第4話 知らない素顔と母の真実。

 開店前、下野しもの君があの地味な格好だった理由を聞けば入学準備に手間取って髪を切る暇が無かったからと言っていた。


「でも、退院は先週末でしょ」

「進み具合を電話で担任に聞いて、念入りに予習していたから仕方ないでしょ? 中間は落としたし、期末だけは拾わないとって思って」

「それなら私に言えば良かったのに」

「生徒会で忙しい人を呼べると思います?」

「なるほど、配慮してくれたのね」


 入学準備というより入学後の遅れを取り戻す予習に時間を割いたと。中間の成績は私が一位だけど・・・もしかすると、もしかする?


「幸い、先輩から頂いた過去問と教科書のお陰で、取り戻せる範囲は取り戻しましたけどね」

「独学なのに良くやるよね。感心するわよ」

「まぁ結果は次の期末次第ですけど」

「傾向はどの先生も似ているし大丈夫でしょ」

「「そうなんです?」」

「新任は分からないけど、神野こうの先生は変化していないそうよ。英語と数学だけはどうとでもなるんじゃない?」


 そうなんだ。これは良いこと聞いたかも。


「だといいですけど」


 下野君は何処か自信なさげだね。

 おそらく授業の遅れがどれほどのものか判断が出来ていないのかも。


「そう言いつつ何処まで予習したのよ?」

「教科書の最初から最後まで」

「「は?」」


 これには私も先輩も目が点なんだけど。

 危うくお盆を落としそうになったし。

 胸が無いからつるりんと滑り落ちるって?

 やかましいわ!


「でも、いくら予習が出来ても板書が出来ていないから、そこは補習で賄うしかないかなと」

「それもそうね。板書も重要だものね」

「一応、特例として中間分は免除と言われましたけどね。ある意味で貰い事故でしたから」

「確かにね。交通ルールを守って横断歩道を渡って大型トラックと濃厚なキスをしたんじゃ」

「キスはしてませんよ? 飛びましたけど」

「右腕の複雑骨折付きでね?」

「加害者は過労死で書類送検でしたしね」

「やりきれないわよねぇ」


 え? 下野君ってそんな大事故に遭ったの?

 大事故の後にリハビリしてジャガイモを剥いていたの? あんなに速く剥いていたのに?

 それって凄まじいことなんじゃ?


「右腕も完治にはほど遠いですけどね。握力も完全には戻っていませんし。今の利き腕は左腕だと思えますよ」

「それは努力の成果よね」

「ボールを投げる時は勘違いして右で投げそうになりますが」

「焦りは禁物よ」

「分かってますよ。通院は継続ですし」

「分かっているなら安心したわ」


 大事故を経験して遅れを取り戻して。

 板書はなくとも授業に追いついているって相当だと思うよ。彼と同じ事を私も出来るかって問われると出来ないね。並大抵の努力を重ねて今があるんだね。それこそ尊敬に値するかも。



 §



 開店後、店内は大忙しとなった。

 私と先輩は品名を聞いてはオーダーを厨房前に貼り付ける。帰りのお客さんを待たせないようにレジに入って会計したりした。

 ただ、どういう訳かホールに居た下野君が店長に呼ばれて厨房に移動していたのは不可解だった。賄いを作るために入ったと思いきや、


「ナポリタン、あがったよ」

「はいはーい」


 店長の隣でフライパンを振っていた。

 それも左腕で器用に振っていたのだ。

 握力が無いとされる右手で菜箸を持って混ぜていた。私は真剣な姿に見とれてしまった。


めぐみちゃん。ぼさっとしない!」

「は、はい!」


 見とれてしまって先輩に叱られた。

 一定の波が収まると下野君もホールに戻ってきた。オーダーストップとなり残りは会計と片付けだけになる。

 店内の音楽がジャズに変わり、店長も電子たばこを咥えたのち、私達に声をかける。


「残りは妃菜ひなと俺だけで回せるから二人は上がっていいぞ」

「でも、まだ時間が?」

「無理はさせられないからな。じゅん君も、まだ本調子ではないだろ?」

「それは、まぁ、そうですが」

「それに恵ちゃんも帰らないと危険だしな」


 そういえば私の上がる時間、過ぎてたかも。


「あ、上がります」


 すると先輩が何度も頷いて、


「送っていってあげたら?」

「俺が?」


 下野君に耳打ちしていた。


(微かに送ると聞こえたけど、誰を?)


 私は更衣室に移動して着替える事にした。

 タイムカードを忘れそうになったけれど。



 §



 上坂かみさかが更衣室に入る直前、先輩が心配そうに上坂を送れと言ってきた。


「巡君は帰ろうと思えば帰れるけど、恵ちゃんちは二十二時に閉店するコンビニの方だから」

「ああ」


 聞いた場所は俺が躊躇する所だ。

 コンビニが開いてる時はいいが閉店すると一気に薄暗くなる場所でもあるのだ。

 そこは元々が墓場だったことから出る時は出るらしい。恐くはないが嫌な道なのは確かだ。


「それにね、あんな可愛らしい女の子を一人で帰すわけにもいかないでしょ?」

「た、確かに、そうですが」


 常識的に考えて送るのは正しいだろう。

 だが、今の上坂は告白行列のお陰で男嫌いが加わりつつある精神状態だと思うのだ。その状態で俺みたいな男が隣に居て良いものなのか?

