第1話 魔法仕掛けのクリスマスケーキ(3)
「コーヒーをお取り替えいたしましょう」
気づけばデュボワさんがいて、飲みかけのコーヒーを湯気が立つ淹れたてのものに替えてくれた。
ナプキンでそっと目尻を拭って言う。
「ケーキもですが、コーヒーもすごくおいしいですね。香ばしくて、すっきりしてて、悲しい気持ちが洗い流されるみたい」
「お褒めに預かり光栄です。デザートは私のほかにもうひとりいる執事兼パティシエが作っているのですが、コーヒーは私の役割なので格別にうれしいですね」
涙には触れないスマートさが、格式のあるお店の執事さんらしいなあ、と思う。デュボワさんの洗練された所作と心地よいおしゃべりに誘われて、気づけば私はぽつり、ぽつり、と昨晩の出来事を口にしていた。
青い瞳を丸くして、デュボワさんが聞く。
「でも、羽美さんがクリスマスをその彼と過ごすかどうかは、聞いていないわけでしょう?」
「ええ。でも、きっと恋人同士で過ごすんだと思います。それが普通だから」
高校生の頃のことだ。仲良しの友達とクリスマスのお茶会を計画していたのに、約束は果たされなかった。彼女に恋人ができたからだ。
私は無邪気に祝福したが、まさか一緒に過ごすクリスマスをポッと出の男に奪われるとまでは思ってもいなかったから、「彼と過ごすことになって」と言われたときには内心
けれど、笑顔で「だよね!」と言った。そんなのあたりまえじゃん、言わなくてもわかってるよ、と気丈に振る舞った。
彼女がお茶会を断るときのきまり悪そうな顔を思い出すたび、私のほうから言ってあげられなくてごめん、気づかなくてごめんね、と思う。
羽美には「クリスマス、楽しんでね」とこちらから言ってあげるのが優しさなんだろう。
でも、それを言うのがこんなにも悲しい。悔しい。寂しい。
「クリスマスをこんなに好きなのも、結局、子どもの頃の守られてた感じとか、箱庭的な少女趣味とか、そういうのが抜けきらないだけなんです。恥ずかしい」
「恥ずかしい?」
デュボワさんが驚いて聞き返した。
「ええ、いつまでもちゃんと大人になれなくて」
「大人は、壊れやすくて美しいものを愛してはいけないのですか? 目に見えなくても人生のそこここに確かにある、魔法も?」
窓ガラスを風がガタガタと鳴らした。月光の庭では、白百合が誘うように揺れている。
私は、急に部屋に充満した濃厚な百合の香りに戸惑っていた。デュボワさんが、
「北条様のご親友は、なぜか毎年冬には恋人がいない。いささか不思議ですね。お話を伺っている限り、恋多く、大変おモテになる方だというのに」
そう言われれば、とはっとする。たまたまにしては、そんな冬が続きすぎているかもしれない。
「北条様がご親友を大切に思っていらっしゃるように、彼女もまた北条様を大切に思っておられることでしょう。であれば、北条様がクリスマスをどれだけ大切にしているかだって、重々ご存じのはず。
もし、勇気を出してクリスマスのご予定を聞いてみて、当日おひとりになられるようでしたら、どうぞ当店へお越しください。この
私は、まあ、と声を上げて笑った。白いお
でも、サンタにはちょっとダンディすぎるかも。お腹のお肉も足りていないし。
温かいうちにとコーヒーをいただく。まろやかな苦味に、残りのケーキが進む。
そうか、魔法って大人になってもあるのかもしれない。普段なら絶対に素直には思えないことを、妙にすんなりと受け入れられた。
世の中の常識なんかどうだっていい。私は、羽美と魔法みたいに美しい友情を築いてきた。彼女の返事がどうあれ、それは私の世界の変わらない真実だ。
空になったお皿を前に、蓄えた月光をふんわりと放つようにして輝いている庭を見ながら、そう思った。
やがてシルバーのカルトンが置かれ、あ、お支払い、と気づいた。そういえば、一体いくらなんだろう。少ないながらもボーナスが出たばかりだしカードが使えればなんとかなるかな、と思ったときだった。
「お支払いはどうぞ、お手の中にあるお花でお願いいたします。幻とうつつのあわいで蓄えた淡い光、あなた様の
ふと、太ももの上に置いていた手を見ると、小型の百合と思しき花があった。いつの間にと驚くでもなく、銀のトレーにそっと寝かせてやる。
心がふわりと温かく、そして軽くなるのを感じた。
お土産にとスライスしたシュトレンまでいただいて、私はフォスフォレッセンスをあとにした。うやうやしくお辞儀してくれるデュボワさんに、心を込めて
コートのポケットの中で、スマホが震えるのがわかった。羽美だ。
さっそく返事をしよう。かわいくラッピングされ、赤いリボンをつけられたシュトレンを早く見てほしい。「え、すご! なんかよさそうなとこのじゃん」と笑う羽美の顔が浮かぶ。
うれしい。私は自分の人生の魔法使いなんだ。
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