第02話 遺跡に眠る黒い悪魔
探検――と言っても、大層な装備は必要ない。
イスメトの服装は膝丈チュニックを腰帯でとめたもの。下は着古した黒茶のズボンに、編み上げサンダル。動きやすい普段着だ。
唯一普段と違うのは、背中に背負った槍である。
長さは約四キュビト。イスメトの身長より少しだけ長い。
それを肩と腰に装着した革ベルトに固定している。長物専用、故郷の職人ご自慢の特製品だ。
「ふふっ。槍を持ってるイスメト、久しぶりに見た」
最低限の装備だが、エストがニヤニヤするのでなんだか照れ臭かった。
彼女もいつも通りの出で立ちだ。上等な白い貫頭衣の上から青いケープを羽織り、頭にはシンプルな輪飾り。中性的な顔立ちも手伝って、一見すると貴族の少年である。
「懐かしいなぁ〜! よくここで遊んだよね、三人で」
よほど機嫌がいいのか、腰まで伸びる
ここタァ=リ遺跡は半ば砂漠に埋もれているものの、内部は比較的きれいだ。親世代が大規模な発掘調査を行なったからだと聞いている。
そのため、今さらここに神器があると考える者はいない。
「……本当に、やるの?」
遺跡の最深部、崩れた祭壇の前までやってきたイスメトは、両手に大きな石片を抱えながらエストに最終確認をとる。
エストは当然とばかりに頷いた。
「構造的に、この部屋はあの怪しいゾーンの真上なんだ。もし本当に隠し部屋があるなら、この床の下だよ」
つまり、床を壊そうと言うのだ。
「……バチとか、当たらない?」
「旧神様を復活させるためだもん、きっと大目に見てくれるよ! それにイスメトだって気になるでしょ? 地下の隠し部屋」
「隠し部屋……」
いかにも何かが出てきそうな予感に心音が早まる。久しく忘れていた高揚感だ。
いささか罪悪感はあったものの好奇心には勝てない。
イスメトは意を決し、石片を思い切り床へと叩き付けた。
ベゴォッと鈍い音を立てて、石片は床にヒビを入れる。
この抜けるように響く音。基礎が石で出来ているなら、こんな音は聞こえない。この脆さは恐らく砂レンガ。
二人は自然と顔を見合わせ、頷き合った。
明らかにここの床だけ他と作りが違う。
エストの仮説は当たっていたのだ。
「……これでよしっ、と」
同じことを何度か繰り返し、人一人がぎりぎり抜けられる大きさの穴が完成。あとは近くの石柱に結んだロープを伝って、下に降りるだけだ。
「慎重に行こう。蛇とか、ま、魔獣とか、いるかもしれな――」
「よぉし、下まで競争だーっ!」
「って、エスト――っ!?」
競争も何もロープは一本なのだが。
生まれつきのお貴族様――であるはずの少女は、上品さの欠片もない勢いでロープを滑り降りていく。
その思い切りの良さは戦士顔負けだ。
イスメトも慌てて後を追った。
縦穴の深さは、建物二階分に届きそうだった。
「エ、エスト! もしものことがあったらどうする……気……」
なんとか階下に降り立ったイスメトは、すぐに言葉を失うことになる。
「うわぁ……すごい……」
エストもまた、うっとりと立ち尽くしていた。
目の前には古めかしい祭壇があった。
埃をかぶり、所々が朽ち果てて、今にも崩れそうな祭壇だ。
誰もいない。
どころか向こう百年、人が踏み込んだ形跡すらない。
そんな場所で、なぜか壇の上に置かれた祭事用のランプにだけは赤々と火が灯っている。
祭壇の先には一体の黒い神像が佇んでいた。
顔面は砕けていてよく分からないが、
「これが……旧神、様……?」
伝承によると、ウェハアトを形成するオアシス群は、創世時代にこの神が闇の眷属と戦った折に飛び散った血より生まれたとされている。
その名も、姿も、今や知る者はない。
にもかかわらず、こと戦士たちの間では国神ホルスよりも尊ばれる戦神。
そんな神がいま、自分の目の前にいる。
「ねぇねぇイスメト! これが神器かもだよ!」
弾んだ声に呼ばれ、イスメトは我に帰る。
エストが指差すのは、神像の手元に握られている杖。金色に輝く美しい
「これが……?」
「やったねイスメト! これで英雄になれるよ!」
「あ、はは……まだそうと決まったわけじゃ」
笑ってごまかしながらも、早まる心音は落ち着かない。
幼い頃に憧れた、あの英雄譚と同じなら。
この杖を手にしたところから、
「ほらイスメト! 早く手に取ってみて!」
「う、うん……」
急かされたイスメトは、おずおずと手を伸ばす。
指の先が杖に触れた瞬間、思わず神像を見上げた。
頭の砕けた像。鼻先が長い。表情はないのに、なぜだか威圧感を覚える。
(すみません、ちょっとお借りします……)
心の中で断って、杖を握りしめる。しかし、上に引き上げようとしてもピクリとも動かなかった。
像と接合されているのか、台座に固定されているのか。
いずれにせよ、杖はそれ単品で取り回せるような代物ではないらしい。
体の緊張が、自然と緩む。
がっかりしたというより、安堵していた。
これは神器ではない。ただの飾り。手にしたところで何も起きないし、どんな物語も始まらない。
それはそうだ。そもそも僕は、そんな器じゃない。
「エスト、残念だけど――」
振り返ったイスメトは、不意に違和感を覚えた。
エストと視線が合わない。
彼女はイスメトでも杖でもなくその背後、部屋の隅を見つめていた。
「聞こえる……」
「え?」
「誰かの……声。ほら、あそこから……」
