第15話 アタシの英雄

 イスメトは砂にへたり込んだまま、薄ら白い空を呆然と見つめた。


「イスメト君……」


 どれくらい、そうしていたのか。

 気付けばメルカが近くにいた。

 その足元には彼女を追いかけてきたのであろう猫もいる。


「あのね、アタシ……謝らなきゃいけないことがあって」


 メルカはイスメトの隣に腰を下ろし、昨夜の出来事を語った。


「そっか……いや、メルカが謝ることじゃないよ。僕が悪いんだ」

「何があったのか……聞いても、いい?」


 イスメトはしばし沈黙する。

 このまま黙っていたかったが、迷惑をかけたメルカには事情を知る権利があるだろう。


「僕の村は、戦士の村なんだ。テセフ村っていう……」

「あっ、知ってる! スゴイ戦士の一族が住む村だって聞いたわ! 確か、伝承の英雄様もその村の出身って話よね」

「あ、はは……よく知ってるね」


 小さな村なのに、本当に有名なんだな――

 少し驚きながらもイスメトは続ける。


「そこでは、伝承の英雄様が始めたっていう神前試合が二年に一回、開催されるんだ。村一番の戦士――〈神の戦士ペセジェト〉の称号を得るために、戦士たちが集まってトーナメント戦をやる」

「へえ! なんかカッコいい!」

「僕は去年、それに出て……そして、決勝まで進んだ」

「ええ!? うっそ、すごいじゃん! それでそれで!?」


 メルカが目をキラキラさせる一方で、イスメトは苦虫を噛み潰した。


「――逃げたんだ。決勝戦の前夜に。村から」

「えっ……ど、どうして?」

「……さあ。多分、負けるのが怖かったんだよ」


 本当は別の理由がある。

 だがそれだけはメルカにも、誰にも、語るつもりはなかった。


「僕は……皆の期待も、憧れも、誇りも……全部、台無しにしちゃった」


 決勝戦が不戦勝で終わった大会。まさに前代未聞だっただろう。

 大会を見守る、かつて〈神の戦士ペセジェト〉の称号を得た男たちは何を思っただろうか。

 村長は。アッサイは。父は。


「……僕の父さんはさ、凄い人だったんだ。危険な魔獣が現れたと聞けば、どこにでも駆けつけて倒しちゃう。たくさんの人の命を救ってきた、英雄。それなのに、息子の僕は……っ」


