第37話 ラスト・スクール・ホワイトクリスマス3

 改めて図書館に向かい、適当に本を見繕う。静かな館内で本を読みふけっていれば、気づけばいい時間になっていた。

 立ち上がれば、くぅ、と小さくお腹が鳴った。昼食を食べていなかったことをようやく思い出し、僕は大学の隅っこで、すきっ腹に弁当を詰め込む。それから、帰宅のために駅へと歩き出した。

 朝からずっと降っては止むのを繰り返している雪は、雨に変わることなく今も降り続いていた。

 折り畳み傘を差して、道を行く。傘を差すほどではない気がしたけれど、道行く人がみんな傘を差していたから、僕もつられるように傘を開いていた。

 途端に、世界から切り離されたような気になった。

 僕は一人、傘の下で孤独だった。

 雪は音を立てずに舞い降り、僕の傘や歩道を濡らす。黒ずんだ灰色の道を歩きながら、僕は傘を傾けて空を見上げた。

 どこまでも広がる灰色の空には、希望に満ちた未来を見出すことはできなかった。


 乗り換えの駅にて、無意識のうちに最寄りへ続く電車に乗ろうと改札へ向かっていた僕は、ふと足を止めた。

 何か忘れている気がして記憶を掘り起こし、思い出した。

 駅前のイルミネーション――去り際に堀田さんが語った言葉を、思い出していた。

 彼女のいない男に、いちゃつく恋人たちであふれるイルミネーションを見に行くことを勧めるなんて。堀田さんはなんて悪趣味なのだろう。

 そう思って。

 けれど僕の足は、なぜだか改札の方ではなく、駅の外へと向かっていた。

 冷たい風が、肌に刺さる。駅のロータリーから大通りを真っすぐ、鮮やかなライトが世界を照らしていた。

 夕暮れの頃。曇天に覆われる世界はすでにかなり暗い。その中で淡い橙色の光が美しく輝き、光の道を作っていた。その道を行くように、光るサンタの姿が見える。

 道行く人が立ち止まり、あるいは歩きながら、ロータリー中央の円形の大地に作られた光のオブジェクトを見つめていた。巨大なクリスマスツリーと、真っ赤なサンタクロース。見上げる人たちは、手をつなぐ恋人あるいは夫婦のこともあれば、子連れの親子だったり、くたびれたサラリーマンだったりした。

 その世界を、僕はただじっと眺めていた。

 ふと、視界の端を白がちらついた。先ほどまでは止んでいた雪が再び舞い始め、ライトアップの光を反射しながら散っていく。

 自然と、僕は光の道に沿って歩き出していた。

 吐いた僕の息もまた、橙色の光を散乱させて輝いていた。温かな光が、僕の冷え切った心をほぐしていく。

 無性に泣きそうだった。どうして泣きそうなのかもわからないまま、僕は道を歩いた。

 左右の街路樹に巻かれた光を横目に、僕は雑踏の中を進む。

 温かな笑顔に満ちた、駅に向かう人たちと通り過ぎながら。

 すべてには、終わりがある。それは、大通りのイルミネーションだって同じだった。

 世界はすでに夜の闇の中にあって。イルミネーションの終わりにたどり着けば、その先には闇に沈む街が見えた。

 これだけ歩けば駅前の喧騒は遠く、人通りも少なくなっていた。

 もう十分だと、僕は帰りの道を思いながら、疲れを感じる足で来た道を戻ろうと振り返り――視界の端に、一人の女性の姿を捉えた。

 自然と、目が吸い寄せられた。薄闇の中、反対車線の歩道にて、建物の壁にもたれてイルミネーションを見上げる夏木が、そこにいた。真っ白なコートに、赤い模様の入った白のマフラー。ベージュのロングスカートに身を包み、冷えて赤い手に息を吹きかけていた。

 その姿から、目が離せなかった。

 どうしてこんなところに居るのか、待ち合わせか、だとすればやっぱり板垣君とだろうか。

 その寂しそうで孤独な姿を見て、僕は一歩を踏み出す――ことは、できなかった。

 通り過ぎる車が、夏木の姿を隠す。そこで僕は我に返った。

 視線をうつむきがちにして、彼女が視界に入らないようにする。

 きっと、夏木にはもう、別の恋人がいる。どうして板垣君と別れたかはわからないけれど、あれだけ美人な夏木には、僕なんかよりすごい人がお似合いだった。

「僕は――」

 僕は、そこには行けない。恥ずかしくて、夏木の隣に並べそうにない。

 それでも友人としてならずっと隣に立てるだろうかと、そんなことを思った。

 ゆっくりと、来た道の方へと振り返る。夏木から逃げるように、歩き出す。

 僕はこんなところで何をしているのだろうか。

 わからない。

 決して、ストーカーのように夏木を見つめるためではなかった。

 にじむ涙をこらえながら、僕は傘を差し、うつむきがちに歩く。

 僕はここに一人。孤独に生きている。そう、僕は確かに、世界に存在していて、ここで生きていた。

 僕を、見つけて――心の叫びが、聞こえた気がいた。

 友達の一人もいない僕を、見つけて。僕に、話しかけて。僕の隣に並んで。

 それが誰に対しての言葉か、考えるまでもなく分かった。

 けれど、僕はその叫びを口にすることなく、一人雑踏の中へと歩き出した。

 降り続ける雪の下。

 傘を差した僕は雑踏に紛れて、大勢の中の一人として歩いていく。

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