第16話 再会と誓いと

 セトは案外と分かりやすい場所にいた。

 オベリスクの丘を登ればすぐに気が付くほどに。


「あ、はは……隠れる気は、別にないんだな……」


 不自然に砂煙が立ちこめるその中へ、イスメトは迷わず足を踏み入れていく。

 しかし、しばらくしてその胸の内に焦燥が湧き上がった。


 地面に刺さった、赤く光る槍。

 それに歩み寄っていく、何者かの影。


(あ、れ……? 誰か、いる――っ!?)


 イスメトはとっさに駆け出した。


 駄目だ。駄目なんだ!

 神器あれがなければ、自分の物語はまた振り出しに戻る。

 ようやく取り戻した自分をまた見失う。

 だから誰にも、渡したくない。


 その一心で、槍に向かって跳んだ。

 そして確かに、それを掴んだ。


「いッ――テェっ!?」


 そして、槍を引き抜く勢いのままに対面した何者かと正面衝突。

 そのままもつれ合いながら、一緒に地面を転がった。


「……つッ、誰だ!? いきなり突っ込んで来やがって!」

「す、すみませんッ!!」


 一方は怒りのままにわめき散らし、もう一方は反射的に詫びを入れる。


「は……」「え……」


 そして交錯した、二つの視線。


「イス、メト……?」「ジ、タ……?」


 幼馴染み二人の、再会の瞬間だった。

 しばしの沈黙がその場に落ちる。

 その空気を先に破ったのは――イスメト。


「そうだジタ! 僕、君にも話が――!」


 言い終わる前に、衝撃が顔面を襲う。

 気持ちいいほどに勢いよく振り抜かれた拳をぶち込まれ、イスメトは大きくよろめいた。


「話? 話だぁッ!? 今さら何を話すことがあるっつぅんだ――よッ!!」

「かはっ――!」


 さらにもう一発。今度は腹に重い一撃。

 イスメトは踏ん張りがきかずに転倒し、そこへジタはすかさず馬乗りになる。


「ちょうどいい、決着付けようぜ……テメェがぶち壊した決勝戦の決着をなぁぁぁ――ッ!!」


 一方的に叩きつけられる怒りの一発。恨みの二発。

 だが、三発目は受け止められた。


「話を……聞けよッ!!」


 見開かれるこくとう

 その頬に、今度はイスメトの一発がクリーンヒットした。


「――っ! じゃあ言えよ! なんで決勝に来なかった、この腰抜け野郎ッ!!」


 しかしジタはひるまず、イスメトの上にのし掛かったまま再度腕を振り上げる。

 イスメトがとっさに体をひねったことで、二人はきり揉み合って砂の丘陵を再び転がっていく。


「別にっ、負けるのが怖かったわけじゃねーだろがァッ!」


 転がりながらもジタの猛攻は続く。

 口も手も止まらない。


「手合わせも喧嘩も! テメェとは日常茶飯事だッ! 勝ち星はッ! まだ……っ、お前の方が多いんだッ!」


 上と下を幾度も入れ替えながら、少年たちは殴ったり殴られたりを繰り返す。


「そんな相手に今さらッ、怖じ気づく理由なんかねーよなァァッ!?」


 下り坂が終わり、やがて二人の滑落は止まる。

 上を取ったのはジタ。

 ぜぇぜぇと肩で息をしながらも、イスメトを地面に押さえつける力は緩まない。


「お前は、俺に……怖かったんだろ」


 ぽつりと落ちた、ジタの静かな呟き。

 それはまさに嵐の前の静けさだった。


魔狼ゼレヴも倒せねえ腰抜けッ! 訓練だけの優等生気取り野郎ッ! 英雄の……七光りッ!」


 言葉の切れ間切れ間に叩き込まれる、重い拳。

 全てどこかで聞いたことのある文句。

 だが、ジタの口から聞いたのは初めてだった。


「お前なんか! 優勝者に! 相応ふさわしく、ないッ!!」


 それら全てを全身に受けながら、それでもイスメトはジタの目をまっすぐに見据えていた。

 絶対にそらしてはならないと、分かっていた。


「そうやってまた、周りから非難されるのがお前は……ッ、怖かっただけなんだろォがァァァッ!」

「……っ!!」


 今の一発は、すごく、痛かった。


「……そうだよ」


 激情を吐き出し、荒く息をするだけになったジタ。

 その下に組み敷かれたまま、イスメトは静かに親友への答えを返す。


「僕は、ジタの方が〈神の戦士ペセジェト〉の称号にさわしいと思った。だから……戦いたくなかった。勝ちたく、なかった」

「――ッッ! 舐めやがってえええぇぇぇッッ!!」


 ジタは黒い瞳をこれでもかと見開く。

 怒りとも憎しみとも悲しみともつかぬ、苦々しくて痛々しい表情。

 初めて見る、グチャグチャな友の顔だった。


