第26話 国神、襲来

 空からの襲撃者は極彩色の翼を背に広げ、残忍とも無邪気とも形容できる笑みを浮かべていた。


 年の頃はイスメトと大差がない。むしろ少し幼いくらいだ。

 この辺りではまず見かけない黄金の髪に、青と金のオッドアイ。

 それだけでも印象的だが、加えて身なりも良く、両頬にはハヤブサの目元を模した黒い入墨が入っている。

 それはナイルシアの王族にのみ許された意匠である。


 手には両先端に刃を取り付けた巨大な弓が握られ。

 背には宝石のように輝く翼。


 神殿を覆っていたはずの砂丘ごと一階の至聖所を消し飛ばす――そんな神業・・をやってのけた彼が、ただの人間であるはずもなかった。


「【ハッ! 宣戦布告もなくコッチの神殿ホンマルに矢を降らせるたァ、随分なご挨拶だなホルス――ッ!!】」


 名を問うまでもなく、セトは怨敵をにらみ上げる。


「ヤだなぁ、ちゃんと気付けるように思念を飛ばしてやっただろ? 君に会いたくて会いたくて、入り口を探すのが面倒になっただけさ」


 翼の生えた少年――ホルスは、わざとらしく肩をすくめて見せた。


(ホルスって……国神ホルス!? なんでこんなところに!? しかも襲ってくるなんて!)


 体の主導権を奪われているイスメトは、思念でセトに問いかける。


【言っただろう。因縁があるってよ】

(だからって、こんないきなり……!)


 確かに〈砂漠の民〉は今、セトの復活で旧神ムード一色。

 だが、けして国神をないがしろにしているわけではない。

 最初こそ誤解はあったものの、ホルスの神殿にも神官にもイスメトは敵対の意志を示した覚えはない。


【オベリスクを起動すれば、復活を気取られるだろうとは思っていたが……ここまで早く介入してくるとはな】


 セトは崩れかけの一階を渡り跳び、遺跡の屋上へと躍り出る。

 ホルスもその動きを追い、空中で体を反転させた。


 広げているだけの翼は羽ばたくわけでもないのに、その体を浮かび上がらせている。翼でというより、神力で飛んでいると見るのが正しいだろう。


(あれは……精神体?)

【違う。依代に憑依ひょういしている。今の俺たちと同様だ】


 つまり、目の前にいる神は実体を持つ存在。

 神力による物質への関与が容易にできる状態というわけだ。

 セトの握る神器がバチバチと赤い稲妻を纏い始めた。


「まあそうイキるなよ。少し話をしないかい、セト」

「【話だァ? ハッ! そっちから仕掛けといて、どの口がほざきやがる】」

「今のはいつもの挨拶だろう?」


 ホルスは悪びれるでもなく肩をすくめて笑う。

 その仕草はまるで悪戯を成功させておどける子供だ。


「なぁセト。お前、覚えているのかい? 自分が封印された時のこと」

「【あァ、よォく覚えてるぜクソチキン。あの時もこうして、テメェが奇襲を仕掛けてきやがったなァ……!?】」

「ふぅん? そうかい」


 瞬間、ホルスの姿が視界から消えた。


「じゃあやっぱり、覚えてないか。〈荒神すさがみ〉になっていた間のことは」

「【な、に……?】」


 声は背後から。

 ホルスは目にもとまらぬ速さで空中を移動し、セトの裏を取っていた。

 突き出された弓の先端と、セトの振り向きざまのいっせんが、ギィインと重い金属音を響かせる。


(スサガミ……?)


 聞き慣れない単語に、イスメトは疑問符を浮かべる。

 セトとホルスは一瞬の均衡を保った後、どちらからともなく打ち合って再び間合いを取った。


【荒神は――……アポピスに呑まれ、混沌にちた神を意味する言葉だ】


 セトから返された説明に、戦慄が走る。


「そうさセト」


 ホルスはそれまでの軽い雰囲気から一転。

 口の端から笑みを消す。


「お前は一度、混沌に墜ちたのだよ。そして自らの信仰地を蹂躙した。よってこのホルスが封印を施し、ウェハアトを救ってやったのだ」


 その声色は少年らしさを薄め、低く成熟した男性のそれを思わせる。


「しかし、やはり〈砂漠の民〉は愚か者だ。お前の神殿も神像もことごとく破壊し、ありとあらゆる書物からその名すら消し去ったというのに……お前をこうして復活させてしまった」