 言葉が詰まった。喉に痛みを感じる。

 本当に、情けないことこの上ない。


「戦士の……風上にもっ、置けない……っ!」


 イスメトは己の膝に顔をうずめる。

 赤の他人だからと話し過ぎたかもしれない。

 後悔した。一方で、肩の荷が少しだけ下りたような心地もした。


「……でもさ、アタシはアナタに助けられたよ?」


 やがてメルカが、重い沈黙を破る。


「アタシは商人だし、女だし、戦いなんててんでダメだから、戦士の風上がどんなだか知らないけどさ……イスメト君は間違いなく、アタシらの英雄だよ?」


 彼女は立ち上がると、大きく伸びをする。


「それに比べて、さっきの人たち! アイツらなんか、どこが誇り高き戦士?って感じじゃん! イスメト君の武勇伝聞いて嫉妬しちゃってさー! ほんとダッサーっ!」


 メルカは拳でシュッシュと空気を殴る。

 全く腰が入っておらず、まるで子猫のパンチのよう。

 おまけにその足元で本当に猫がみゃるるとじゃれつくものだから、つい笑ってしまった。


 微笑する少年を見て、少女はほっとしたようにその隣へ座り直す。


「……アタシさ、兄貴がいたのよね。去年、死んじゃったんだけど」

「え……」

魔狼ゼレヴの縄張りに入っちゃったらしいの。何とか逃げては来れたんだけど……もう、ダメでさ」


 唐突に切り出され、イスメトは反応に困った。

 この手の話は巷に溢れている。魔獣が増えてからは特に。

 だが、やはり慣れることはない。


「それは……残念、だったね……」

「うん……なんでこんなことにって、あの時は皆パニクっちゃって。でも……兄貴の手を見て、初めて理由が分かったの」


 メルカは不意に空を見上げた。

 こみ上げる何かを押しとどめようとするかのように。


「子猫をさ、抱えてたんだよね。血だらけの手にさ」


 イスメトは顔を上げる。

 メルカは多分、笑いながら泣いていた。


「バカよねー。ロクに戦えもしないのに! 助けて何になるの、得なんかないじゃないって、皆言ってた。アタシも、そんなことで死んだの?って。ずっと納得できなくて……」


 少女のかたわらで、みゃぁんと声がする。


「……でも、アナタに助けられたとき、分かったよ」


 メルカは猫を腕に抱きかかえ、優しく撫でた。


「この子から見た兄貴も、きっとこんな感じだったんだなって。だからアタシ、おぃを誇りに思うことにしたの!」


 メルカの目に、涙はなかった。


「だって、あの時のイスメト君――すごく、カッコよかったから!」


 彼女に面と向かってそう言われたとき、自分はどんな顔をしていただろう。

 複雑だった。

 あの時、彼女を助けたのは自分ではない。


 確かに助けたいとは思った。

 でも、それに応えて動いてくれたのはセトだ。

 セトがいなければ、メルカを助けることはできなかった。


 しかし、続く彼女の言葉でイスメトは気付くことになる。

 腹の中に居座る暗澹あんたんとしたモノへ突きつけるべき、ただ一つの答えに。


「しかも! イスメト君はお兄ぃと違ってちゃんと生き残ったのよ? まだまだ大勢、色んな人を助けられるじゃない! お父さんみたいに!」

「父さん、みたいに……?」

「そうよ! まだなーんにも、諦めなくていいと思う!」


 メルカのからっとした笑顔が、なぜだかエストと重なった。


『イスメトにはまだ、諦めて欲しくないんだよ』


 エストに誘われたあの時。同情とは別に込み上げる思いがあった。そしてそれが我ながらに痛々しくて、馬鹿馬鹿しくて――


 だけど同時に、愛おしかった。


『僕だって負けないよ! だって僕の夢は――』


 幼い頃の自分が叫ぶ。故郷のあの丘で。

 夕日に染まる砂漠に向かって。


『僕はいつか父さんみたいな立派な戦士になる! そして……伝説に名を残すくらいの英雄になってやるぞぉぉぉー!』


 ああそうだ。最初から僕が選んだんだ。

 そうでなければ、誰があんな鬱屈とした地下神殿なんかに嬉々として足を運ぶというのか。


 ずっと、どこか他人事のように過ごしていた。

 エストが誘うから仕方なく、とか。

 神様に取り憑かれたから仕方なく、とか。


 きっとこの物語の主役は別にいて、僕は一時的な代役で――

 ずっと、そう思っていたはずなのに。


『俺は別に、オマエとじゃなくたって良いんだ』


 セトのあの言葉が、腹にやたら重く突き刺さった。


 これは苛立ち? 悲しみ?

 多分、両方だ。


 アイツに男じゃないと軽蔑されたことが。

 依代にさわしくないと言われたことが。


 ものすごく、悔しかったんだ。


 幼馴染みに誘われたからじゃない。

 神に選べと言われたからでもない。


『僕、強くなる。強くなって、絶対に父さんの仕事を手伝いに行くから!』


 ずっとそう願ってきたのは、自分自身じゃないか。


「……ありがとう、メルカ。なんか少しだけ、分かった気がするよ」


 イスメトはゆっくりと立ち上がる。

 その紫紺の瞳に、一つの確かな意志を宿して。


「……ところでさ。昨日、アッサイたちの所で見なかったかな。黒い髪で、目つき悪くて……ここに傷がある人」

「あっ! そうよ、忘れてた!」


 メルカはしまったとばかりに口を手で覆う。


「その人、今朝もイスメト君を探してテントに来たの! アイツらが押しかけてくる前だから……二時間前くらい?」


 それを聞くや否や、イスメトは歩き出す。

 その爪先はオベリスクへ向いていた。


「ちょ、ちょっと待って! どこにいくの?」

「今日は約束が二つあって……ごめん、急がなきゃ。また遅くなるかも」


 メルカは心配そうに眉を寄せたが、少年のスッキリした横顔を見て何かを感じたらしい。

 質問の代わりに、ポンッと少年の背を叩いた。


「ちゃんと夕飯までに帰ってくるのよっ!」


 なんだか母さんみたいだとイスメトは密かに笑う。そして思わず、こう返した。


「いってきます!」

 

 

■ ■ ■

 

 

 黒髪の少年は昨晩から苛立っていた。

 それもこれも、あの商人の女が妙なことを言うからだ。


『イスメトっていう人……もしかして、知り合い?』


 知り合い? そんな生ぬるい関係ではない。

 アイツは裏切り者だ。アイツは最低な男だ。

 そして自分は、そんな男の親友だ。


 親友だと、思っていた。


「……っ! 何なんだよっ、今頃……!」


 明日、ハガル近辺の戦士たちもこのオアシスに合流する予定だ。

 そうすればいよいよ、オベリスクのヌシ討伐が開始される。

 この日に備え、身も心も万全に整えてきたはずだったのに。


「イスメトの……ばっきゃろォ! テメェ今、どこにいやがる!!」


 昨夜から散々探し回って、ついにオベリスクの近くにまで来てしまった。

 まさか既に中へ入っているなんてことは――さすがに、ないか。

 ならば、また商人どもの野営地を覗いてみるしかない。


 そう思い、引き返そうとした時。

 少年は視界の端に違和感を捉えた。


「ん……何だ?」


 つむじ風でも起きたのか、砂が煙幕のように巻き上がっている場所がある。

 その中心で、何かが赤く、確かに煌めいた。


「あそこに何か……刺さって……?」

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