第一章 『爪聖』の弟子(3)

    ***


 グロリアについて砂の海を歩いていると、陽炎かげろうの向こうに小さな建物群が現われた。

「砂漠の真ん中に、街……?」

 しんろうではないかと半ば疑いながら、足を踏み入れる。

 街にひと気はなく、れん造りの家々は、半ば崩れて砂に埋もれかけていた。

「随分古い街ね。人の姿がないようだけど……」

「ここははるか昔に砂漠に吞み込まれて、捨てられた街さ。普通の人間なら、魔物や砂嵐にはばまれて、まず辿たどり着けない」

「どうしてそんな所に住んでるの? 危ないし、不便じゃない?」

「それには、人目につきたくない理由があってね」

 街の奥にある一番大きな家に入ると、たくさんの子どもたちが出迎えた。

「あっ、グロリア、ティトおねえちゃん! おかえりー!」

 賑やかな合唱が響く。子どもは男女合わせて二十人ほどで、五歳から十二、三歳くらいまで、様々な年齢の子が入り交じっていた。皆獣人だ。

 グロリアは、抱き付いてくる子どもたちの頭を順番にでた。

「ただいま。お客さまを連れてきたよ。お湯を沸かしてくれるかい?」

「はーい!」

「お客さまだって! 久しぶりだね!」

 はしゃぎながら奥へ走っていく子どもたちを優しい目で見送って、グロリアが向き直る。

「──とまあ、こういうわけさ。私はここで、行き場のない獣人の子どもたちを引き取って育てているんだ。地域や国によって、獣人は迫害されたり、奴隷として扱われている。もちろんそうじゃない国もあるが、それでも中には、親を失った獣人の子をさらって奴隷にしたり、高値で売買するやからもいるからね。特に幼い子どもは被害に遭いやすい。そういう輩の目を避けるために、砂嵐と魔物に守られた【赤月の砂漠】は、隠れ家にうってつけというわけさ」

「そうだったのね」

 小さな子どもたちが、レクシアとルナを不思議そうに見上げる。

「おねえちゃんたち、だぁれ?」

「私たちは旅の者で──」

「私はレクシア。レクシア・フォン・アルセリアよ」

「おい!」

 堂々と名乗るレクシアを、ルナはとっとがめた。

 しかし、時すでに遅く、グロリアが驚いたように目を見開く。

「アルセリア? アルセリアって、まさか……」

「そう。私、アルセリア王国の王女なの!」

「いきなり素性を明かすヤツがあるか! アーノルド様にも言われていたし、私も念押ししていただろう! 無防備すぎるぞ!」

 胸を張るレクシアに、ルナは思わず頭を抱えた。

 けれどレクシアは涼しげに肩をすくめた。

「グロリア様は『爪聖』様だもの、信頼できるでしょ? それにきっと、グロリア様は私たちを信用して秘密の隠れ家に呼んでくれたんだから、こちらも素性を明かさなければフェアじゃないわ」

「それはそうだが……」

 レクシアの正体を知って、グロリアがあっに取られる。

「驚いた、アルセリア王国のお姫様かい。ただの旅人にしてはれいで身なりもいいし、随分肝が据わっているから、ただ者じゃないとは思っていたけど……」

 ティトも目を丸くしている。

 周囲の子どもたちが歓声を上げた。

「おねえちゃんたち、とおい国のおひめさまなのっ?」

「そうよ」

「あ、いや、私は護衛で……」

「すごい、すごーい! 髪、きらきらしてる! お日さまとお月さまみたい、とってもきれい!」

 輝く瞳で見上げられ、ルナは思わず口がほころびそうになったが、せきばらいをして顔を引き締めた。

「私はルナだ。レクシアの護衛をしている」

「とっても強いのよ。何しろ闇ギルドのすごうでだったんだから!」

「レクシア!」

「いいじゃない、事実なんだもの」

 レクシアの言葉に、ルナに助けられた子どもが身を乗り出す。

「あのね、このおねえちゃん、ぼくたちを魔物からたすけてくれたの! とってもつよいんだよ!」

「すっごくかっこよかったー!」

 するとレクシアはさらに胸を張った。

「しかも、【首狩り】っていう異名で名をせていたのよ!」

「く、【首狩り】だって!? 【首狩り】って、あの……!?」

 グロリアの声がひっくり返る。

【首狩り】の名は、あらゆる国にとどろいていた。正体不明の暗殺者で、闇ギルドで一、二を争う実力の持ち主。どんなに困難な任務でも確実にこなすことから、依頼を希望する者は多いが滅多に遭遇できないという、半ば裏社会の伝説的存在だった。