「んな下らねぇ理由でっ! お前は俺の顔に泥を塗ったのか! 友の俺に! 戦友の俺に! ここ一番の勝負って時に背中を見せやがって……ッ!!」


 イスメトの襟首を掴むジタの手は、震えていた。


「こんな……っ!こんな形で得た称号に、何の意味があるってんだァァ――ッ!!」


 振り上げた渾身こんしんの一撃は、


「――ッ!」


 イスメトの顔面を叩き割る前に、その手の平に受け止められた。


「ああ、僕は――最低だ」


 受け止めた拳を掴み、その腕を引き寄せ、また上と下とが逆転する。

 そして今度はイスメトが腕を振り上げる。

 だがその拳が、振り下ろされることはなく。


「僕は、戦士に……相応しくない。戦士じゃ、ない。男ですら……なかったっ!」


 代わりにポタポタと落ちたのは、大粒の雨。


「でも……ッ、気付いたんだ! アイツに言われて、僕はまだ男でいたかったんだってッ!!」


 黒い瞳は、その生暖かい雨を無言のままに見つめる。

 その顔のすぐ横で、震える拳は砂を叩いた。


「だから――ッ!」


 それを最後にイスメトは立ち上がる。

 今度は拳にではなく、雫を払ったその瞳に力をみなぎらせて。


「僕はこれからオベリスクに登る! 登って証明してみせる! 村で一番の戦士になるのは――この僕だっ!!」

「……っ! なんだよ、それ……っ!」


 しばし言葉を忘れていたジタは、そんな自分に妙に苛立ち、空を蹴り上げながら飛び起きる。

 イスメトがひらりと身をかわしたせいで、その爪先が相手を捉えることはない。

 だが、そんなことはどうでもよかった。


「今さら……今さら! 何言ってやがんだこのボンクラ野郎おぉぉぉぉッ!!」


 ジタは地を蹴り、飛びかかる。

 そうしてもう二発か三発、このムカつく顔面にお見舞いしてやろうと思った。

 そして、その足下を――


【あー……そろそろ良いか、オマエら】


 文字通り、何者かにすくわれた。


「どわっ!?」

「! セト――ッ!?」


 ジタの足下で砂がサラサラと流れ出す。

 踏み込むほどに足が滑って、その体は暴れた分だけ地面へゆっくりと沈んでいく。


「なな、何だッ!? お、落とし穴か!? なんでこんなトコに!?」


 これにはさすがのジタも毒気を抜かれ、慌てふためいていた。


「おまっ、手を出すなよ! これは僕とジタの――!」


 イスメトはジタの前であることも忘れ、セトに苦言を呈する。

 だがそれ以上の大音声だいおんじょうで、セトの雷――もとい怒声が脳を震わせた。


【出すわアホォォッ!! テメェは覚悟を示しに来たんじゃねェのか、アァン!?】


 すぐさま人身のセトが目の前に現れる。

 胸ぐらを掴まれ、ガクガクと激しく揺さぶられる。

 今日はこんなのばっかりだ。


【ようやく槍を取りに来たかと思えば何だ!? いきなりよく分からん因縁の対決おっぱじめやがって! こっちはの外過ぎて、腹の一つや二つや九つ、余裕で一斉起立だボケがァァッ!!】


 お前の腹は一体いくつあるんだよ。


【決闘なら時と場所を改めろや! 行くんだろォがオベリスクゥッ!】

「そ、それはもちろん!」

【ならとっとと片付けるぞ! ここ数日で塔の気配はどんどんヤバくなってんだからなァッ!】

「そ、それは初耳なんだけど……」


 セトは有無を言わせずイスメトを引きずっていく。

 その後方で、ジタはまだもがいていた。


「っておいイスメト! まだ話は終わって――くそッ! 何なんだよこの砂ァ――ッ!!」

「ジタ! ごめん!」


 セトの手をなんとか振りほどいたイスメトは、一度だけ友を振り返る。


「決着は――帰ってから!」

「は……」


 ジタはとっさに返す言葉が思いつかず、呆然としていた。


 しばらくするとその足下に確かな感触が戻ってくる。

 落とし穴だと思っていた場所には穴らしき穴もなく。恐る恐る立ち上がっても砂は流れず。しっかりとした地面に戻っている。


「な……なんだってんだよぉぉ……ッ!」


 しばし立ち尽くした後、ふつふつと頭が沸騰する感覚を覚えた。


「そもそも無事に帰って来る気かよ!? 分かってんだろーが、ソコは! お前の親父が……死んだ場所で……っ!」


 小さくなっていく憎き背中。

 ソイツはあろうことか片手を上げ、ヒラヒラと振る。

 そのくらい分かってるよと、笑うように。


「マジで……なん、だよ……バカ野郎」


 ぶつくさと文句を垂れながらも、ジタはその背を見送った。

 その口元はかすかに、笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る