 やはりセトから信仰を奪ったのはホルス。

 しかし、その目的は征服ではなく防衛だったと国神は主張する。


 混沌に染まった神。もし、そんなものが本当に実在したなら、きっとオベリスクのヌシなどとは比べ物にならないほど厄介で、恐ろしい存在だったに違いない。


「【ほォん? 無い頭で必死に考えた法螺ホラがそれか? 思いックソ矛盾してやがるぞ、この鳥頭】」


 不穏な想像を巡らせるイスメトをよそに、セトの操る体はホルスを不敵に睨み上げる。

 セトの指摘の通り、ホルスの話には一つだけ事実と明らかに異なる箇所があった。


「……何が言いたい?」

「【テメェの神官どもは、俺の名を知っていた。混沌の遣いとも言っていたな】」


 瞬間、ホルスの目が見開かれる。

 その眼前に肉薄するセト。


「【よくもまァ都合の良い神話でっち上げて、俺様を邪神に仕立て上げてくれたなァッ!!】」


 セトの鉄拳は驚くほど鮮やかにホルスの頬に決まった。

 セトはその勢いのまま両手を振り上げ、よろけた相手の背に杖の石突きを叩き込む。

 ごうと空気が唸り、神殿の屋根に二つ目の穴を開けながらホルスは墜落。セトもその後を追って降下した。


「【正直言って失望したぜ! テメェがこんなやり方で、俺との因縁にケリを付けるつもりだったとはなァァァ――ッ!!】」


 着地と同時にセトは足裏を叩き込む。

 爆裂する瓦礫と粉塵。

 だが、手応えはない。


「――ッ! お前、何を言っている……!?」


 ホルスは既に落下地点から離れ、追撃を逃れていた。

 その体は驚くことに無傷だ。

 一方で、眉間に皺を寄せてこちらを睨む表情からは、先ほどまでの余裕が消えていた。


「【テメェのむねに聞けやゴラァァァッ!!】」


 セトは踏み込む足で瓦礫を巻き上げながら疾走する。

 その姿はまるで、地上で渦巻く砂嵐そのもの。


 自分の体で暴れ回る神の激昂を全身で感じ取りながら、イスメトは心の置きどころに惑っていた。


 相手は国神ホルス。

 文字通り、この国を守護する神だ。

 その名は辺境の砂漠地帯ウェハアトであっても、畏敬の対象として知れ渡っている。


 信仰地を乗っ取られたセトにとっては、確かに敵。

 だが、ホルスの名の下に治まるこの国の民――現代の〈砂漠の民〉にとっては、必ずしもそうとは言い切れない。


 セトの言う矛盾点はあるものの、ホルスの話は現状とかなり合致している。


 先祖らがセトの信仰を捨て、ホルスにすがらざるを得なかった理由も。

 セトの神獣たちが凶暴な魔獣と化してしまった理由も。

 セトが混沌をまき散らす『破壊神』だと言われるようになった理由も。


 セトが混沌に取り憑かれ、この地で暴れた結果だというならすべて納得できる話だ。


 どう考えても、今はまだ事実確認をすべき段階。

 だがセトは、完全にホルスにはめられたと思い込んでいるようだ。


(セト! 少し落ち着け!)


 神々の争いにより、遺跡は崩壊を始めている。

 半分はホルスの先制攻撃のせいだが、もう半分はセトがなりふり構わず攻撃を仕掛けているせいだ。


 この様子ではホルスの位置取り次第で、ラフラの街すら巻き込みかねない――そんな心配が頭をよぎるほどには、今のセトには理性が感じられなかった。


(セト! 頼むからもう少し冷静に――)

【ゴチャゴチャうるせェッ! テメェはすっこんでろ!!】


 突き刺すようなセトの思念が、イスメトの思考を切り裂こうとする。

 それは激しい頭痛に襲われる感覚と似ていた。


【思考を乱すな! 俺の闘志に同調しろ! 戦いの――邪魔だッ!!】

(――っ!?)


 視界に映るホルス。

 その整った顔立ちに、なぜか次第に憎さが溢れた。

 洪水のように流れ込んでくる激情の波が、イスメトの魂を浸食する。


 己の意志を、感情を、見失わせる。


「――ふぅん? さては君たち、まだ上手く〈共鳴〉できてないね」


 再び空へと舞い上がったホルスは琥珀色の光を纏う。

 その全身に浮かび上がるのは、おびただしい数の紋様――神の刻印である。


 そこへ幾度目かの突撃をしかけるセト。

 戦杖と弓とがぶつかり合い、しなり、両者の力はきっこうしているかに思われた。


 だが――


「そんなんじゃ、僕らには勝てない、よ――ッ!」


 ホルスの翼がひときわ眩く光を放つ。

 その羽ばたきは光の衝撃波となってセトの――否、イスメトの体を貫通した。


「が――ッ!?」


 背中から全身を突き抜けるような痛みで、イスメトは自我を取り戻す。

 視界には半壊する神殿の内観と、抜けるような空。どうやら地下まで落とされたらしい。


 鮮やかな青空を背に、国神は見目麗みめうるわしい翼を広げる。


(体は……動く、けど……っ!)


 どういうわけか、セトの支配が解けている。

 すぐに立ち上がろうとしたが、四つん這いになるのが精一杯だった。


 原因は疲労だ。

 暴走気味のセトに操られ続け、肉体はとっくに悲鳴を上げていたのだ。


「ほぅら、あっさり分裂しちゃった」


 イスメトを追って地下へと舞い降りたホルスは、最初の頃の余裕を取り戻している。


「復活したと言っても、まだまだ不完全。依代も、慣らし中ってとこかな」


 そのオッドアイが見据える先を追って振り返り、イスメトは愕然とした。

 後方には、依代から引き剥がされた精神体のセトがいた。


「――セトッ!!」


 全身を光り輝く銛に貫かれ、遺跡の壁に縫い付けられたセト。

 その傷口からは流砂のように大量の神力が零れ落ちている。

 うな垂れた頭はぴくりとも動かない。


「さーて。言葉の通じないブタ野郎も黙ったことだし――」


 ザッと砂を踏みならし、ホルスは悠然と近づいてくる。

 その二色の瞳を半月型に細め、嘲笑するように口の端をつり上げながら。


「少し話をしようか。ボウヤ」

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