦訓練の真っ只中。油断したら命に関わる。


特殊魔導戦団シャーレの実戦訓練は、訓練などという生易しいものではない。使用する武器、兵器はすべて本物。同じ時間を共有してきた仲間であっても、フィールドで仮想敵として出会えば容赦なく攻撃しなくてはならない。


背後に気配を感じ振り返る。視界に飛び込んできたのは銃の照準をこちらに合わせるミリアの姿。


咄嗟に魔法で防御壁を展開させたが、その隙をついてミリアが距離を詰めてくる。近接戦闘こそミリアの真骨頂だ。


鋭い刃筋のナイフが私を斬り裂こうと襲いかかる。私も腰からナイフを引き抜き応戦した。


ミリアはナイフを逆手に持ち直し私の頭上に振り下ろしてきた。その腕を掴んで投げ倒し、喉に膝を落とそうとしたがこれはかわされる。


やや距離をとりしばし睨みあう。時間が永遠のように長く感じた。


物心ついたときからシャーレの施設で姉妹のように育ってきたミリア。私が風邪をひいたときつきっきりで看病してくれた優しいミリア。


風が止んだ刹那、ミリアが動いた。ナイフを構えジグザグにこちらへ駆けてくる。そのまま斬り込んでくるかと思ったが、ミリアは手に持ったナイフを投げつけてきた。


だがこれは想定内。飛んでくるナイフを避け、組みついてきたミリアを再度足元へ投げ落とした。そのまま馬乗りになり首元へナイフを突きつける。


ミリアはにこりと微笑んだ。一方、私の目からは止めどなく涙が零れた。


「リザ、今までありがとうね。さあ、やって」


「……で、できないよ……嫌だよ、ミリア……」


リザは涙を流しながら首を左右に振り続ける。


『何をしているリザ。早くとどめをさすのだ』


催促する教官の声がスピーカーから響いた。


「リザ、早くしないとあなたも欠陥品として処分される。早くやって!」


ミリアの悲痛な叫びが耳の奥にこだまする。でも嫌だ、嫌だ、嫌だよ。


と、そのときミリアが私の隙をついて馬乗り状態から逃れた。そのまま即座に私の首元をナイフで薙いでくる。


私は反射的にそれをかわすと利き手に握ったナイフで彼女の心臓を貫いた。手に伝わる嫌な感触。


「……それ……で……いいんだよ。リザ……」


最後まで笑みを絶やさぬままミリアは亡骸になった。私は声をあげて泣いた。



『貴様にはがっかりだぞリザ』


『まったくだ。類稀なる才能を持ちながら敵に情けをかけようとするとは』


『貴様には懲罰房で再教育の必要があるな』


スピーカーから流れてくる教官たちの声はほとんど聞こえていなかった。



──目を開くと白い天井が視界に入り込んだ。ここは……ああ、そうだ。兎獣人アルミラージュのレイナに連れられて……。


背中にじっとりと汗をかいているのが分かる。またあの夢。リザはベッドの上で半身を起こすと紅い髪をおもむろにかきあげた。


そっと周りに視線を巡らせる。シンプルなインテリアで統一された室内は生活感がないように思えた。


ベッドから降りたリザが視線を向けた先に写真立てがあった。壁際、出窓のカウンター上に置かれた写真立てを手に取る。


写っているのはどことなくレイナに似た女の子。愛らしい笑顔で写真に収まっていた。


と、背後からカチャリと音が聞こえ、リザは咄嗟に床を転がり戦闘態勢をとる。が──


「あ、ごめんね。驚かせちゃったかな?」


部屋に入ってきたのは兎獣人のレイナだった。手には器をのせたトレーを携えている。


「ん……大丈夫」


立ち上がったリザは、写真立てを手にしたままであることに気づきそっともとの場所に戻した。


「……その子はね、私の妹。何年か前に病気で死んじゃったけどね」


レイナはトレーをテーブルに置くと窓際へ移動し、写真立てを優しく手にとる。


「そうなんだ」


「うん……それよりリザ。昨日はごめんなさい」


リザに向き直ったレイナがぺこりと頭を下げる。リザには一瞬何のことだか分からなかった。


ああ、あのことか――


昨日ここへ来たとき、ほかの住人から街へ入るなと言われた。憎々しげな目を向けられ、明確な敵意がひしひしと伝わってきたのを覚えている。


リザがもう帝国の軍人ではないことをレイナがていねいに説明し、危険もないと説得してくれたおかげで街へ入ることができた。


「レイナが謝る必要ない。私のほうこそ迷惑をかけてごめんなさい」


リザがぺこりと頭を下げるが、レイナはまだ申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


任務以外でほとんど外へ出たことがないリザは、何故兎獣人からあそこまで敵意を向けられているのか分からなかった。


「……アルミラージュは人間が嫌いなの?」


「人間……というよりネルドラ帝国が嫌い……と言ったほうが正しいかもね」


食事しながら話しましょうと言われ、ダイニングへ移動したリザはダイニングチェアに腰をおろした。器に盛られたサラダに白いシチュー、それに柔らかそうなパン。


スープを掬いスプーンを口へ運んだ。甘くて美味しい。サラダもパンもすべて美味しい。


シャーレの訓練生時代はまともな食事なんて摂れなかった。顎を鍛えるための硬いパンにゴムのような小さな肉片、飲み物はプロテイン。


食事はそういうものだと思い込んでいたので、訓練生から隊員に、隊長になってからも食事にこだわることもなく、美味しいと感じることもほとんどなかった。


「……リザも帝国の兵士だったのなら、アルミラージュが何故帝国を敵視してるのか知ってるんじゃない?」


「知らない。私がいた部署は特殊なところだから」


「そっか。なら知らなくても仕方ないか」


レイナはカップをかちゃりとソーサーへ戻すと、窓の外へ目を向けた。


「私たちアルミラージュはね、これまで何度も帝国から襲撃を受けているのよ」


初耳だった。外の世界に疎いため当然と言えば当然なのだが。でも何故帝国がアルミラージュを?


「帝国が世界の覇権を握ろうとしているのは知ってるよね?」


それはもちろん知っている。そのために数多くの汚れ仕事に手を染めてきた。


「私たち兎獣人、アルミラージュは世界屈指の戦上手と評される種族。世界の覇権を狙う帝国にとって目の上のたんこぶなんでしょうね」


なるほど。その話は聞いたことがある。アルミラージュは身体能力が高く知能も高い。かつてはさまざまな種族と抗争に明けくれ、そのほとんどに勝利してきたと言われている。


「まあ……理由はそれだけではないのだけどね」


自嘲気味にぼそりと呟いたレイナは、食べ終えた二人の食器をトレーにのせ「またあとでね」と部屋を出て行った。

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