第36話 異端者〈イレギュラー〉

「ジタ君は想像以上の働きをしましたね。まさか、かの神をここまで弱らせてくれるとは」


 見知った医療神官は、日頃と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。

 だが、その口から紡ぎ出される言葉は平時とはまるで違う。


「彼、君のことを随分と気にかけていましたからねえ……強い思いほど、反転すれば強大な呪いとなる良い例です」


 イスメトは言葉を失う。

 ザキールは何を言っているのか。頭では理解しても心が拒絶する。


 テセフ村の誰もが、彼には世話になってきた。

 風邪やで治療を受けるのは勿論、彼が往診に来る度にイスメトは幻覚のことも相談していた。


 そんな彼が、なぜエストと――アポピスと共にイスメトの前に現れたのか。

 答えはもう、一つしかない。


「まさか……貴方があの騒動を? 呪具をジタに渡して……!?」

「我ながら名案でした」


 返ってきたのは肯定としか取れない言葉だった。


「一体、何が目的なんです! オアシスを滅ぼすつもりですか……!」

「ふふ……まあ落ち着いてください。こうして姿を現した以上、ごまかす気などありません。私はただ、我々の教義を貴方に知って頂くために参上したのです」

「教義……?」


 ザキールはこちらへ歩み寄りながら、おもむろに自分のフードへ手をかける。

 どんな時でも外さなかった黒いフード。

 それが後ろに下ろされて、ザキールの頭部が露わになる。


 イスメトは目を疑った。

 彼の頭部には、黒くて太い巻き角のような何かが生えている。それは耳の裏から後頭部を覆う髪のように、後ろ首まで続いていた。


「我々は呪われし日陰の一族――〈夜の民ゲレフ〉。といっても、この名を知るのは今や同胞たちと、神々くらいでしょうか。なぜなら、君たちのような秩序側・・・の人間は、我々を下等な獣と同列に並べてこう呼ぶからです――魔獣、と」

「魔獣……!? それじゃあ、貴方は混沌に――!?」


 混沌に憑かれた人間の、成れの果て。

 だがザキールの振る舞いはどう見ても普通の人間だった。正気を失ってもいなければ、混沌に操られているようにも見えない。


「この角は生まれつきのものですよ、イスメト君。我々は、そういうなのです」


 ザキールはどこか寂しげに笑った。


「混沌により呪いを受けた我々は、ずっと時代の片隅に追いやられてきました……何百年、何千年と。権利を認められず。ヒトと認められず。魔獣だ悪魔だと、罵られ続けた。宗派が分かれてからは、同志であったはずの〈砂漠の民〉からすらも……追放された」

「追放……? 同志、って……」

「そうですね……少し、古い神話れきしを語りましょうか。主よ、こちらへ」


 ザキールは手を差し伸べる。

 エストは一切の躊躇なく、イスメトから離れてその手を取った。


「お話するの? 必要なこと?」

「ええ、大事なお話です。分かり合えるならば、争う必要はありませんから」

「そっかー。じゃあ待ってる」


 エストはザキールの言葉に頷くと、祭壇の上に腰掛けて足をぱたぱたと前後に揺らす。

 その仕草がエストそのものすぎて、イスメトは少なからず動揺した。


「かつて、この世界には楽園アアルと呼ばれる体制――秩序が存在しました」


 混沌かみの了承を得たザキールは語り出す。

 それは古き時代における、神と人の物語だった。


楽園アアル――神々の力を結集して作られたその巨大な結界の中では、選ばれし大多数の民たちが平和に暮らしていました。


 一方で、その楽園の外側には混沌があふれていた。

 我々の祖先は、そちら側で生きることを強要され……混沌に侵された大地によって呪いを受けたのです。私のこのような容姿も、その名残と言えます。


 楽園の外側を管理する神々は皆、混沌と戦う力に優れた戦神でした。

 彼らがその力をもって我々を守護してくれていたことは確かでしょう。しかし、その神々ですら、世界の仕組みそのものを変えようとはしなかった。誰もが少数の犠牲をやむなしと捉えていたのです。


