anemone:α
あさぎそーご
1年目:6月
cp01 [あれから]①
久々に晴れ間の覗いた6月のとある日。
空は青く凪いでいて、海に吹く風も心なしか穏やかだ。
簡略化すると楕円のような島国、その東に位置する離れ小島がこの話の舞台。本島の10分の1にも満たないサイズの小島は、国の中でも特別な区画として知られている。
王都ブロッサム。
人々がそう呼称する街は、凛々しく佇む真っ白な城の下、今日も賑わいに溢れていた。
本島と繋がる橋の出口から、城の建つ小高い丘の手前まで続くメインストリート。整備されたレンガ造りの道には、様々な商店が入り乱れている。
響くのは商人の声、買い物を楽しむカップルの声、タイムセールに突撃する主婦の雄叫び、喧騒に紛れる旅人のため息、そして…
「こらああああ!待てええぇえい泥棒おおおおぅ!」
盗人を追う近衛隊長の叫び。
人の入り乱れる街並みを縫うように走り、犯人を追い詰めていく彼の名は…
「頑張れ~!義希くん!」
店先から焼き鳥屋の女店主が呼ぶ通り、つい数ヶ月前に国の第一近衛隊長に就任した能天気男、義希だ。
「おばちゃーん!後で焼き鳥10本予約ね!」
「あいよ!あんな奴早く捕まえちゃいなさい!」
「任しといて!」
走りがてら余裕ぶって会話をする義希が、おばちゃんの声援に手を振り終えて前方に向き直ると、数メートル前を走っていた筈の泥棒男が視界から消え失せる。何事かと思って足の回転を緩めた彼の視線の先、人垣に囲まれた道の中央で知った顔が微笑んだ。
「残念だったなぁ義希、またしてもおれ様に手柄をありがとう!」
「小太郎!お前、ほんと抜け目ねぇなあ」
「お前がトロいだけだろうが!こんな奴に長いこと構ってる暇はないんだ…よっ!と」
義希の感嘆にも似た落胆を気にも留めず、言いながら窃盗犯の手を後ろに捻った小太郎は、慣れた手付きで手錠をかける。
たったの2年でよくもここまで丸くなったものだと、長年相方を務めているくれあが漏らす通り、どことなく優しさを帯びた彼の横顔を眺めながら、義希はホッと息を付いた。
赤髪から金髪へと戻った上、短かく切り揃えられたヘアスタイルから溢れる爽やかさのせいで、昔の彼をよく知る人物からすると別人と見間違うほどの変貌を遂げてはいるが、義希の目の前にいるのは正真正銘、間違いなく小太郎である。今となっては慣れたものの、かくいう義希も2ヶ月前。久方ぶりに会った彼を見てかっくりと首を傾げただけでなく、それから暫くは認識するのに手間取ってよく固まっていたわけで。
周囲の困惑をよそに、髪型に加えて心境の変化を表すかのように、常に持ち歩くようになった白いストールを慣れた手付きで後ろへ回した小太郎は、お馴染みの微笑と悪態で小走りの義希を迎える。
「仕事は山程あるんだ。ちんたらしてねーで、さっさと連れてけよ?」
「ああ、小太郎。オレ、これから約束が…」
押し出されてよろけた泥棒を押し返しながら、義希は右手を顔の前に立てた。小太郎は無情にもピンボールのように返却されたそれを受け取りながら、微かに眉をつり上げる。
「はぁ?!ふざけんなよ!焼き鳥なんか後でも…」
「違う違う!沙梨菜のとこ!今日はホラ、海辺でやるだろ?念のため警備してくれって頼まれてるんだよ」
慌てて両手を振りつつ一息に言い訳を並べる義希に、ややあって小太郎のため息が浴びせられた。
「…チッ、仕方ねぇな。貸しだからな?」
「了解。後で焼き鳥、分けてやるからー」
「おう、レバーな、レバー!」
言い終わらないうちから駆け出した義希を声だけで追いかけて、隙を見て逃げ出そうと足掻く泥棒の首根っこを掴んだ小太郎は、口端を緩めて背後に佇む城へと足を向ける。
義希率いる「第一近衛隊」そして小太郎率いる「第二近衛隊」は、王都を守る守備隊として日々活動中だ。
国の設立から任務に当たっていた小太郎とは違い、2ヵ月前に一人旅から帰ってからと言うもの、右も左も分からぬ状態で隊長を務めることになった義希ではあるが、犯罪者の確保から迷子のペット探しまで、小さな探偵事務所という名のなんでも屋の如く、毎日のように街の北から南、東から西までを必死になって奔走してきた。その甲斐あってか、前々から功績を上げる小太郎をあれよあれよと押し退けて、今やすっかり下町の顔として定着してしまったようである。
こうして街を歩くだけであちらこちらから声がかかるのも、彼特有の愛嬌と、持ち前の話しやすさがもたらした結果かもしれない。
隊長としてうんぬんは兎も角として、町の人達の心をがっちり掴んだ第一近衛隊長は、今日も今日とて下町をひた走る。
