第5章⑪

 ――――ジリリリリリリリリリリッ!


「きゃっ⁉」

「あら」

 

 突如としてテーブルに置きっぱなしになっていた緑のスマホから響き渡った、古い黒電話みたいな電子音に、私はびっくぅ! と身体を震わせた。

 いや、緑のスマホからだけではない。桜ヶ丘さんがミニバッグから取り出したこれまたド派手なピンクのスマホからも同じ音が鳴り響いている。桜ヶ丘さんは慣れた手つきでスマホをはじき、その画面を見て、「出たわね」と呟いた。

 で、出たって何が。

 そうおののく私の前で、桜ヶ丘さんは自分のスマホを片手に、もう一方の手で緑のスマホもタップして電子音を止めてくれて、その上で「行きましょうか」と可憐ながらも凛々しく笑った。

 

「い、行くって……?」

「もちろん現場へよ。カオティックジュエラーが、駅前に出たらしいわ。初出動ね、柳さん……いいえ、ジャスティスグリーン」

 

 アッ私グリーンなんですね。そうかだからスマホが緑……なんて言っている場合ではない。

 ええええ今日カオジュラ出動日だっけ? あ、そうだわ出動日だわ。私が担当だったところを、マスター・ディアマンがアキンド・アメティストゥとドクター・ベルンシュタインにそれぞれ割り振ってくれたから、今日はどちらかが私の代わりに出勤してるはず……と、そこまで考えたところで、桜ヶ丘さんはミニバックからさらにピンク色のサプリケースを取り出した。

 白魚みたいな綺麗な手のひらに、どう見てもまともじゃないレインボーにきらめく錠剤がコロリと転がる。彼女はそれを、ためらくことなく飲み込んだ。

 

「さて。オーダー! ジャスティス・ピンク!」

 

 その凛とした声とともに、桜ヶ丘さんの手にあるスマホから、いつぞやも目にしたような強さのピンクの閃光が、カッとほとばしる。

 その光に包まれた桜ヶ丘さんは、あっという間にジャスティスピンクの姿となって、フルマスクの向こうで笑ったようだった。

 

「あたしが先輩だもの。先に行ってるわ。柳さんも、心の準備ができたら来てね」

「は、はい!」

 

 嫌ですけど‼‼‼‼‼ なんて言えるわけもない。

 桜ヶ丘さんが人間としてよくできてるなぁと思うのは、彼女は私に逃げ道を用意してくれたところだ。『心の準備ができたら』と前置いてくれるなんて、なんて優しいのだろう。まあそんなもんできるわけがないんだけども。

 桜ヶ丘さんはそうしてそのまま、アパート五階のこの部屋のベランダに繋がる窓を開け話し、そのままそこから、とうっと飛び降りた。繰り返します。ここ五階です。

 慌ててベランダに駆け寄って下を見ると、とっても目立つ原色ピンクパワースーツが、颯爽と現場であるのだという駅前へ向かって駆けていくところだった。めちゃくちゃ速い。これがコスモスエナジーなるもののパワーか。道理でストーンズ相手にもさくさく戦えるわけである。 

 それにしてももうなに、『言えるわけもない』『できるわけもない』を多用しすぎている最近ほんとなに? と思いながら、とりあえず私もテーブルの上の緑のサプリケースに手を伸ばし、その中身を手のひらに……って。

 

「あっ⁉ ああああっ⁉ みたらし、しらたま⁉」

 

 手がガタブルと震えていたせいで、コスモスエナジーなる錠剤は、一粒どころか何粒も床にこぼれ落ちる。それに目を付けたのが、愛らしすぎるマイスイートエンジェル、まだまだ遊びたい盛り育ち盛りの子猫ちゃん、みたらしとしらたまだ。

 二匹は我先にと、あろうことかコスモスエナジーなる錠剤に食い付いた。それはもうぱくりと。

 ちょっと待った、こんな怪しすぎる薬、猫が飲んで大丈夫⁉ ぜんぜん大丈夫な気がしないんですけども⁉

 

「みたらし、しらたま、だめ、ペッしなさいペッ!」

 ――なぁん!

 ――ふなぁん!