 ――とある一柱を除いては。


 私たちの伝承は、それが貴方の中におわす神だと告げています。


 我々の祖先、そしてあなた方の祖先は、ともに楽園システムの犠牲者――選ばれし民を生かすためだけに使役され、消費される側の人間でした。

 ゆえに手を取り戦ったのです。

 不平等な世界秩序を破壊するための同志として。かの神と共に。


 かの神は、神々の構築した秩序マアトに反し、旧世界の構造を破壊しました。見事、革命を成し遂げられたのです。そうして楽園の外側にうち捨てられていた我々にも、新たな世界をお示し下さった……」


 ザキールの語る歴史は、現代に残るセトの信仰と一致する。

 破壊神の側面と、英雄神の側面。

 そのどちらもが本物の神話だったのだとしたらつじつまは合う。


 しかし一方で、理解できないこともあった。


「それが……それがどうして、混沌をあがめることに繋がるんですか! 貴方のその体が混沌に呪われたあかしなら……アポピスは貴方の一族にとっても憎むべき敵のはずです!」

「ふふ……結論を急がないことです。君は不思議に思いませんでしたか? なぜ、かの神の半身が混沌と一体化しているのか――」


 ザキールは不出来ふできな生徒を諭す教師のように、優位的な笑みを見せる。


「簡単なお話です。かの神を信仰する民の中に、それを望んだ者たちがいたのです。その解釈・思想の違いゆえに、我々は〈砂漠の民〉とたもとを分かつことになりました」


 イスメトは当惑する。

 セトによって救われ、セトを崇めていたはずの人々が、セトとアポピスの融合を望んだ。

 一体、何のために?


「先ほどは『呪い』と表現しましたが――〈夜の民ゲレフ〉の中では、あまり一般的な表現ではありません」


 ザキールは顔の横から生え出る自身の角を、いとしそうにでた。


「この呪われし体は『祝福』――混沌の神が統べる世界において唯一、我々こそが『選ばれし民』であることを示す証なのです」


 細められたその瞳には、憎しみのかけもない。

 むしろ陶酔していた。崇めていた。


「我々は、我々こそがヒトとして認められる世界を――『選ばれし民』となれる世界を新たに作る。そのために、この世の秩序を今度こそ破壊しつくし、新世界をつくり上げることのできる創世の神が必要なのです」


 アポピスに世界を破壊させ、その後に新世界を創る――

 馬鹿げている。

 そんな考えは突飛な妄想にしか聞こえない。


 アポピスにそんな意志はない。

 取りいた生物の魂を乗っ取り、歪め、操るだけだ。

 そうして破壊活動に加担させる。


 塔のヌシも、ジタも、エストも――皆、そうだった。


「そんなの無茶苦茶だ! アポピスは創世神なんかじゃない! あいつはただ世界を食い尽くそうとしているだけで――!」

「ええそうです。だからこそ、我々は望んでいるのです。確固たる神格・意志でもって混沌を操り、我々を導いて下さる真の神の降臨を!」


 イスメトは息をんだ。

 ザキールの言わんとすることがようやく分かった。分かってしまった。


「まさか……」


 混沌がもし、神の意志を模倣したとしたら。

 それはもはや『新たな神』と呼べるのかもしれない。


「貴方が現れるまでは、すべて順調に進んでいたのですよ。長い年月をかけ、我々はセト様の神話を各地に広めました。そうして降臨の条件を――セト様を〈荒神すさがみ〉としてお迎えするための準備を、何百年、何千年と、進めてきたのです」


 イスメトの中で、バラバラだった情報の破片が一つの形を作り上げていく。


 復活の折に二つに分かれた、セトの神格。

 セトを英雄神だと語る旧神伝説。

 セトを混沌の権化とする教えの存在と、それを知った時のホルスの反応。

 そして、〈砂漠の民〉と同じくセトを信仰してきた〈夜の民ゲレフ〉の存在。


「ですが、貴方がかの神を見つけた時、誤算が生じました。どうやら神は我々の意に反し、二つに分かれてしまったようなのです。しかも、分離した側の神格が、本来の神格を封じ込めるという二重のアクシデントに見舞われた」

