第16話 満ちた月の下で

 詩葉を連れて公園に到着した奏斗。

 ドーム状の遊具の中に詩葉を座らせ、背を壁にもたれ懸けさせた。


 スマホで時刻を確認すれば、二十三時五十分。


(あと十分だ……あと十分凌げれば、詩葉を守り切れる)


 だが、こういうときに限って異常に時間の進みが緩慢に感じられる。


 詩葉の体調も一層悪化してきていた。

 呼吸が不規則で荒い。

 身体が火照り、汗をかいている。


「カナ、君……」


「大丈夫だ、詩葉。俺が付いてる」


「へへ……うん……」


 詩葉の力の抜けたような笑みに、奏斗も安心させるような穏やかな表情を向けた。


(早く、早く二十四時になれ……!!)


 ドッ、ドッ、ドッ――と、奏斗の鼓動が秒針より早く時を刻む。


 およそ三分が経過した。

 あと七分で詩葉を助けてやれる。


 だが、やはりここはGGの世界だった。


 ユーザーが、プレーヤーが満足できるよう物語には起伏がある。

 その世界に生きるキャラクター達に、残酷な運命を強制する。l


 公園に、足音。


 それは徐々に奏斗と詩葉が身を潜めるドーム状の遊具の方へと近付いてきて、やや離れた位置で止まった。


(……来た、か…………)


 奏斗はため息を吐いた。


 本当なら、二十四時になるまでこの場所で誰にも見付かることなく平和に解決できればそれでよかった。


 だが、それだとどうやら世界は面白くないらしい。

 こうして乗り越えるべき壁とやらを作ってくる。


「詩葉すまん。ちょっとここで待っててくれ。絶対外に出てくるんじゃないぞ」


「カナ君……」


 詩葉は奏斗の表情から何か危険な状況であることを理解する。

 そして、奏斗がそこへ向かおうとしていることも。


 詩葉は奏斗へ不安に揺らぐ瞳をジッと向けた。


「戻って、くる、よね……?」


「……ああ。絶対に」


 こんなところでゲームオーバーになるワケにはいかなかった。


 詩葉のハッピーエンドを迎えるそのときまで、奏斗は終われない。


 奏斗の答えに満足したのか、詩葉は「わかった」と頷いて微笑んだ。


「……さて、と」


 ドーム状の遊具から出て行く奏斗。

 中へは誰も入れないぞという意味も込めて、出入り口の穴の前に立つ。


 すると――――


「本当に、何者なのよ貴方……」


 奏斗が出てくるのを待っていたその少女――茜が、怪訝に眉を顰める。


「貴方の底知れなさは初めて会ったときから感じていたわ」


「別に俺は何者でもないよ」


 そう、何者でもない。


 GGのヒロインである詩葉や茜。

 主人公である駿。

 そんな主要キャラクターを周囲から彩るモブキャラ。


 そのどれでもない。


 元々、奏斗などというキャラクターは存在せず、突如この世界に転生してきたことによって生じたイレギュラー。


 別にそれで構わない。

 奏斗は決して自分がこの世界で成り上がろうだなんて思ってない。


 ただ一つ。

 この世界で奏斗というキャラクターに役割を持たせるなら、それは――――


「ただ俺は、詩葉を守る存在であれば良い」


「……ふふっ、何それ。こんな状況で口説き文句?」


 緊張感漂う空気の中で、初めて茜が笑みを溢した。

 学校で見てきた、自然な笑み。


 だが、すぐにその表情も冷たく消え去った。


「奏斗、一度だけ忠告するわ。何も見ず、聞かず、言わず……そこを退きなさい」


「断る」


「……即答、ね」


 茜は残念そうに目を伏せた。

 一時の沈黙が流れる。


「わかったわ。なら仕方がない――」


 再び真っ直ぐ向けられた茜の紫炎色の瞳には、一切の感情を捨て去った冷酷な光が鋭く灯っていた。


「――力尽くで退かせるまでよ」


 ダッ、と茜が動き出す。

 軽捷けいしょうな踏み込みで一気に間合いを詰め、右ストレート一閃。


 バシッ!


