第29話 イスメトの策

【俺の神格に、ヤツを取り込む】

「そんなの危険だ!」


 イスメトは反射的に叫んだ。


「あいつは三百年前にセトを荒神にした原因なんだろ!? そんなの取り込んで無事で済むわけがない!」

【弱らせて取り込めば何の問題もねェ。元々あれは、俺の内より生まれ出たモノだ】

「セトの、中から……!?」


 セトは口早に、しかし落ち着き払った声色で説明する。


【大昔、神と混沌による大規模ないくさがあった。十日間続いた日蝕により、闇に閉ざされた世界には混沌が溢れかえっていた。〈ラーの落日〉──そう俺たちは呼んでる】


 それは先ほどホルスも口にしていた言葉だ。


【その戦いの中で、俺は不覚にもアポピスから呪いを受けた。その呪いが俺の中で力を付け、自我を持ったモノ――それが恐らくはヤツの正体だ。だがな、これでもそうなるまでのウン千年間、俺はその呪いを飼い慣らしてきた。これからもそうするまでよ】


 イスメトとてセトの強さは理解しているつもりだ。しかし、今回のことはあまりに規格外。想像の範疇を超えている。


「でも……三百年前は駄目だったってことだ。その理由に、何か心当たりはあるのか?」


 セトは言葉に窮したようだった。


【……正直言うと記憶がねェ。確かにあの日、ホルスとったはずだが――戦いに出向いたあたりからの記憶が、どうも朧げだ】


 つまり、セトがなぜその時に限って混沌に打ち負けたのかも、荒神になってからのことも、何一つわからないというわけだ。


「……もし、セトがあいつを取り込むことで、また三百年前と同じことが起きたら?」

【その時はホルスが始末をつけるだろう。これまでも、神々俺たちはずっとそうしてきたんだ】


 それはつまり、ホルスが再びセトを封じるということか。

 あるいは、それ以上の意味か。


「駄目だ、絶対に駄目だ! そんなの作戦じゃない!」

【他に打てる手はねェ! ホルスがあの娘ごとアポピスを討つのが先か、俺がアポピスを引っ張り出すのが先か――それだけだ!】


 イスメトは歯を食いしばる。

 エストの命を優先するか、セトの安全を優先するか。これはそういう話なのか?