イスメトは息を呑んだ。
エストの指し示す先には『闇』があった。
(なんだ、あれ……)
人の形をした闇。壁に背を預け、だらりと脱力している。
まるで未来を見失った浮浪者や、その成れの果てのようだ。
「……っ!」
いや、まさにその通りかもしれない。
あれは白骨化した人間の死体だ。
それを上から包むように、闇が滞留している。
あれは何だ。魔獣なのか。
それにしては見たことも聞いたこともない形態をしている。
「……だいじょうぶ。一人じゃないよ。ボクが……そばにいてあげる」
「エ、エスト……?」
エストは何かに取り憑かれたように、その死体へ――闇が煙のように立ち上る恐ろしい空間へと一歩また一歩と近づいていく。
【……ズット……テ……タ……】
雑音にも似た、不可思議な声。
それは音ではなく思念の類いだったが、イスメトには頭に響く不気味な声としか認識できない。
そしてそれは、エストも同じだった。
「……待ってた? ボクらを?」
エストが得体のしれない声と会話している――
そう気付いたとき、イスメトの胸は焦燥に掻きむしられた。
鼓動が早鐘を打ち、本能が震え叫ぶ。
今すぐに、彼女を止めろと。
「エスト! ダメだ、ソイツに
それは一瞬のことだった。
闇が炎のように、あるいは濁流のように吹き上がり、少女を飲み込んだ。
しかし、間一髪。
イスメトの手がエストの腕を掴んでいた。
「エスト!? しっかり! エストっ……!!」
引き寄せた彼女の体はだらりともたれかかってくる。
気絶している。
「い、いったい今のは……なっ!?」
少女の体を支えながら、イスメトが視線を上げた瞬間。
闇もまた、その首をもたげた。
立ち上がるソイツの頭部は天井まで優に届き、うな垂れるようにしてこちらを見つめてくる。
ソレに手足はない。ただ縦に長い。
例えるなら、人を丸呑みにできる大きさの――黒い蛇。
「あ……あ、ぁ……」
恐怖に体が凍り付く。
迫り来る大蛇の頭部には空虚な穴が覗いていた。
闇が、こちらを見ていた。
――イッショニ、イコウ。
――イッショニ、ナロウ。
――ヒトツニ、ナロウ。
耳鳴りのように頭を駆け巡る声。
理解不能な状況にイスメトの足が震え出す。
それでも、忌まわしきあの日の二の舞いにだけはなりたくなかった。
「っ、これでも……喰らえっ!!」
イスメトは咄嗟にエストの首から引きちぎった護符を投げつける。
すると大蛇はザワザワと体を泡立たせ、動きを止めた。
手の平から確かに伝わる少女の体温。
それだけが、少年に確かな勇気を与えた。
「それで次は……――ッ!?」
怯む大蛇。
その空虚な瞳を目がけ、イスメトは槍を投擲しようとした。
だが、体がいうことを聞かない。
胸の奥がきゅっと閉まるような感覚で呼吸が苦しくなり、視界は霞み始める。
(ダメだ、耐えろ! 今、倒れたら――!)
胸を抑え、必死に意識を保とうとする。
原因不明の発作。医療神官は、魔獣の毒気に当てられた者がごく稀に発症する不治の病だと説明した。
イスメトの夢を内側から蝕む、忌まわしき呪い。
(エストだけは……守るんだ――ッ!!)
このまま倒れて死ぬならそれでもいい。この一投が当たってくれさえすれば。
決死の思いで放たれた槍の狙いは正確だった。踏み込みも完璧。
幼い頃から培ってきた技術は嘘を吐かない――はずだった。
「な……っ!?」
しかし槍は無慈悲にも目の前の巨体をすり抜け、背後の壁に突き刺さる。
大蛇は何食わぬ様子でジリジリとこちらへ
大蛇には、実体がなかった。
「ぁ、ぅ……嘘……」
なんだよこいつ。普通の魔獣とは違うのか?
イスメトは動転しながらも手当たり次第に掴んだ瓦礫の破片を、小石を、砂を、投げつける。
それらも全て、大蛇の体をすり抜けて落ちた。
肉体を持たない大蛇。
しかし、蜃気楼や幻覚のたぐいとは思えなかった。
「うっ……ゲホッ……ゴホッ!」
着実に近づいてくる死の予感。
そこからなるべく遠ざけようと、動かない少女を抱き上げ必死に後ずさる。
そしてすぐに、背中に何かが当たった。
祭壇だ。
(神、様……)
イスメトは古ぼけた祭壇に背を預け、ついにその場にへたり込む。
息が、できない。
(せめて……せめてエストだけは……)
きっとエストは勇気づけようと思っただけだ。
槍をクワに持ち替えてからずっと腐っていた、どこかのバカを放っておけなくて。
お前がそんなんじゃ安心して神殿勤めなんかできないだろうと。
だからこの状況を作ったのも、元をたどれば自分で。
十二歳の時、初めて魔獣と対面した。エストもすぐ近くにいて。
華麗に守ってあげるはずだった。
訓練でやってきたように、カッコいいところを見せるはずだった。
でも現実は――
また繰り返すのか。
やっぱり変われないのか。
英雄になるどころか、ただ一人を守りたいという小さな願いすら自分には――
叶えることができないのか。
(助けて……っ、ください……!!)
柄にもなく、神に祈った。
真に奇跡を信じるでもなく、ただただ悔しさのままに願った。
そして、その命を振り絞るような切実な思いに――
【――よォ。それは、この俺様に言ったのか?】
何者かが返答するのを、確かに聞いた。
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