第1話 獣人族の英雄は病む



 一寸先も見えない暗闇の中、憧れていた背中が遠ざかっていく。


 黒のマントを靡かせた細身の青年はどんな大男よりもレオハルトの瞳に大きく映る。


 でも、どれだけ手を伸ばしても、どれだけその背中を追いかけても届かない。

 そんな夢を見ていた。


『待って……』


 夢の中の自分は幼子のままだった。

 傷だらけの、みすぼらしい獣人族の子供。


 奴隷時代の非力な自分に、全てが灰色に映る視界に彩りをもたらしてくれたその人が首だけ振り返って告げた。


『……この世界を頼む』


『嫌だッ、行かないで、アレンッ』


 何度も叫ぶ。声が枯れるまで叫ぶ。


「――アレンッ!」


 意識が覚醒すると同時に、両目から涙が溢れた。

 レオハルトは跳ね起きて、周りを見渡す。


「……ここは……」


 ベッドの上に彼女はいた。


 傍には知己の使用人が看病疲れかベッドに寄りかかって眠っている。


 生活に必要な最低限度の家具が置かれた室内。

 その壁の至るところに大小様々な絵が飾られている。


 竜の背に騎乗して天空で敵と戦う勇ましい姿。水浴びをしている日常の一幕。剣の鍛錬をしている真剣な表情。

 その他にも様々な絵が飾られている。


 広い室内の至る所にあるその絵のモデルは一貫して一人の人間だった。


 目元まで伸びた黒髪に瞳は理知的なアメジスト色。切れ長の目に整った顔立ち。

 黒きマントを靡かせ、腰には紫紺の長剣を差す立ち姿。


 常に冷静沈着で頭脳明晰。

 その一刀で万の軍勢を薙ぎ払う天下無双の英雄。


 【黒曜の騎士】、【騎士の中の騎士】、【夜の騎士】。

 ついた異名は数知れない。

 

 世界騎士第一席にして団長であるアレン・ノーシュ。

 

 レオハルトにとって恩人であり、師であり、兄であり、名付けの親でもある憧れの人。

 彼の絵が無数に飾られている部屋。


(……オレの……部屋か……)


 レオハルトは涙を拭いながら息を震わせた。


 神聖皇国の首都にある天を突くように伸びた六つの塔の内の一つ――通称【獣の塔】、その最上階。

 レオハルトの自室である。


 種族を代表する英雄たる【世界騎士団ワールドナイツ】にはそれぞれ人類連合の盟主国である神聖皇国の首都に拠点が与えられる。


 そこで、任務が決まるまで身の回りの世話をする同種族の使用人達と共に生活しているのだ。


「って、鎧がねえ……脱がされてやがるッ」


 レオハルトは何時も身に纏っていた全身鎧をつけていない事に気付く。


 身体を見下ろせば、女性的な丸みを帯びた理想的な肢体がある。

 胸部は大きく膨らみ、くびれは細く締まっていて非常に美しい。


 しかし、その肌には痛々しい手術痕が目立つ。


 特に胸部の中央には大きな手術痕があった。どれだけ容姿が美しくても、傷だらけの身体は醜い。


 この醜い姿が嫌で、ずっと鎧で隠していた。

 でもアレンだけは気にしなかった。美しいと、そう言ってくれた。


 手足に巻かれた包帯は治療の証。


 治療の為に仕方なく鎧は脱がされたのだろう。


「そうだった。魔王に負けちまって……アレンはオレ達を逃がすために天使の杖を使ったんだ……」

 

 魔王と戦い敗走した事実にレオハルトは顔を覆った。


 記憶が途切れる前、最後に見た光景がはっきりと思い浮かぶ。

 他の世界騎士を逃がして、一人魔王と対峙した黒衣の騎士の背中。


(……でもあの人が負けるはずないッ)

 

 絶対に生きているはずだ。

 死ぬなんてありえない。


 そう信じていても、知るのが怖かった。

 

 レオハルトは震える手を伸ばして使用人を起こした。

 

 猫耳が震える。

 メイドは獣人族の一種、猫人族なのだ。


 まつ毛をふるわせ、彼女は驚いた様子でしばし呆けた後、起き上がった状態のレオハルトを見て瞳を潤ませた。


「レ、レオ様。申し訳ありません、寝てしまって……気がつかれたのですねッ、本当に良かった。お加減はいかがですか?」


 疲れを滲ませた傍仕えの顔色は酷く悪かった。目元が赤く腫れている。

 

