cp22 [飛ばない鳥]③


 門番達が気付かれぬよう視線を逸らすのと同時に、固まっていた時が動きだす。

「どうして…なぜですか」

「こちらは十分譲歩しているつもりでいますから。そちらも試験で実力と誠意を示してください」

 雛乃の手から逃れた左手の人差し指が円を描いた。彼女は蒼の笑顔を注視し続けている。

「私を…信じては下さらないのですか?」

 涙声が問い掛けた。蒼の表情はそれでも変わることはなく。

「そう我が儘を仰るのは、あなたが僕を信用していないからですよね?それと同じに、僕もあなたを信用していない。それだけのことですよ」

 無情な言葉を笑顔のまま、躊躇いもなく言い切った。

 雛乃はそれでも諦めがつかないのか、蒼の手を硬く握って整った顔を歪める。

「酷い…」

「嘘でも助けを求めたのはあなたの方です。僕はそれに、適切な処置を施しただけに過ぎません」

 今にも涙を溢しそうな雛乃は、蒼の言葉に俯き、掠れた声で答えた。

「嘘…だなんて…そんな…」

「正直な方ですね」

 戸惑う様子を指摘して、蒼は雛乃の手を丁寧にほどく。ほどきながら、指先と同じ優しい声で苦笑した。

「本当に困っている人は、いきなりそんな我が儘を言い出したりしないものですよ」

 ピクリと雛乃の身が揺れる。蒼は構わず距離を取ると、恐る恐る顔を上げた彼女と向き合った。

「逃げるも受け入れるも、あなた次第です」

 傾いた笑顔が告げた言葉に、雛乃の眉が悔し気に歪む。蒼は声を落として更に続けた。

「どちらにしても、あなたには酷なことなのでしょうけど。これを機に、精々ご自分を磨いて下さい」

「磨かずとも…私は…」

「それなら試験も簡単にクリアできるのではないですか?」

 嘲笑に似た仕草に、雛乃は声を震わせる。

「私は…貴族です」

 それは酷く低く響いた。

「そんな仕打ち…耐えられるわけがありません」

 睨み付けてくる彼女に、蒼は溜め息のように問い掛ける。

「仕事をする生活が、そんなに苦痛ですか?」

「あなたはご自分で給事までされていましたよね?私にも同様にしろと仰っていると受けとりましたが…」

「つまり、こちらの条件を呑むくらいなら、政略結婚を受け入れると」

「あちらなら、もっと良い生活すら出来るかもしれませんから…」

「そうですか」

 そっぽを向いた雛乃に構わず礼をして、蒼は笑顔で踵を返す。

「それでは、またどこかでお会いしましょう」

 城に向けて歩く彼の背中を、詰まったような声が追いかけた。

「…それだけ…ですか…?」

「忠告はしましたよ」

 懇願にも似た問いに、振り向いた蒼はやはり笑顔のまま、悲しげに言い放つ。

「僕はあなたの考えているような、都合のいい人間ではありません」

 雛乃は絶望したように腕を垂れると、闇を帯びた瞳を蒼に向けた。

「一度優しい顔をしておいて…用が済んだら掌を返すのですね」

「それとこれとは話が別だとも、お伝えした筈ですが…」

 苦笑の後、目を閉じて。数秒後に瞼を開き。蒼は正面から雛乃の表情を確認する。

「説き伏せてもあなたは、僕を怨むのでしょうね」

 心臓を突き刺すような眼差しの強さを、噛み締めた唇の色を、握り潰された茶封筒の質感を、彼はしっかりと網膜に焼き付けた。

 雛乃はその後、門番二人に見送られて城を後にする。先日の運転手はお役御免になったのか、別の人物が運転する車に乗り込んだ彼女が顰め面を解くことはなかったそうだ。



 ぼんやりと夜の海を見渡す。

 真っ黒な中に曖昧に存在する青が、不思議と色濃く沈んで見えた。

 王座の間の窓枠に腕を付き、顔の下半分を埋めて外を眺める蒼の姿を、自室から戻った沢也が見付ける。

 昼過ぎから日が沈みきった今の今まで部屋に籠りきりだった彼は、蒼を見るなり彼特有の微妙な笑顔で問い掛けた。

「失恋か?」

「まさか…そんなに色っぽいものじゃありませんよ」

 沢也が入ってくる前から浮かべていた微笑を緩やかにし、蒼は儚い言葉を流す。

「もっと…なんといいますか…ドロドロとした…そんな感じの感情ですかね」

 それは僅かな間だけ室内に留まって、すぐに海へと流れていった。沢也は構わず息を吐き、書類片手に席に付く。

 蒼はそれ以上なにも言わなかった。理由を分かっているからこそ、沢也も追求しない。


 助けてくれと頭を下げられたことが嫌だったわけではない。

 条件を飲んでくれなかった事に怒っているわけでもない。


 手を差し伸べてしまった事を後悔しているわけではない。

 条件を飲めなかった事を嘆いているわけでもない。


 ただやるせないのだ。

 すれ違い、理解できぬまま、小さな小さな確執が生まれ、それが次第に大きくなって。争いが生まれてしまうのを、止めることが出来ない事が。


 どうすることも出来ない自分が無力なのか。

 それともこれが、世の理なのだろうか。

 人間の性だとでもいうのだろうか。


 そう思いたくはないけれど。

 きっとそうなのだと、肯定する自分がいることにもまた、やるせなさを覚える。


 それでも彼は飛び続ける。

 飛び続ける限り、同じような事が起きるであろうことを理解しながら。





 翌日の早朝。


 まだ門番も出勤していない時間帯に、蒼は日課を終わらせようとエントランスに足を向けた。

 朝日が照らす中庭に背の高い扉の影が落ちる。遅れて顔を覗かせた蒼を待っていたのは、小鳥の高い鳴き声だ。

 いつものように顔を上げ、空の色を確認する彼の視界。ふわりと落ちた白い羽が、太陽の光と被って見える。

 風に巻かれることもなく、羽根はゆっくりと蒼の手の中に落ちた。続けて光を遮る影が、緑の芝生に鳥の形を映し出す。


 羽根を傘代わりに掲げ、青く澄んだ空を仰げば、雲一つない空に浮かぶ白。


 それは宙に円を描いて高く鳴き、手を振るように羽ばたいて、いつしか青に紛れた。


 蒼は白の影が跡形もなく見えなくなっても、じっと空を仰ぎ続ける。

 その瞳に映る青が元の青と同化して、今にも溶けてしまいそうな程。


 実際にはどれくらいそうしていただろう、正確な時間までは分からないけれど。

 彼は不意に浮かべていた笑みを強め、深呼吸を空に上げ。昇っていくなにかを認めたように、数秒待って踵を返した。


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