うわさには聞いたことがあるが……まさか、こんなにれんなお嬢さんだったとは。どうりで身のこなしが洗練されているはずだ」

 感嘆の目を向けられて、ルナが少し頰を染めつつ目をらす。

 グロリアはそんなルナとレクシアを交互に見比べた。

「でも、どうして二人だけで砂漠に……何かのっぴきならない事情が?」

「私たち、困っている人を助ける旅に出たの。今はとある事情で、サハル王国に向かっている途中よ」

「い、一国の王女が、人助けの旅に……? しかもたった一人の護衛を連れて、こんな危険な砂漠に……?」

「レクシア、グロリア様が固まってしまったぞ。責任を取れ」

「なんでよ!? 事実を言っただけじゃない!」

「その事実が荒唐無稽すぎるんだ」

 グロリアはしばらく言葉を失っていたが、何やら真剣な顔で考え込んだ。

「そうか……もしかして、この子たちなら……」

 その時、子どもたちがお茶を運んできてくれた。

 喉が渇いていたレクシアとルナは、ありがたく口を付ける。

「はぁ、おいしい! 生き返ったわ」

「誰かさんが砂漠を縦断しようなんて言い出したおかげで、危うくらびるところだったな」

「何よ、無事だったんだからいいじゃない。それに、グロリア様やティトたちに会えたんだし」

 人心地ついた二人に、ティトが器を差し出した。

「あの、良かったらどうぞ、木の実を乾燥させたお菓子です」

「まあ、ありがとう! ほんのり甘くておいしいわ」

「しかし、こんなにもらっていいのか? 貴重なのではないか?」

「い、いえ、せめてものお礼です。私、力を出そうとすると、制御ができなくなって、自分では止められなくなってしまって……。あの時私を止めてくださって、本当にありがとうございました……!」

「気にしなくていいのに。ところで、ティトの爪ってどうなってるの? 魔物と戦ってる時、光ってるように見えたけど」

「あ、えと……元々、人間と違って少しとがっているのですが、戦う時には、力をまとわせて強化しているんです……」

 ティトはそう説明しながら、尖った爪をそっと隠そうとし──レクシアはその手をひょいと取った。

「あ……!」

「へえ、本当ね、光ってないわ。あっ、でも色はちょっと変わってるのね。銀色みたいな、綺麗な色だわ!」

 顔を寄せてしげしげと観察するレクシアを見て、ティトが驚いたように目を丸くする。

「あ、あの……怖くないんですか……?」

「え? どうして? わいい手じゃない。爪もすっごく綺麗だし」

「…………」

 心底不思議そうなレクシアを、ティトは声を失って見つめている。

 そんなティトの手を解放して、レクシアはご機嫌で再び木の実を摘まんだ。

「それにしてもこの木の実? 本当においしいわね。そうだ! お礼にあめをあげるわ」

「い、いえ、そんな高級なもの、いただけないです……!」

「いいから、はい、口開けて。あーん」

「でもあの、私、牙があって危ないので……」

「大丈夫よ。ほら遠慮しないで、あーん」

「あ、えと……あ、ありがとうございま、むぐ」

「おいしいでしょ?」

「ふぁ、ふぁい……!」

「ふふ。たくさんあるから、みんなにもあげるわね!」

「わーい、ありがとう、おねえちゃん!」

「あまくておいしー!」

「……お前、どれだけ飴をちょろまかしてきたんだ」

「細かいことはいいじゃない。はい、ルナもあーん」

「いや、私はいい、自分で食べられ、食べ、んむ、食べら、自分で食べられると言っているだろう!」

 グロリアは、にぎやかなやりとりを見ながらじっと考え込んでいたが、何かを決意したように顔を上げると、思いがけないことを口にした。

「レクシア、ルナ、お願いがある」

「? 何かしら?」


「──ティトを、君たちの旅に一緒に連れて行ってくれないか?」


「!?」

「師匠!?」

 思いがけない発言に、レクシアとルナばかりでなくティトも驚く。

 グロリアは真剣な顔でレクシアたちに頭を下げた。

「突然の申し出で、本当にすまない。見た通り、ティトはまだ未熟で、力の制御ができずに暴走してしまうことがあってね。……『聖』の弟子としての力はあるかもしれないが、このままでは一人前になれない。将来『聖』の称号を継ぐ者として、ティトは自分の力を使いこなせるよう、成長しなければならないんだ」

「…………」

 うつむくティトにちらりと視線をって、グロリアはレクシアの瞳をのぞき込んだ。

「今までは──いや、私では、暴走したティトを力で止めることしかできなかった。けれどさっきティトを止めたのは、レクシア、君だ。どうやったのかは分からないけれど、君がティトを正気に戻したんだ」

「私が?」

「ああ。ひょっとしたら、レクシアには何か特別な力があって、そのおかげでティトの暴走を止めることができたのかもしれない」

「! そういえばあの時、レクシアの身体からだから透明な波動のようなものが放たれたように見えたが……」

 ルナが小さくつぶやき、レクシアがぱっと顔を輝かせた。

「そうだったのね! あの時、よく分からないけど身体が熱くなって、ぶわーっ、ぴかぴか、どかーん! ってなったの! 私にそんな力があるなんて、知らなかったわ。なんだかティトのためにあるような力ね!」