「な……!?」


 それではまるで、エストの中に封じられた半身こそが本来のセトだと言っているようなものである。


「そうだよ、イスメト」


 イスメトの嫌な想像を肯定するように、それまで黙っていた少女が口を開く。


「キミの中にいるソイツが、神にとって一番大切な『意志』や『闘志』といった部分を、ボクから引きちぎって持って行ってしまったんだ。お陰でボクは、こうして他人の人格を借りることでしか自ら動くことのできない、ただの混沌と同類になってしまった」


 少女は祭壇から飛び下りると、一歩また一歩とイスメトに歩み寄ってくる。

 幼馴染みと少しも変わらない、穏やかな笑みを浮かべて。


「だからね……? 返して欲しいんだよ。ボクの神格を」

「ち、近寄るな!」


 イスメトはとっさに槍を少女へと突きつけた。

 穂先にはホルスの護符を巻き付けておいた。付け焼き刃すぎて頼りになるとは思えないが、無いよりはマシだ。


ひどいなぁ、ボクとキミは友達でしょ? ボクはキミを傷つけたくないんだ。本当だよ?」


 少女の顔が悲しげにゆがむ。

 頭では分かっていても、イスメトの胸がチクリと痛んだ。


「キミはただ、『依代契約を破棄する』って言ってくれればいいんだ。そうすれば、ボクがそれを承認して、ボクとアイツはヒトツにナル。あるべき姿に戻ルンだよ」


 ごとだ。

 コイツがセトの本体? そんなわけがない。


「キミだって、依代の重圧から解放されたいでしょ? そのために旅をしてきたんだよネ……?」

「違う! お前はエストじゃないし、セトでもない! アポピス――こんとんだ! お前にセトは渡さない!」


 セトは世界の滅亡も、混沌に満ちた新世界も、人々の犠牲も――何一つ望んでいない。

 いないはずだ。


「渡さない? ふふ、違うよイスメト」


 構えた槍は少女を捕捉する。

 だが、突き出すことは、できない。

 彼女の体を、傷つけるわけには――


「キミの中にいるセトは、まかり間違って秩序側に転生してしまったボクの一部に過ぎない。つまりはキミたちの方こそが――異端者イレギュラーなんだよ!」


 少女の体から再び闇が放出される。

 イスメトは槍を振るい、あるいは回転させて、それらを打ち払う。


「無駄だよイスメト。キミ程度の力じゃ、エストボクから混沌ボクがすことなんかできない」


 イスメトの焦りを見透かすように、混沌を生み出し続ける少女は勝ち誇った笑みを浮かべた。

 払っても払っても、飛びかかってくる闇の群れ。

 それは打ち寄せる波のようにイスメトの足を鈍らせ、少女への接近を阻止する。


「知ってるよ。こうなった以上、キミにあらがう術なんかない」


 不意に、無邪気な瞳が目の前に現れた。

 闇の波の上を滑って、少女がイスメトに飛びついてくる。

 それはまるで、愛する者にする抱擁だ。


 隙だらけだった。

 今なら槍を突き立てることができるに違いなかった。

 でも――


「だって、キミはボクを殺せない。そうでしょ?」


 無邪気に笑う。

 たとえ混沌に取りかれていたとしても。

 目の前にいるのは、ずっと助けたいと願っていた幼馴染みの少女に違いない。


「キミは、ボクのことが――好きだから」


 全身を駆け巡る焦燥とは裏腹に、凍り付いたように動かない体。

 少女の細い腕が、首筋へ優しく巻き付く。

 そして唇に、柔らかい感触が触れた。


 それは少年を闇のしんえんへと導く、死のせっぷん


「ああ、なんて美しい光景なのでしょう」


 少女から生まれた闇の奔流が、燃え上がる業火のように二人をんでいく。


「大神官も随分と余計な手間を増やしてくれましたが……あの娘を神の器として完成させていたことにだけは、感謝しなければなりませんね」


 その光景を眺めながら、男はこうこつほおを緩めた。


「これこそ、神話に刻まれるべき始まりの物語。二つに分かたれていた神は今、少年と少女を介して再び一つに戻り、そして生まれ変わるのです」


 男はその場にひざまずき、祈るように天を仰ぐ。


「――復讐と革命の旗振り役として!」

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