第20話 ゆりゆりしてほしい

時間の経過を知らせるアラームが鳴り響き、樹里は慌ててスマホを操作した。


フローリングの上でゆっくりと半身を起こし、周りの様子を窺う。陽奈の部屋のフローリングでは、葉月と晶が大の字になって静かに寝息をたてている。


そっと後ろを振り返ると、ベッドの上では陽奈もスースーと寝息をたてていた。


「ふぁ……」


あくびをしながら大きく伸びをする。あー、ぐっすり寝た。どうしてお腹いっぱいになったら眠くなるんだろ。


宿題がひと段落ついたタイミングで、食事にしようと宅配ピザを注文したのが一時間半前。そのままなし崩し的にお昼寝タイムへ突入してしまった。


樹里は立ち上がると、仰向けになりお腹の上で手を組んで眠っている陽奈の顔を窺った。


熟睡……してるかな? 起こしちゃ悪いような……いや、でも起こさなきゃダメか。


ベッドに両膝と両手をつき、そっと陽奈の顔を覗き込む。ギシッ、とベッドが大きく軋んだが、陽奈が起きる様子はない。


うーん、やっぱりまつ毛長い。唇もぷっくりしててかわいいなぁ。肌もツヤッツヤだ。


そう言えば、さっきはどうしたんだろう。午前の休憩後、食器を片づけていた陽奈の表情がどこか暗かった気がしたのを樹里は思い出した。


「陽奈〜……お昼寝はもう終わりですよ〜……陽奈ちゃ〜ん……」


小声で呼びかけるものの陽奈に変化はない。樹里がもう少し顔を近づける。かわいらしい口から漏れる寝息がはっきりと聞こえた。


どうしよう。かわいいんだけど。おでこにチューとかしたら怒られるかな? いや、熟睡してるみたいだしバレないかも。


ゴクリと喉を鳴らした樹里の顔が、ゆっくりと陽奈の顔へと近づいてゆく。いいの? ほんとにいいの? 起きないならチューしちゃうよ? ほんとにしちゃうよ?


と、そのとき──


「……何してるんですか?」


「ひゃっ!?」


突如覚醒した陽奈と目があい、樹里は小さく悲鳴をあげる。


「通報しましょうか?」


「ご、ごめん……」


じろりと樹里を睨んだ陽奈がゆっくりと半身を起こす。すごすごと引き下がった樹里は、足を床へおろしベッドの際へ腰かけた。


「何しようとしたんですか?」


「や、そろそろ起こそうかな〜って」


「本当ですか?」


疑いの眼差しを向けられ、樹里は言葉に詰まった。


「う、うん」


「……そうですか」


小さく息を吐いた陽奈の表情はいつもとさして変わらない。が──


「ね、陽奈。何か、気に障ることでもあった?」


「……? 何のことですか?」


「や、午前中にさ、ちょい陽奈の表情が暗かったかなーって……」


わずかに陽奈の肩が跳ねたのを樹里は見逃さなかった。


「もしかして、何か気に障ることしちゃったかな?」


「……違います。咲良さんの話を聞いて、ちょっと……」


「咲良の?」


一瞬黙り込んだあと、陽奈はゴソゴソとベッドの上を移動し樹里の隣へ腰かけた。


「樹里が……咲良さんのことを話している樹里が嬉しそうというか……そんな気がして。何か、このあたりがチクッてしたんです」


そう言いながら、陽奈は心臓のあたりに両手を添えた。


「何でしょう、自分でもよく分からない感情なんです」


まさかの告白に一瞬驚いた樹里だが、その顔にやわらかな笑みが浮かんだ。腰を浮かせて陽奈のほうへ近づき、そっとその細い腰へ手を回す。


「咲良は……小学生のころからずっと一緒だった幼馴染だからね」


「……そうですね」


「もしかして、私が陽奈より咲良のことを大事に思ってる、なんて考えてる?」


「そ、そんなことは……!」


樹里が陽奈の細い体をそっと抱き締める。予想していない行動に、思わず陽奈の体が硬直した。


「夏休み前にさ、陽奈が私の学校に乗り込んで先生に抗議してくれたとき、私めちゃくちゃ嬉しかったよ。私なんかのためにわざわざ学校早退して、あんなふうに怒ってくれて」


「…………」


「私ね、こう見えて友達少ないんだよ。ありがたいことに読モとして人気が出て、たくさんの人が応援してくれてるけど、やっぱりどこかに壁があるんだよね」


思わぬ言葉に、陽奈は内心驚いてしまった。自分とは正反対の、友達がたくさんいる人だと思っていた。


「でも、陽奈は最初から私と対等に接してくれたよね。まあ、初対面の印象は最悪だったけど」


樹里がクスリと笑みを漏らす。


「バカな私に勉強も教えてくれて、理不尽な目に遭ったことも自分のことのように怒ってくれて。私にとって陽奈は、ただの友達以上の存在って思ってるよ。大袈裟に言えば体の一部、的な」


「体の……一部……」


「うん。だから陽奈。これからもずっと私のそばにいてね?」


樹里に抱きしめられたまま、陽奈はそっと目を伏せた。アメリカで受けてきた差別、ギフテッドというだけで好奇の目で見られる日々。離れてゆく同級生たち。


生まれて初めてできた、心から友達と言える存在。今、自分を抱きしめている相手が、まさか自分と同じような思いをしていたとは思ってもみなかった。


「樹里……以前、私が言ったことを覚えていますか?」


「……どれのこと?」


「樹里と私はパラレルライン、平行線だと言ったことです」


「ああ……公園のベンチで」


「はい。その考えは今も変わっていません。何もかも正反対な樹里と私は、どこまでいっても平行線なんです」


「……そっか」


落胆したのか、樹里の声は少し掠れていた。


「……平行線は決して交わることはありません。でも、平行線はお互いがいつもそばにあり続けるんですよ」


ハッとした樹里が、抱き締めていた陽奈の体をそっと離す。二人の視線が交錯した。


「この前、職員室で言ったことに嘘偽りはありません。樹里は……私の大切な友達です。もちろん、ずっとそばにいますよ」


「陽奈ぁ……」


再び陽奈を抱き締める。強く、強く。陽奈もまた、両手をそっと樹里の背中に回した。何とも言えない幸福感に包まれた二人は、このときがいつまでも続けばいいのにと願った。が──


何やら視線を感じた二人が、同時にそーっと首を巡らせる。二人の視界に映ったのは、フローリングへ寝転んだままニヨニヨとした笑みを浮かべてこちらを見ている葉月と晶の様子だった。


驚き慌てて離れる樹里と陽奈。


「ち、ちょっと! 起きてるなら言ってよ!」


頰を赤らめ照れ隠しのように声を荒げる樹里に、「よっ」と上半身を起こした二人が変わらずニヨニヨとした笑みを向ける。


「いやー、JKとJSの百合シーンとか滅多に見られないし」


「てかもっとゆりゆりしてほしかったー!」


好き勝手口走る二人を「ぐぬぬ」と睨みつける樹里。一方の陽奈はいつもの無表情ではあるものの、その口元がうっすらと微笑んでいるように見えた。

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