第3話 不本意だが

 監視とはいえ、いくら悪名高いとはいえ。いくらなんでも、女性の私生活を覗き見するわけにはいかない。

 子供の頃に同年代の少女を「あいつ」だとか「お前」だとか言ったが最後、それはもう物凄い勢いでお袋に叱られてから、女性に対してだけは常に慎重に行動するようになった。

 そういう経緯を踏まえて、家に新しくいくつかの魔術式を施したが。


「ニコロ、一つ聞いていいかい?」

「なんだ?」

「数日前から新しい魔術式を展開しているようだけど、君はいつから犯罪者になったんだい?」

「誰が犯罪者だ!」


 人聞きの悪い!

 そもそも俺の置かれた状況を知っているだろうに、わざわざ選んで口にした言葉がそれか!?


「だが、その……」

「絶対に逃がすなっていう命令なんだよ! そうじゃなきゃ、誰が好き好んでこんなことするか!」


 噂のジュリアーナ・アルベルティーニが我が家にいる以上、少しでも家を出ていく予兆があれば即座に止める必要がある。

 そのために必要な措置なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 むしろ魔術式の種類が分かってるのなら、普通そこまで予想できないか?


「なるほど、そういうことか。よかった。君が誰かを拉致監禁しているのかと……」

「人を勝手に犯罪者にするな!」


 こいつは時折、こういう天然な発言をするから困る。

 俺をからかっているわけではなく、素でやってるあたりが恐ろしい。


「それで、どうなんだい?」

「なにが」

「奥方の様子は」


 その言葉に、背中をぞわぞわとした悪寒のようなものが走る。

 具合が悪いわけじゃないが、あまりの嫌悪感から拒否反応が出てるんだろうな。


「奥方とか言うな、気持ち悪い。そもそも書類上だけの契約結婚だって、お前も知ってるだろ」

「それでも夫婦は夫婦だろう? 環境も全く変わってしまったわけだし、多少は気にかけて――」

「知らん」


 そもそも自分で蒔いた種だ。どうなろうと、責任は本人にあるはず。

 むしろ、そこまでしておきながら衣食住が確約されてるだけ、ずいぶんとマシだろうが。これ以上を求めるほうが間違ってる。


「魔術式が壊されなければ、あとはどうでもいい」


 実際、暴れまわって破壊の限りを尽くすわけでもなく、ただおとなしく生活してるみたいだしな。

 本人がどう思っていようが俺の知ったことじゃないし、手間をかけさせないでくれればそれでいい。


「君は本当に、他人に興味がないね」


 呆れるでもなく、ただ苦笑いをしてるだけのベッティーノは、俺との付き合いが長い分よく分かってる。

 むしろこいつみたいに、魔導士が社交的なほうが珍しい。


「そんなことより、実験に移るぞ」

「おや。計算は終わったのかい?」

「残りは微調整しながらだ。お前のほうは――」


 どうなんだと、確認しようとした瞬間。


「――っ!?」

「魔術式が反応した!?」


 新しく施した魔術式の一つが、俺の目の前に形になって現れる。

 対象者が家を出る意思を見せたと同時に、魔術式を組み込んだ陣が展開されるようにしていた。

 それが、ちょうど今、反応を示したということは。


「悪い! 少し出てくる!」

「あぁ、行っておいで」


 あの公爵令嬢が、出て行こうとしているという事実に他ならない。

 この場合、迅速に対処しないといけない。今の俺の仕事は、唯一これだけだから。


 そうして、大急ぎで家へと飛んだ、その先で。


「どこへ行くつもりだ?」


 緩やかなウェーブを描く金の髪の持ち主に、咎めるような口調でそう問いかける。

 爵位と同時に勝手に与えられたものとはいえ、自分の家の中に他人がいるという事実に違和感しか覚えないが。今はそれどころじゃない。

 こちらを向いた珍しい緑の瞳は、驚きに満ちていた。


「え、っと……」

「不本意だが、君と夫婦となりこの家から逃がすなと言われている。不本意だが」


 むしろ不本意以外の何物でもない。

 とはいえ王族命令である以上仕方がないし、研究し放題の今の生活を手放す気もないので、逃げるつもりなら容赦はしない。

 家の中に閉じ込めておくだけなら簡単なことだと、一言脅しておくべきかとも考えるが。一向に返事は返ってこない。


 だから。


「……何か言ったらどうなんだ?」


 俺がそう口にしたことは、おかしいことじゃなかったはずだ。

 そう、そのはず、だったんだが……。


「え、っと……おかえりなさいませ?」

「……は?」


 まさか相手の口からそんな言葉が飛び出してくるなんて、予測できるはずがないだろ?

 そもそもこの状況で、そんなこと言うか?

 今度は逆に、俺が言葉を返せなくなる。


 なのに。


「あ」

「……なんだ」


 なにかを思い出したのか、思いついたのか。

 唐突に聞こえた一言に、ようやく反応を示した俺に。


「はじめまして、旦那様」


 これぞ貴族令嬢というようなお辞儀をしてみせた、目の前の人物。

 それに、今度こそ本気で混乱してしまった俺は。


「…………はぁ!?」


 素っ頓狂な声を上げてしまったわけだが。


(ちょっと待て! これは、誰だ!?)


 どうにも前情報と一致しない、ただの貴族令嬢に見えてしまいそうな人物に。

 俺は生まれて初めて、全く理解が追いつかないという事態を体験していた。





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