23.たまに殊勝な態度を見せたからってドキッとするものか。

 覚えている。高校生時分の隣室に暮らしていたころの千草ちぐさは、律儀にも新聞を取っていた。そして、俺が準備を整えて学校へいこうと、その扉の前を通りかかるころには朝刊はしっかりと取り込まれているのが常だった。朝は俺より早起きの早出。それが朝風あさかぜ千草の生態系だったのだ。リセットされたとしても変わるとは思えない。


 従って、その、俺が滅多にお目にかかれない朝刊が郵便受けに刺さっているということは、


「…………千草はまだ、起きてないってことか」


 正直起きた時間としてはそんなに早くはない。俺にしては珍しく目覚ましが鳴る前の起床だが、それにしたってホームルームの始まりから逆算すれば四十分ちょっと。


 そこからいつも通りの準備をして、さあこれから徒歩十分の道のりを経て学校へと出向こうと考え、玄関を出たのがホームルームのジャスト二十分前。


 もしこの時点で起きていないとすれば、よほど神がかり的なスピードで準備をしないかぎりはまあ、遅刻だろう。別に皆勤を狙っているなんて話は聞いたことは無いけど、比較的優等生の千草がまさか前夜に飲み過ぎて遅刻というのもよろしくない。


 別に?相手の頭が回らないうちに、現状の立ち位置を確認しておきたいとか、そんなことは考えてないよ?ほんとだよ?


 と、言う訳で、俺は珍しく千草宅のインターフォンを押す。


「…………出ないな」


 珍しい。


 基本一度の呼び出しでさっと出てくることが多いのに。


 仕方ない。もう一度だ。


 ピンポーン。


「……………………マジで出ないな」


 流石に千草のことだ。大病を患っているなんてことは無いと思いたい。それに、俺は一度高校二年生の四月二十八日を体験済だ。その時、千草になんらかの健康的な問題があった……という記憶はない。ないが、


「あの時とは違う可能性はあるんだよな……」


 そう。


 既に、俺は「一度目の四月二十七日」とは違うイベントを経験している。転校生としてやってくるラピスも、それを歓迎する闇鍋会も。リセット前には無かったものだ。バタフライエフェクトなんて言葉もある。蝶が羽ばたいただけで、歴史が変わるならば、転校生との闇鍋会はどんな影響を及ぼすか分かったものではない。


 俺は流石に心配になって、もう一度、


「……お」


 インターホンを押そうとした、その時だった。


「……なんだ、蒼汰か……」


 扉を開け、千草が顔をだす。


 完全に寝間着姿……っていうかこいつ、寝る時こんなラフな格好で寝てんのか……うわしかもブラ付けてないよ。どうしようこれ。あわわわわ。


「あー…………頭痛い……で、何?」


 俺が何とも不謹慎なことを考えていると、千草が頭を押さえて唸る。


 あれ、これはひょっとしなくても、


「なあ、千草」


「なに?」


「頭が痛いのか?」


「うん……ガンガンする」


「他には何かあるか?」


「えー……後は……ちょっと吐き気がするかも。うー……風邪ひいたかな……やっぱこんなカッコで寝てたのが良くないのかな……」


 そう言いつつ、着ているノースリーブをひらひらとさせる。いや、ちょっと千草さん。それはあの、不味いんじゃないですかね。


 だって今、貴方の着ているのって殆ど下着みたいな薄さ&ラフさですよ。その上にブラもつけてないってなると、あ、やばい、ちょっとさきっちょ見えた。いや、別に?千草のむ、胸なんかで、どうってことは無いですけどね。ふん。命拾いしたな朝風千草。俺がハードボイルド&ダンディで良かったな!


 と、そんなことを考えている場合じゃないな。


「いや、多分風邪とかじゃないと思うぞ」


「えー……?ホント?蒼汰ってテキトーだからなぁ……」


「ふん。馬鹿を言うな。俺がいつ適当なことを言ったというのだ。俺はいつだって誠実だ。その証拠に」


 そこまで言ったところで千草が俺の腕をむんずと掴んで、


「ゴメン、ちょっと黙ってて。頭に響く」


 千草さんや。それは間違いなく二日酔いですよ。決して風邪なんかではありませんよ。


 しかし……本当に辛そうだな。こいつこんなにアルコールに弱かったっけ?


「分かった。とはいえ、風邪じゃないってのは多分間違いない。千草、お前起きてから水飲んだか?」


「ええー……?飲んでないけど、なんで?っていうか今起きたばっかだし」


「なら水でも飲んで安静にしてろ。それから、辛かったら、喉奥に手を突っ込んでうえーってしてみろ。一度吐いたら楽になるから」


 千草がきょとんとして、


「ありがとう……なんか今日の蒼汰、優しいね」


「ばっ……俺はいつでも」


 千草は再び俺の腕を掴み、


「はいはい。分かったから、黙って。頭に響いてしょうがないから」


「う……分かった」


 沈黙。


 やがて、


「ゴメン、流石に今日は休むわ。みずほちゃんに伝えといてくれる?」


「分かった。伝えとく」


 みずほちゃんとは我らが担任の名前だ。その若さも相まって、生徒からは「みずほちゃん」と呼ばれている。割と男子人気もいい……らしい。


「後はなんかあるか?買ってきてほしいものとか」


「…………」


 千草が突然黙り、俺の顔をじっと見つめる。な、なんだよ。さ、流石の俺でもじっと見つめられるとちょっと照れるぞ。もうちょっとこう、恥じらいとか、節度を持ちたまえ。幼馴染と言っても、親しき中に礼儀ありだぞ。


「やっぱ、………………が良いのかなぁ……」


 とまあ、下らないことを考えていたこともあって、ぽつりと漏らした一言を聞き逃した。


「あん?」


「なんでもない。それだったら……うん。スポドリとかそういうのお願い。後、みかんゼリー。でかいやつ」


「お前あれ好きだなぁ」


「いいじゃん。美味しんだし」


「分かった。買ってくるよ」


「あ、お金」


「いいよ。病人から金を取るほど俺も鬼じゃない」


「……分かった。なら甘えとく」


「よろしい。んじゃ、水飲んでゆっくりしとけよ。後、なんかあったら俺か富士川ふじかわに連絡しろよ。なんだったら、うちの親、頼ってもいいからな」


「ん、あんがと」


 な、なんだよこいつ。こんな殊勝なやつじゃなかったろ。こっちが親切心を働かせれば弄り倒し、つっけんどんにすればそれはそれでやっぱり弄り倒す。俺に感謝なんてしたことなかったじゃないか。


 それが「あんがと」だと?ふざけるなよ。子猫を拾うヤンキーじゃないんだ。そんな一時の優しさで俺は騙されんぞ。感じ方をコントロールしても無駄だ。俺の評価軸をそう簡単にずらせると思うな。


「……んじゃ、行ってくる」


「ん、行ってらっしゃい」


 何が行ってらっしゃい、だ。新婚さんか。新婚じゃない、幼馴染だ。そもそもこいつは結婚して……あ、違う。今はまだ結婚してないんだった。でも彼氏が、あ、でもそのうち別れるんだったな……ええい、動揺するな。相手は朝風千草だぞ。あの男女相手にこんなにも心が揺れ動くはずがないんだ。


 そもそも、あんな薄着で出迎えるから悪いんだ。おのれ毒婦め、きっと将来は多くの男を侍らせるヒモ王となっているに違いない。まあ、なんてはしたないんでしょう。朝風さんったら卑猥なのね。

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