「オレなら大丈夫だ。それよりアレンは? 帰ってきてるんだろ? あの人は今どこに――」


 その問いを口に出した途端、心底苦しそうに顔を歪めたメイドを見て、レオハルトの背中に嫌な汗が伝う。


「……ど、どうした?」


 しばらく、おどおどしながらメイドは居心地悪そうに黙り込んだ。


「……おい、本当にどうしたんだよ」


 その反応を見て、レオハルトは盛大に困惑した。


 簡単な問いだったはずだ。

 アレンの居場所を聞いただけ。


「……レオ、様……アレン様は……戻ってきておりません……」


「……は……?」


「もう、あのお方が我々の元へ戻る事は……ありません」


 悲しげに、しかしきっぱりと告げたメイドにレオハルトは呆けたまま首を傾げた。


「もう……戻らない? 何で……」


「アレン様以外の世界騎士様方が転移によって神聖皇国の首都ホワイトワースに帰還したのが今から二週間前の事です……レオ様含めて全員が帰還した当初、魔王の呪法によって昏睡状態に陥っていました。種族を代表する英雄達の惨状を見て、敗走したのだと皆が絶望しましたが、その直ぐ後でした。邪眼城から放たれていた空を覆う闇が晴れたのは……」


 猫人族の少女は椅子から立ち上がって、神妙な顔で部屋にある複数の窓にかかるカーテンを順に開けていった。


「人界大陸に住む全ての人類が理解した事でしょう。魔王は討たれたのだと。アレン様が……世界最強の英雄が偉業を成し遂げたのだと」


 レオハルトは眩しげに瞳を細めながら笑みを浮かべた。


「な、なんだよッ、アレンが勝ったんじゃねえか!」


 空には燦然と輝く太陽の姿がある。


 それこそが魔王が討たれた証。

 天空に浮かんでいた邪眼城は五年間に渡って闇を放ち、空を覆っていた。


 しかし今は違う。闇が晴れ、顔を出した太陽によって窓からは神聖皇国の首都ホワイトワースが一望できた。

 

 大理石で建造された白亜の建物が並ぶ街並み。空は快晴で、街中は多くの人の姿で賑わっていた。

 皆、太陽の光の元にこやかに生活している。


 レオハルトの喜びを滲ませた言葉に、メイドは首を左右に振る。


「……魔王が討たれて残党たる魔族や魔獣が散り散りに逃げ回る中、神聖皇国は戦勝を宣言しました。しかし、殊勲のアレン様だけは一向に帰って来ません。盛大に爆発した邪眼城と恐らくは運命を共にしたんだと思われます……」


 メイドは震えるレオハルトの手を自らの両手で包み込み、続けた。


「――各国の捜索隊からも良い報告は上がっておりません。残念ながら……」


「……」


「……レオ様?」


「……嘘だ……」


 ぽつりと、レオハルトは無意識に口に出していた。


 アレンとの数々の思い出が脳裏を過り、そして最後は真っ暗に染まる。


「……レオ様、嘘では――」


「……嘘だ、嘘、嘘だ、そんなの嘘だ……嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘だッ!」


「……レオ様……」


「やめろ! それ以上何も言うなッ」


(アレンは、アレンは最強なんだぞ!? あの人が死ぬもんかッ、死なない、あの人は……死んでないもん……)


「アレンはどこだッ⁉ アレンどこにいるんだッ! 嫌だ、アレンアレンアレンアレンアレンッ……アレン……!」


 レオハルトは頭を抱え、両目を強く閉じた。プラチナブロンドの髪を掻きむしり、絶叫を上げる。 

 瞳を強く閉じても涙が滲んでくる。


 邪眼王は確かに強かった。


 瀕死の仲間達を逃がしたアレンはたった一人で強大な魔王に戦いを挑んだ。


 あの状況では、寿命を削る【雷殲剣】の力を最大限に使ったはず。

 使ってしまったはず。


(オレ達が……オレが弱かったせいで……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……)


 弱々しく嗚咽を漏らすレオハルトを見て、メイドは唇を噛み締めた。


 とても英雄とは思えないか弱い姿。


 この部屋を見れば獣人族の英雄がどれ程アレン・ノーシュを慕っていたかは分かる。

 それこそ常軌を逸している程に慕っていた。


 それは無理もない話だ。

 全てを奪われたみすぼらしい奴隷の子供から、英雄にまで成長したのは間違いなく彼のおかげだ。


 レオハルトはアレンに全てを与えられたのだ。


「……一人に……してくれ」


「……レオ様……」


「……」


 ベッド上でうなだれたまま瞳から光を失った主人を見つめ、使用人は痛ましそうに首肯した。

 大切な人を失ったのだから、誰だって立ち直るまで時間がかかる。


 しかし彼女は英雄。


 だからきっと立ち直ってくれる。全ては時間が解決してくれる。

 心の傷が治るまで、獣人族は待ち続ける事にした。


 だがメイドの少女が部屋を出ていく間際、無機質な声で囁かれた言葉が酷く耳に残った。


「――あの人がいない世界なんて……滅んでしまえばいいんだ」


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