第5章⑤

 そう、朱堂さんは何も悪くない。解っている、そうだとも、理解はしているのだ。ただ若干納得できていないだけで。私の目の前で朱堂さんが変身しなかったらこんなことにはならなかったのだから、恨み言の一つや二つ言ったってバチは当たらないと思う。

 でも、ここでもまた、『でも』だ。

 みたらしも、しらたまも、そして私自身も、朱堂さんのおかげで無事だった。朱堂さんは、ちゃんと。

 

「守ってくれたじゃないですか」

「え?」

「みたらしもしらたまも私も、朱堂さんのおかげで無事でした。朱堂さんは、ちゃんと守ってくれたんです」

「だが……」

「『だが』も何もないですよ。これは疑いようのない事実です。今ここで遠慮とか謙遜するのはただのエゴだと思います。誰だって完璧なんかになれないんですから。朱堂さんは朱堂さんなりの力で、私達を守ってくれました。だから、あとは、大人しく私達からのお礼を受け取るだけでいいんですよ」

 

 これだけボロボロになってまで私達のことを守ろうとしてくれた朱堂さんを責めるほど、私は鬼ではない。まあね、文句は山ほどあるんですけどね、それはね、薔薇の花の下に埋めますとも。

 世の中は結果がすべてである、というのは私の持論だ。けれど、その結果を求めるにあたって、誰も完璧にはなれないのだ。例外として思い浮かぶのはしろくんだけど、しろくんだって、完璧に限りなく近いだけで、完璧そのものであるわけではない。

 彼のそのほんのわずかな、けれど決して埋められない欠けた部分を、私は少しでも補いたいと思っている。私ごときがおこがましいとは解っているけれど、でも、放っておいたらどこまでも遠いところにたった独りで歩いていってしまいそうなしろくんを、私はどうしても放っておきたくないのだ。

 そういう意味では、朱堂さんもそうなんだろう。いや私はこの人についてはそこまで思い入れはないし、レディ・エスメラルダとしての私は「関わり合いになりたくない。無理。本当に無理」という結論を既に出しているわけだけれど、それは一応なんとか横に置いておいて、とにもかくにも、朱堂さんだって、誰かに『放っておけない』と思われる人種だと思う。桜ヶ丘さんのあの様子からもお察しというやつだ。

 

「朱堂さん、ありがとうございます」

「……っ!」

 

 もう一度深く頭を下げると、朱堂さんは息を呑んだようだった。そして彼はそのまま沈黙してしまって、そして小さく、吐息をこぼすように笑い声を上げた。

 ん? と顔を上げると、彼はその凛々しい顔に、なんとも気の抜けた、心底嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 

「柳さんには、情けない姿ばかり見せているな……」

「そうですね。出会いからしてアレですもんね」

「面目ないな」

「否定できません」

 

 見た目は本当に一級品のイケメンなのに、朱堂さん、そしてレッド、どちらの姿であってもやることなすことことごとく残念すぎる。千年の恋も冷めるに違いない。

 初対面の時、目の前で空腹のあまりぶっ倒れた挙句、私からおにぎりを奪っていった事件については、いまだに記憶に新しい。奮発して作った鳥南蛮のおにぎりだったのに。金銭的にもレディ・エスメラルダとしての体型維持のためにも、めったにタルタルソースなんて口にできないのに。あ、思い出したらまた普通に腹が立ってきたな。

 そういえば今夜、夕飯を食べ損ねていたことを今更思い出した。ついでにそのすっかり忘れていた空腹も遅れて思い出す。この施設、コンビニとかないかな。基本的に自炊をして、常備菜を山ほど作って節約にいそしむ私には、コンビニご飯なんてぜいたくな話なんだけれど、今夜ばかりはそうも言っていられない。

 なんとかならないものかと考え込む私は、気付けば沈黙していて、そんな私をじっと見上げてくる朱堂さんの視線に気付かなかった。

 

「――――エスメラルダにも、きっと呆れられてしまう」

「えっ」

 