頭に刻み込んだ地図を駆使して最短ルートで目的地に辿り着いた義希は、立ち止まると同時に目の前の光景を細めた目で見据えた。
街の最西端には本島へと続く橋の入り口があり、その手前にある小道を右に曲がるとちょっとした広場に出る。いつもは曲がりくねった煉瓦の小道の両脇を、グラスグリーンの芝生が覆っているだけの殺風景な場所なのだが、今日ばかりは勝手が違っていた。
「みんなー!今日も楽しんでいってねー」
挨拶の後、海を背景に響くのはのびやかな歌声。そして、熱の籠った大音量の歓声だ。
「またうまくなったなぁ、沙梨菜」
一人呟きつつ、最後尾から見渡す特設ステージは圧巻だった。
沙梨菜は今、王都を代表するアーティストとして活躍中の、いわば有名人である。
本来ならSPでも付きそうな程人気のある彼女ではあるが、一度ステージから降りさえすれば一般人と変わりない生活を送っているなど、普通のアイドルとは一味違う親しみやすさも人気の理由の一つだろう。実力は勿論、義希だけでなく町中のお墨付きだ。
暫くの間、自分がこの場に立った意味も忘れて耳だけに神経を注いでいた義希は、ハッと我に返ると同時、目の前に広がるすし詰め状態の観客達の合間をどうにかこうにか潜り抜ける。
透き通るような歌声を聞きながら、本来の任務である警備を遂行し。難解な音程を軽く歌い上げる彼女に感心しつつ、スタッフと退場の打ち合わせに勤しんだりと、きっちり仕事に打ち込んだ。彼がそうこうしているうちに、あっと言う間に終了した1時間半の特別ライブ。アンコールまでを満喫した観客達は、誰もが笑顔で帰っていく。
その全てを送り出し、通常営業に戻った広場を振り向いた義希は、遠く向こうから駆けてくるオレンジ頭に手を振り返した。
「義希~!ありがとね、来てくれて♪」
「いやいや。沙梨菜の頼みとあっちゃあ、来ないわけにはいかないだろ?」
あれだけ歌ったあとだというのに、元気に叫ぶ沙梨菜の巻き付き攻撃を受け止めた義希は、折角作ったキメ顔を崩してふにゃりと白い歯を見せる。そんな彼に両手に持っていた缶ジュースのうち1つを差し出した沙梨菜は、笑みを強めて肩を竦めた。
「おかげさまでなにごともなく楽しめました♪」
「しっかし、また上手くなったろ?もっと金取ってもよさそうな気がするけど」
「いーのいいの♪沙梨菜だって、楽しませてもらってるわけだし…」
晴れ渡る青空の下。潮風薫る広場の真ん中で景気良く缶のプルトップを引き、ポカポカ陽気に優しい冷たさを堪能する。口の中に流れ込むオレンジジュースの甘さと、隣で謙遜する沙梨菜の両方を微笑ましく思いつつも、義希は眉根を強ばらせたまま短く唸った。
「でも今、城がさぁ…」
「そうなんだけど、沢也ちゃん…あれ以上は受け取ってくれなさそうだし」
「まぁ、そうか。あんまり貸し作りたくないのか…?いや、でもそんなこと言ってる場合か、とも思うけど」
難しい話が苦手な二人がうんうん唸ったところでどうにもならないだろうが、それでも唸りたくなるような問題を、国のトップに立つ仲間が抱えている。それをどうにか緩和しようと自分の稼ぎを寄付する沙梨菜であったが、それはそれで色んな問題があるようで、あまり貢献できていないのが実際のところである。
口を尖らせ不服そうにする義希に曖昧に微笑んで、沙梨菜は話を別方向へと逸らした。
「そう言えば義希、最近有理子に会いに行ってる?」
「ん?ああ…いや…なんか忙しそうでさぁ…」
「えー。そんなこと言ったら、沙梨菜も会いに行けなくなっちゃうよぅ…」
もごもごとお茶を濁す義希に詰め寄る沙梨菜。その気迫と悲し気な瞳に押された義希は、渋々首肯する。
「…そっか、まぁ…そうだよなぁ…んじゃ、まぁ。あとで行ってみる…かな?」
「ホント?じゃあさじゃあさ!片付け終わったら一緒に行こう?絶対だよ?」
「わかった、わかったよ。じゃあまた、連絡くれな?」
何度も念を押す沙梨菜の頭を撫で、なんとか笑顔を浮かべてはみるが眉は下がったまま。無意識のうちに表情に滲み出る本心に参りながら、義希はその場を後にする。
そうしてぼんやり空を仰ぎ、頭の中に言葉を並べた。
会いに行く…か。
沙梨菜が言う通り、ここ数日の間有理子には会っていない。
いや、数日どころじゃないかもしれない。数週間………いや、もっとだっただろうか?
会いたくない、と言えば嘘になる。……いや、どちらかといえば会いたいんだろうけど。
だけど、勢いで約束してみたはいいけど、やっぱり気が進まないな…
なんていうか…今はちょっと…
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