 エストを救いつつ、セトにも危険が及ばない方法。そんなものがもしあるとすれば、その鍵を握るのは──


「ちょっと待って。ホルスが始末をつける? それって、ホルスならセトの半身をやっつけられるってことだよな?」

【テメェの女も諸共にな】

「でも、ホルスとセトが協力すれば、エストを助けながらアポピスも討てるんじゃ――」

【協力だァァッ!?】


 言葉尻を跳ね飛ばさんばかりに、セトは激昂した。


【ざッッけんな! 誰がアレに頭なんか下げるかよ!】

「僕がやる!」


 イスメトも負けじと言葉をかぶせた。


 セトがホルスとの共闘を最初から視野に入れていなかったであろうことは、二神の関係性からしても明らか。

 だが今は、神の意地が面子が、などと言っていられる状況ではない。


「考えがあるんだ!」


 かといって何の策もなしに頷くセトでもない。イスメトはセトにしっかり伝わるよう自分の作戦を頭に思い浮かべる。

 セトは何か言いたげな口を閉じ、小さく唸った。


【──確かに、それならヤツが手を止める可能性はある。が、失敗すればオマエが死ぬだけだぞ】

「それでも、セトが混沌に呑み込まれるリスクを侵すよりはマシだ」


 依代じぶんの代わりはいくらでもいる。

 だが、セトの代わりはいない。


「ウェハアトには守護神おまえが必要だ」


 神は沈黙を返した。


「頼むセト! ホルスと話す機会を作ってくれればいい! セトならできるだろ!?」


 イスメトはあえて『できる』『できない』の二択で問うた。

 セトの性格なら、ここで後者は選ばないと踏んだ。


【──ッ、たく!】


 セトは頭をクシャクシャと掻きながら、苛立ったように声を荒げる。


【言われなくともとっ捕まえるっつの! だがそれ以上は手伝わねェぞ! 奴にへりくだるための口なんぞ持ち合わせちゃいねェからな!】

「分かってる! 交渉は僕がやる!」


 セトは小さく舌打ちしながらも、〈支配の杖ウアス〉をその手に呼び出した。集う神力が赤い稲妻のようにまとわりつく。


【――は獣。死の大地よりでて他を蹂躙せし脅威と恐怖の申し子――】


 前方の砂嵐が急速に鎮まっていく代わりに、周囲の砂丘はその堆積を増やしながらせり上がっていく。

 より大きな砂の波が、他の丘を飲み込み。その質量は加速度的に増していく。砂漠はまるで風に吹かれる水面のようにたやすく、急激に、その地形を変容させた。


【――〈全てを貪る砂漠の飢餓獣ヘネト・アルハガス〉!】


 現れたのは、砂の大爆流。

 それは一進一退の攻防を続けていたホルスとアポピスを戦場ごと飲み込み、一方的に嚥下した。


【――と、〈愚王の棺獄ロアス・サルコファガス〉!】


 やがて何事もなかったかのように鎮まる砂の大地に、二つの石棺が吐き出される。

 神獣カルフは命じられるまでもなく、棺の元へとイスメトたちを運んだ。


「閉じ込めた、のか……?」

【力技だ。そう長くはたん。特にホルスの方はな】


 セトが言う間にも、石棺の一つには幾つもの亀裂が走り、軋んでいた。


【いいか。テメェの作戦でホルスが止まらなかった場合は、俺の好きにする】


 イスメトは深く頷いて、カルフの背から飛び降りた。

 直後、ホルスを閉じっこめた棺が琥珀色の光を散らしながら空中に持ち上がる。そして――


「こぉんのゲロ豚がぁぁぁ――ッ!!」


 鼓膜を貫かんばかりの怒声とともに、内側から弾け飛んだ。

 翼を広げながら現れたホルスは、大弓の照準を即座に人身のセトへと合わせている。


「そんなに死に急ぎたいなら望み通り蜂の巣に――」

「待ってホルス神! ま、待ってください!」


 イスメトはセトとホルスの間に割り込みながら、腰巻きにぶら下げていたある物を掲げた。

 ホルスは今にも光矢こうしを撃ち出さん勢いだったが、弓の構えはそのままにピタリと静止した。


 イスメトの手に握られたもの。

 それは金色に煌めくハヤブサの護符だった。


 初めてアポピスに襲われた折に、イスメトがエストの首から勝手に引きちぎってしまったもの。彼女に返すため、今朝がた拾っておいたのである。


「──それは、我が神官にのみ所持を許している神鉱石ネレクトラムの護符。なぜ貴様が持っている」

「借りていました。この護符の持ち主は僕の幼馴染み――アポピスの依代にされてしまった、あの子です」


 ホルスの目に思慮の色が戻りかけるのをイスメトは見逃さない。すかさず言葉で畳み掛ける。


「彼女は大神官様の娘で、貴方の敬虔けいけんな信奉者です! どうか彼女を救うために力を貸してください! お願いします!」


 エストは幼い頃に中央から大神官とともにこの地へやってきた。言うまでもなく〈太陽の民〉だ。

 ホルスにとっては守るべき民。その命がかかっていると知れば、いかに強硬的な国神と言えども温情を見せるのではないか――そうイスメトは踏んだのである。


「フン、敬虔な信者か。それが事実ならば、この手にかけるのは確かに忍びない」


 ホルスの返答に安堵しかけるイスメト。

 しかし、ホルスは大弓の狙いをセトから外し、もう一つの石棺――エストとアポピスを封じ込めた棺へと向けた。


「なっ……!? どうして!」

「我が敬虔なる信者ならば、むしろ喜んで我が決定に従うだろう。悪いが背に腹は代えられない。ちょうど動きも止まったことだし、憂いは早々に絶ってしまうが吉だ」

【――そうだろうな】


 セトがイスメトの内に宿り、全身に力を駆け巡らせる。


 ――結局、こうなってしまうのか。


 イスメトは苦々しく神器を構えた。

 セトの殺気を察知してか、ホルスは翼を羽ばたかせて上空へ。大きく間合いをとる。


 その時だった。

 ホルスの背から突然、翼が消滅したのは。


「な……っ!? ジェネフ、何を――っ!」


 ホルスは動揺した声を発しながらあっけなく砂の上に墜落。ボフンと砂煙が舞い、一時的にその姿を消す。


 イスメトは何も仕掛けた覚えがなかった。


「……セト?」

【ハッ、俺じゃねェよ。ありゃ仲違いだな】


 セトは半笑いで返す。

 砂煙の中、起き上がった影はおもむろに歩み寄ってくる。やがてあらわになったその端正な顔を見て、イスメトははっと息を呑んだ。


 ホルスの瞳の色が、変わっている。


 青と金の二色に分かれていたはずの瞳は、今はどちらも澄んだ空色。奇しくもエストと同じ色だ。それは〈太陽の民〉特有の色でもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る