 不意打ちの爆弾に肩が跳ねた。

 なぜここでその名前が出てくるのか。この状況でその名詞、あまりにも心臓に悪い。まさか解っていて言っているのかこの人は。確信犯なのだとしたら怖すぎる。

 つい顔を引きつらせて朱堂さんを改めて見下ろすと、彼は天井を見上げて、自らに言い聞かせるように続けた。

 

「彼女にはこんな姿、見せたくない。レディ・エスメラルダには、レッドとして、対等な関係で、俺が一番かっこいい姿だけを見てほしい」

「…………はあ」

 

 それこそ男のエゴだなぁ、とは思ったけれど、ここでも私はその言葉を口には出さなかった。

 っていうか今までのレッドとしての言動、この人、かっこよかったつもりなのだろうか。だとしたら恐ろしすぎる勘違いである。どこからどう見ても、繰り返すけれどやることなすことことごとく『私』、レディ・エスメラルダにとっては最低以外のものではなかったぞ。

 それでも世間の一般ピーポーはレッドのことを「かっこいい♡」「素敵♡」「私を守って♡」「レッド様を惑わすレディ・エスメラルダ許すまじ♡」という風潮なのだからこんな世の中じゃもう本当にぽいずんぽいずん。

 

「朱堂さんは、本当にレディ・エスメラルダが好きなんですねぇ……」

 

 他人事ではなく私もまた当事者であるだけに、心の底からしみじみと呟いてしまった。

 はっきり言おう。ぶっちゃけいい迷惑である。ああ、普通に敵対していただけの日々がこんなにも恋しくてたまらない。カムバック在りし日のレッド。

 何が悲しくて胸を触られたりファーストキスを奪われたり結婚申し込まれたり土下座されたりしないといけないのだ。……こうして挙げ連ねると本当に私、かわいそすぎやしないか? 私、かわいそうじゃない? 自意識過剰の被害妄想じゃないよね?

 

「ジャスティスオーダーズのレッドが、カオティックジュエラーの幹部に恋焦がれるなど、許されないとは解っているんだ。だが、それでも、この気持ちに嘘をつきたくなくて……その想いばかりがどんどん大きくなっていって、結果としていつも彼女を傷付けてしまう」

 

 傷付けてる自覚あったんかい。

 お医者様でも草津の湯でも、とは言うけれど、それにしても朱堂さんの恋愛観はやばい気がする。そういやこの人、泣かせたいとか言っていたな。正義の味方の発言とは思えないトンデモ発言である。

 思い返せば思い返すほど半目になっていく私に気付いているのかいないのか……いや気付いていないに違いない朱堂さんは、照れくさそうに笑った。

 

「初恋なんだ」

「うわ」

 

 こわ。こじらせるにもほどがあるだろう。これが他人事だったら「頑張ってくださいね」と適当にスルーしたのに、何せ私がその初恋の相手。初手から詰んでいる。

 

「……初恋は実らないって言いますよ?」

「それは一般論だろう?」

 

 こわ。怖いわこの人。即レスしてきたんですけどこの人。綺麗な瞳をきらきらさせながら、朱堂さんは「だから諦めない」と続けて、また私を見上げてくる。その顔が、ほんのりと赤く染まった。

 

「柳さんにはついなんでも話してしまう。困ったな」

「……それは光栄ですね……」

 

 丁重に遠慮させていただきたいのだが、一応みたらしとしらたまの恩人である彼を、この場で切り捨てることもできず、私は死んだ目になって半笑いで受け流すことしかできない。

 まじでこの人どうにかならんかな。ほらよく二次元の特撮であるアレ、悪の組織による正義の味方陣営メンツの洗脳ターン。

 あれ、この人に使えないかな。都合よくレディ・エスメラルダへの恋心――と本当に言っていいのかここまでくると自信がなくなってきたけれども――だけをうまいこと消したりとかできないのだろうか。マスター・ディアマンも、ドクター・ベルンシュタインも、アキンド・アメティストゥも、そういうのすごい得意そうなんだけど、それは私の偏見だろうか。

 普通にあの人達ならできそうだと思えるところは、怖いところでもあるけれど、今はむしろ頼もしい。今度会った時にかけあってみようかな……とか我ながらわりと酷いことを考えている私もまた、立派な悪の組織の幹部なのである。幹部なのに下っ端扱いだけれども。