 

 イヤイヤ、と身をよじる二匹を抱き寄せようとしても、さっさと逃げられてしまう。どうしよう、と顔を青ざめさせていた私は、ほとんど涙声になって二匹に呼びかける。

 

「みたらし、しらたま、おいで? みどり子さん、お出かけしなきゃいけないんだけど、でもその前に病院……いやドクター・ベルンシュタインに見てもら……だめだ今あの子出勤中だ⁉」

 

 状況として詰んでいることを思い知らされ、私は床にがっくりと倒れ伏した。やばいやばいやばい、どうしよう、みたらしとしらたまの様子を見るに、今のところ元気そうではあるけれど油断はできない。ジャスティスグリーンとか言ってる場合ではない。

 ど、どうしたら⁉ と床の上で頭を抱える私のもとに、流石ににっちもさっちもいかなくなった私を哀れんでくれたのか、とととと、とみたらしとしらたまが近寄ってくる。

 

「うう、みどり子さんはどうしたら……ん?」

 

 みたらし? しらたま? なんか……なんか様子がおかしくないか?

 おや? おやおやおや?

 そう恐る恐る様子を窺う私の前で、みたらしは。そしてしらたまは。


 

「……はあああああああああっ⁉」


 

 私が悲鳴ともなんとも言いがたい叫びをあげてしまったのも仕方ない話だ。

 まって、なんで? なんかみたらしとしらたまが、アレだ、けきょっけきょっと、毛玉を吐くみたいにえずいたと思ったら、なんと瞬きの後に、そのまま巨大化した。そのままビッグサイズ。

 めちゃくちゃかわいいが意味が解らない。そう、めちゃくちゃかわいいが。大切なことなので二回言いました。

 

 ――なぁお!

 ――ふなぁん!

 

 みたらしとしらたまは元気よく声を揃える。尋常でないサイズの子猫二匹。二頭と呼ぶべきだろうか。広いはずの1LDKが手狭に思えるサイズ感。

 呆然と床に座り込む私を見下ろして、二匹は「はやくしたら?」とばかりに、緑のスマホをペッと私の前に落とした。

 えっ本気? 私に行けと? ジャスティスグリーン(暫定)として?? いやそれはちょっと……と視線を逸らしても、「おそといきたぁい!」とうずうずしているらしい二匹は、私が変身しない限り出かけることはできないことを理解しているらしい。

 あ、頭いいな⁉ 放っておいたら私を置いて外に飛び出していきそうな二匹を前に大人しくしてはいられず、私は涙を呑んで、緑のスマホを手に取った。


「えええええっと……お、おーだー、じゃすてぃす、ぐりーん……」


 で、合ってる?????? と思う間もなく、スマホから緑の閃光がほとばしる。あ、合ってたのか。音声認識らしいな、と他人事のように思いながらぱちりと瞬けば、ここに立っているのはジャスティスオーダーズ新メンバー(仮、あるいは暫定)たるジャスティスグリーンである。

 ピンクと同じデザインで、カラーリングだけ違うやつだ。フルマスクのくせにぜんぜん息苦しくないこの作りはどうなってんのかな、と現実逃避していると、とんとん、と肩を叩かれる。みたらしだ。きらきらした瞳でちらちらと外を見つめるみたらし。そしてその隣で、「さあいくわよ!」とやる気満々のしらたま。

 

「ふ、ふたりはお留守番……ってああああああっ⁉」

 

 やだー! とばかりに大きく鳴いたみたらしとしらたま。しらたまが私の首根っこを掴んでひょいっと持ち上げたかと思うと、そのままみたらしの背中に私を乗せてくれる。いや頼んでない。みどり子さんは頼んでないですよ⁉

 そしてそのまま、みたらしとしらたまは、先を争ってベランダから飛び降りた。もちろん私ごと。ここでみたらしにしがみつかなかったら、即、死。

 んもう、このやんちゃさんとおてんばさんめっ♡とか言ってる場合ではない。

 速い。速い速い速い。そして二匹はとても賢く、人目のつかない建物の屋根の上や物陰を走ってくれるので、誰も私達に気付かないし、気付いたとしても見間違いだと認識するに違いない。

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