「なっ……!?」


 だが、奏斗がそれを左手の甲で弾くようにしていなした。

 茜の口から思わず驚愕の音が零れる。


 その隙を突く形で、今度は奏斗が右拳を突き出す。

 ブンッ! と空気を貫く鈍い音が鳴った。

 しかし、寸前のところで茜が身を引いたため宙を殴るにとどまる。


「何なの、貴方本当に……!」


「ただの高校生だ。防衛省直轄、異能対策秘匿部隊の綾瀬茜と違ってな」


「……私の正体もお見通しってワケね。でも、どうして!? それがわかってるなら私の目的も知ってるんでしょう!?」


「詩葉を殺すことだろ? だが、それを聞いて俺がはいそうですかって納得するわけないんだよ」


「貴方、わかってるのっ!? 詩葉ちゃんは――」


「――吸血鬼ヴァンパイア、だろ?」


「それがわかってて、どうして貴方は……」


「確かにヴァンパイアは危険な存在だ。理性を失い、吸血衝動のままに人を襲う。だが、詩葉は違うんだよ。詩葉は完全なヴァンパイアじゃないんだ」


「完全なヴァンパイアじゃない……?」


「ああ。月に一度、満月の日の二十四時にヴァンパイア化するだけ。そのときに少し血を飲ませれば安定する。お前だって今まで普通に過ごしてきた詩葉を学校で見てきただろ?」


「それはそう、だけど……でもっ、それがこれから人を襲わない証拠にはならないのよ!」


 茜はどこか苦しそに顔を歪ませながら叫ぶ。


「私達異能対策秘匿部隊は、決して表沙汰にせずに異能と言う危険分子を排除しなくてはならないの! 万が一にでも取り逃がしたりしたら被害が大きくなる! その前にっ、私達が……私が異能者を排除しなくちゃいけないの!」


 茜が脚のベルトに差し込んでいたナイフを右手で抜き取った。


「たとえそれが、私の大切な……友達だったとしても……!!」


 再び茜が動いた。

 先程は様子見もあったのだろう。

 今回の踏み込みの速さ、鋭さはそれの比ではなかった。


 ヒュン! と空を切る音と共に銀光一閃。


 流石にナイフ持ちを相手には強く出られない。

 今度は間合いを取って躱すことにした奏斗、だったが…………


「いってぇ……」


 左腕を掠めてしまった。

 服が裂けた個所から血が滲んでいる。


 しかし、この程度の傷で泣き言を言ってはいられない。


 奏斗は身体をやや半身に、腰を落として構えた。


(今度ナイフで刺されたらまた転生できる保証はどこにもないぞ、俺……)


 つくづくナイフに縁があるな、と奏斗は自分自身の運命に呆れてしまった――――



◇◆◇



「はぁ、はぁ、はぁ……」


 深閑とした夜の公園に、苦しそうな呼吸音が虚しく響いている。


 音の主は奏斗だ。

 公園に植えられた木の幹に背中を預けるようにして座り込んでいる。

 全身至る所の服が裂け、決して少なくない量の血が漏れていた。


「まったく……しぶとかったわね……」


 そんな奏斗の前に立って見下ろすのは茜だ。

 こちらもそれなりの手傷を負って体力も消耗している。


 しかし、戦いの勝敗は見えていた。


「でも、ここまでよ。残念だったわね奏斗。私は今から詩葉ちゃんを――」


「っ、させない!!」


 詩葉が隠れているであろうドーム状の遊具へ向かおうと足を踏み出した茜。

 だが、少し動くだけでも激痛であるはずの奏斗が再び立ち上がった。


「……貴方、死ぬわよ……?」


「詩葉を守り切れないんじゃ、どのみち一緒だ……!」


「はぁ……」


 もう茜はその手にナイフも持っていない。

 奏斗は手強かったが、ここまで満身創痍になった状態の相手に得物を使うまでもなかった。


「貴方は頑張ったわ。でもね、自分一人じゃどうにもできないことだってあるのよ。だから貴方はここで――」


 スゥ、と茜の右脚が持ち上げられ、


「――寝てなさいッ!!」


 ブゥン!! と空気を唸らせて霞み動いた。


 今の奏斗にこの一撃を躱せる余裕はない。


 スローモーションになった世界で、茜の蹴りが奏斗の側頭部に向かっていく。


(やべっ……これは耐えられん……!)


 奏斗も自身の確かな敗北を感じた。

 この一撃を喰らえば、確実に気絶する。

 茜はその間に詩葉を殺すだろう。


(すまん、詩葉。俺、お前を幸せに――)


 バシィッ!!


 重い打撃音。


 奏斗の意識は、問答無用で刈り取られ――――


「一人じゃないもんっ!」


 ――なかった。


「「――ッ!?」」


 奏斗だけではない。

 茜も同時に驚愕の色を浮かべ、ありえないとばかりに目を見開いた。


 茜の蹴りは奏斗の側頭部へ届かなかった。

 触れるその寸前で、


 奏斗にその背中を見せる者が。

 茜にその凛然たる視線を向ける者が。


「確かに茜ちゃんの言う通り、一人じゃ出来ることは限られてくると思う……」


 でもっ、とその人物がハッキリと言い放つ。


「カナ君は一人じゃない。カナ君には私がいるからっ……!!」


 見間違えるわけがなかった。


 茜の蹴りを左腕一本で受け止めるその少女は、紛うことなく詩葉だった。

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