 それだけが唯一の気がかりだった。


(興味は無いが下手に踏み込むとなぁ)


 すると店長が俺を信頼しているのかしていないのか微妙な言葉を吐いた。


「巡君なら送り狼にはならないだろ?」

「「なるわけないでしょ?」」

「二人揃って言わなくても」


 失敬な。興味無いのに襲うとか有り得ない。

 仮に俺がそんな事をすれば母さんに六法全書を投げられ親父の背負い投げを喰らうだろう。

 親父の攻撃は受け身をとればいいが、母さんの攻撃と口撃は親父も土下座する凶器となる。

 その二人に育てられた俺もそれは勘弁だ。

 俺は渋々と了承を示し、


「何かあったら目覚めが悪いので送りますよ」

「助かる。今日は母さんも会合で居ないから」

「いつもは母さんが車で送っているけどね」

「それなら、会合時だけでいいですね」

「ああ、それで十分だ」


 タイムカードを押したのち急いで制服に着替えた。そういえば、時間的に母さんが帰っているだろうから、送って貰おうかね?

 それが一番安全だわ。



 §



 私が家まで帰宅しようとすると背後から待ったがかかる。


「ま、待って、自宅近くまで送るよ」


 声の主は制服に着替えた下野君だった。

 私はきょとんとするもお互い様を理由に断ろうとした。


「悪いよ。こんな時間だし、下野君の親御さんも心配するでしょ?」


 正直に言えば自宅を知られたくないだけだ。

 下野君はストーカーには見えないが、私の気持ちとしては好ましいとは思えなかった。

 すると下野君は喫茶店脇の私道を指さして、


「俺が不安なら母に頼むからそれでもいいか? 俺んち、店の裏手だから。母さんに聞いたら車を出してくれるって」


 私が驚く言葉を口走る。

 裏手? 喫茶店の裏手というと母屋、玄関のある方だよね。先輩が出入りしている、あの。

 下野君の言葉を聞いた私はどうしようかと思案した。だが、裏手からエンジン音が響き、黒塗りの高級車が灯りと共に私道から出てきた。

 そして助手席の窓が開ききり、車内から奇麗な女性が声をかけてきた。


「三十分後に通り雨があるから乗ってって」


 薄暗くて見えないがショートヘアで何処となく下野君に似通った雰囲気を持つ女性だった。

 私は逡巡するもここまで出てきて貰ったら悪いと思い、頷いた。家まで徒歩で三十分以上はかかるし通り雨に濡れて風邪引いても困るし。


(甘える時は甘えておこうかな、うん)


 下野君は私が車に乗ると車外から見送った。


「えっと、なんで?」


 私は彼が一緒に乗るものと思っていた。

 理由は下野君のお母さんが教えてくれた。


「男嫌いの気が出ているって言っていたから遠慮したんでしょ。巡は異性に興味は無くとも他人を思いやる心はあるからね」

「そ、それで」

「母親としては興味を持って欲しいところだけど、無理強いも出来ないのよね。巡も過去に女性関係で嫌な思いを何度もしているから」


 嫌な思い?

 それって、もしかして?


「察したと思うけど顔だけはいいからね。本人は普通だと凡人だと思っているけど、周囲がそれを認めなかった。お陰で意固地になって興味無しと断るまでになった。あれでも思春期の男子だから少なからず興味はあるのよ。でも、覚られると怖がって、興味が無いと口にするの」


 困った病気よねっと呟く横顔は本気で心配する母親だった。そんな重苦しい空気は次に発した言葉で霧散した。


「貴女がくるみの娘だからって訳ではないけど、学校でも出来る限り巡と仲良くしてあげてね。貰い事故が原因とはいえ遅れて入学する羽目になったから」

「え? ええ、それは構いませんが」


 仲良くするのは構わないと思う。

 価値観も同じだし、職場の同僚としても受け入れる事は可能だと思う。

 だが、言葉の最初に聞こえた名前。

 何故、知っているのか、疑問だった。


「というか私の母を御存知で?」

「高校と大学の同期なのよ。榥は親友ね」


 高校と大学の同期?

 私の両親は国際弁護士だ。

 つまり、そういうこと?


「貴女が一人暮らししている事も知ってる。何度も遊びに行ったから場所も分かるわ。ほら」

「そ、そうだったんですね」


 道理で。教えていないのに家前に着いたし。


「夜は戸締まりを忘れないようにね」

「はい。ありがとうございました」




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