「!」

 無邪気な笑顔を向けられて、ティトがうれしそうにぴんと耳を立てる。

 グロリアは柔らかくほほむと、次にルナに目を向けた。

「それと、ルナ。君の戦闘術を、ぜひティトに教えてやってくれないか」

「戦闘術を? ですが、あの時、私でもティトを止めることができませんでしたし、ティトは十分強いのでは……?」

 ルナは驚いて首をかしげた。先程のコンドルとの戦闘を見ても、ティトが『爪聖』の弟子として十分な強さを備えているのは明らかだった。

 しかしグロリアは首を横に振った。

「砂漠では、どうしても戦い方の幅は限られている。特にティトは、きょうしょでの戦闘は苦手としていてね。いずれ『聖』になれば、様々な場所、様々な状況で戦うことになる。その時に備えて、君が身に付けた生き残り方や判断力、武器の使い方、身のこなしを教えてやってほしいんだ」

 グロリアはレクシアとルナを交互に見た。

「それに、長いこと人里を離れて暮らしているから、ティトは人間社会にうといところがあってね。人間社会のことを学ばせてやってくれないか?」

 真剣な表情からは、グロリアが心からティトをおもっていることが伝わってきた。

「何より君たちは、暴走するティトを恐れなかった。無理をお願いしていることは重々承知だけど、もしもかなうのならば、どうか君たちの旅に同行させて、ティトに社会のことや力の使い方を教えてやってほしい」

「師匠……」

 グロリアは視線を彷徨さまよわせ、心底申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「本来は私が徹底的に鍛えるべきなんだが、その……」

「グロリアは甘いもんなー」

「ティトおねえちゃんがちょっとでも困ってたら、すぐ助けちゃうもんね」

「う」

 子どもたちにからかわれて、グロリアは気まずそうに頰をく。

「……厳しく突き放すことも必要だとは分かっているんだが、いざとなるとどうしても手助けしてしまってね。ない師匠で、申し訳ない」

「そんな! 師匠はこんな私のことをいつも心配して、助けてくださって……自慢の師匠です……!」

 ティトが泣きそうな顔で首を振る。

 仲むつまじい師弟の姿に、ルナは目を細めた。

「師匠、か」

 ルナ自身も物心ついた時には親はなく、暗殺業をなりわいとする師に育てられ、生きるすべを教わった。師はルナが裏の世界で生きていけるように知識と技術を教え、さいまでルナを想ってくれていた。

 グロリアは、自分の下に置いておくよりも、旅に出ることがティトの成長につながると判断したのだろう。

「それにティトは獣人だから、耳と鼻が利く。魔物や『邪』の気配にも敏感だ。きっと役に立つはずさ。もちろん、ただでとは言わない。できる範囲での謝礼はさせてもら──」

「いいわよ」

「え?」

 あまりにあっさりと承諾されて、グロリアが間の抜けた声を漏らす。

 レクシアは獣人の子どもたちを見渡して笑った。

「謝礼なんていらないわ。その分を、この子たちのために使ってあげて。それに、仲間は多い方が心強いもの! 『爪聖』様の弟子ならなおさらだわ。私がティトの暴走を止める力を持っているなら、私たちきっと、仲間になる運命だったのよ。私も、この力がなんなのか気になるしね!」

 肩をそびやかすレクシアの隣で、ルナがティトに優しい瞳を向ける。

「私もレクシアの意見に賛成だ。だが、ティトはいいのか?」

 ティトは小さな両手をぎゅっと握りしめていたが、やがて顔を上げた。

「師匠は優しくて、私、いつも甘えてばかりで……でも、師匠の弟子として恥ずかしくないように、成長したいです! それに、まだ未熟で力を制御できない私を、レクシアさんとルナさんは温かく迎え入れようとしてくれて、それがすごく嬉しくて……。ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、私、お二人のお力になりたいです。そのためにがんばります! お願いします、どうか一緒に連れて行ってください!」

 強い決意を浮かべた金色の瞳に、レクシアが力強くうなずく。

「ええ、任せて! きっと楽しい旅になるわ! ね、ルナ?」

「ふっ。まあ、退屈しないのは間違いないな。それに、私一人では、レクシアのづなを握るのに難儀していたところだ。『爪聖』の弟子が仲間に加わってくれるというのなら、願ってもない」

「何よ、人を暴れ馬みたいに!」

「大差ないだろう」

 軽妙なやりとりに、グロリアが喉を鳴らして笑う。

「ありがとう。──そうだ、良かったら、これを持って行ってくれ」

 レクシアに手渡されたのは、透き通る石がついた腕輪だった。

「これは?」

「お守りだよ。この石は【太陽のしずく】といって、【赤月の砂漠】の奥地でごくまれに採取できる、希少な鉱石でね、持ち主を守ると言われている。いざという時、きっと君たちの助けになるだろう」

「すごくれい……ありがとうございます!」

 レクシアはグロリアに礼を言うと、細い手首にその腕輪をめた。

 グロリアが改めて頭を下げる。

「どうか我が弟子を、よろしく頼む」

 みしめるように言うグロリアに、レクシアは「ええ!」と頷いた。

「そうと決まったら、びしびしいくわよ! よろしくね、ティト!」

「はいっ! よろしくお願いします、レクシアさん、ルナさんっ!」

 ティトがまだ幼い表情を引き締め、大きな両眼を輝かせる。


 こうしてレクシアとルナの旅に、新しい仲間が加わったのだった。


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第1巻の試し読みは以上です。


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