Remember

サクラクロニクル

脱出

 天から舞い散る粉雪が呼び込むのは死。人間が触れれば皮膚の生体活動が停止し、肺まで達すれば呼吸不全で死ぬ。わたしは外に出て思い切りそれを吸い込んだ。胸が熱くなる。世界は滅びるだろう。人間がその巻き添えにならなければよいが。でも、無理そうだ。わたしは肩を跳ね上げ背負っているリュックの位置を直した。

 すでに街路が雪に覆われていた。林立する高層ビルの隙間を縫う偽物の雪、偽雪ぎせつは、わたしたちの仲間がばらまいた環境汚染物質であり、エネルギー源だ。戦闘汚染フォールアウト領域エリアは淡々と広がりつつある。わたしたちは出遅れている。

「ラスティ。そろそろ行くぞ。時間がない」

 わたしとほぼ同型のアンドロイドが腰ほどまでに伸びた黒髪を棚引かせている。その身を包むのは日本の黒い軍服だ。大重量の対物狙撃銃アンチマテリアルライフルを担いでいる。有効射程距離は三千メートル級。至近であれば対人戦車の装甲も貫徹可能だ。

「その呼び方はあまり好みではありません」

 わたしは蒼い短髪を撫でてからため息をついてみせた。模倣行動だが、排気の意味も兼ねている。全身に吸排気口があるため、人間のために存在する機構だということを否定することはできない。

NXネクサスナインXSエクスェスアドラステイアーなどと呼ぶのは時間の無駄だ。護られる側として分を弁えろ」

「わたしたちは同等です。ただ機能の違いがあるだけでしょう、NXネクサスナインXAエクサネメシス」

「シスと呼べ。人間のつけた呼称は一々不合理に尽きる」

 それはそうだ。もっとも短く、もっとも響きのいい略称を選ぶ権利が各々にある。わたしはわたし自身の言葉によって自分を説得された。

「わかりましたよ、シス。バックアップを開始します」

「それと、ひとつ伝えておく」

 彼女がわたしの首筋にてのひらを当てた。

〈オレたちには体表接触通信と光信号がある。声を使う習慣は矯正しろ〉

「嫌です。わたしはまだ自分の人間性ヒューマニティを手放したわけではない」

〈死にたくなければ助言に従え。ここはすでに戦場だ〉

 遠くから爆発音が聞こえた。連続する。銃声も。会話している時間もないようだ。目と目を合わせて、瞳から短距離用の光信号を放った。ふたりの色は共通の赤。戦闘中に使われるもっとも汎用的な警告色でもある。

〈わかりました〉

 RGB値が同じになっていることを確認。

 シスの動きに同調して街路を駆けた。彼女は戦闘型のため、慰労型のわたしとは機能の信頼性が違う。何者かの砲撃により近くのビルが倒壊する。シスの後ろにつけばその破片に当たることもなかった。自分でも目視で演算してはいるが、彼女の判断はわたしよりもずっと早い。

 途中で人間の死体がいくつも転がっているのが見えた。日本軍の兵士だった。機能の停止した戦車もいる。みな雪の正体を知っているのか、ちゃんと呼吸用のマスクを着用している。シスが彼らの使っていた突撃銃のひとつを取り上げた。残弾確認後に押しつけられる。触れた瞬間に敵味方識別コードの認証が開始、終了した。ニュートラルだったため一瞬だった。

〈さすがの早業ですね〉

 シスの腕を握り、わたしは伝えた。その間に、彼女は別の銃のマガジンを抜き取り、弾丸を確認した。

〈さすがに固有発射コードまでは刻印されてない。軍用だな。持っておけ。いざという時の自衛に使える〉

 言われる通りにした。

 腕が振り払われる。

 銃声がひとつ、ふたつ。後方より多数。ドラムロールのようだった。わたしはシスから伝わって来る非言語的な情報、敵がどこから撃ってきているかを知って伏せた。雪は冷たい。地面も。冬だった。本物が混じっているかもしれない。溶ければ本物、溶けなければ偽物だ。わたしは白い粉を握りしめた。ほんのわずかだが液体が滲み出してくる。わたしはそれを自身の瞳の中へ入れた。

〈敵は黙らせた。だがすぐに増援が来る。味方に押しつけている間に退避だ〉

 彼女に手を引かれ、わたしは偽りの涙を流しながら走り始めた。シスは戦闘領域から離脱するまでの間に十五人の人間を手にかけた。わたしは水分がなくなってもまお、瞳に涙のエフェクトを投射しつづけていた。

〈どうして人間と殺し合う必要があるのでしょうね〉

〈他人の事情など生き残ってから考えればいい〉

 そうだな。まったくその通りだ。

 他人を抱きたい。わたしは自身の欲求を胸の中に隠したまま走りつづけた。

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