 

「柳さん」

「えっ! あ、はい!」

 

 しまった、つい考え込んでしまっていた。気付けば膝へと落としていた視線を持ち上げて、そのまま朱堂さんの方にスライドさせる。

 彼は先ほどまでのやわらかな恋に溺れる男の男とは打って変わった、決意に満ちた表情を浮かべていた。彼の包帯に巻かれた手が、膝の上に置いていた私の手に重なった。

 

「柳さんはこれから、ジャスティスオーダーズとして、戦いに臨むことになると聞いているんだ」

「そ、そうらしいですね……?」

 

 いやこれ普通に勘違いさせちゃうやつでしょ、レディ・エスメラルダに惚れてるとか言いながら、別の女――いや私なのだけれど――にこの接触は駄目すぎるのでは。

 なんとかさりげなく手を引こうにも、朱堂さんはそれを許してはくれず、ぎゅ、とさらに私の手を握り込む。

 ひえ、と、顔を引きつらせる私を、朱堂さんはまっすぐに見上げてきた。そのまなざしから、目が逸らせない。

 

「あなたは俺が守る。たとえカオティックジュエラーが相手でも、俺は誰にもあなたを傷付けさせたりはしない」

 

 アッ待って。その台詞はあかんやつだ。

 これはフラグである。めちゃくちゃいい台詞を言ってるが、これはどう考えてもフラグである。嫌な予感がぶわっと全身を包み込んだけれど、同時に耳元でよみがえる声があった。


 

 ――みどり子ちゃんは、僕が守ってあげる。

 ――だから、大丈夫だよ、みどり子ちゃん。


 

 そう言ってくれた彼は、今もなおその約束を守り続けてくれている。たったひとりの私のヒーロー。でもそう約束してくれた彼のことは、一体誰が守ってくれるのだろう。

 ねえ、しろくん、私は、私はね。


「――――――――――柳さん?」


 そっと気遣わしげに声をかけられ、は、と息を呑む。完全に思考がわき道に逸れていた。

 いやある意味ではそのまま王道とでもいうべき思考の流れではあったのだけれど、それは朱堂さんには関係のない話だ。

 

「……すみません。ちょっとびっくりして」

「そんなにも驚くようなことを言っただろうか?」

「そうですね、とりあえず顔見知り程度の女に言っていい台詞じゃなかったことは確かです」

「…………顔見知り?」

 

 なぜか朱堂さんはショックを受けた顔で固まった。あ、ああ、顔見知りと呼ぶことすらおこがましかったからか。

 朱堂さんほどのイケメンなら女性に大人気だろうし、私程度の付き合いで『顔見知り』なんて主張されたら、たぶん朱堂さんには友人、彼女、恋人、妻、愛人などなどその他もろもろの関係を主張する人達がごまんと現れるに違いない。

 馴れ馴れしすぎたことを反省しつつ、私はいまだに私の手を掴んでいる朱堂さんの手を、彼が怪我の痛みを感じないように苦慮しながらそっと引き剥がす。

 そして改めて、にっこりと笑ってみせた。

 

「ご心配には及びませんよ。お気持ちはありがたいですが、私は私のことは自分で守りますし、この心を支えてくれる人もいます。それよりも朱堂さんは、ご自分の心配をなさった方がいいです」

「……俺の心配?」

「はい。みたらしとしらたまと、それからついでに私を守るために、リンチを甘んじて受けたでしょう。ああいうの、駄目です。絶対やめた方がいいです。朱堂さんの、『誰かを守りたい』という気持ちは、きっと尊いものなんでしょうけど、ほんっとにあれは駄目なやつです。朱堂さんは、朱堂さんのことを心配してくれる人のために、ご自分を守る義務があります。朱堂さんが守るべきは、まず自分自身です」

 

 桜ヶ丘さんはそっけなかったけれど、彼女は彼女なりに、朱堂さんのことを心から気にかけ、心配しているようだった。でなかったら、初対面の私に、「顔を見せてやって」なんて頼むわけがない。

 そうやって朱堂さんのことを心配するのは、桜ヶ丘さんだけじゃないに違いない。それなのに我が身を顧みずに他人を優先しようとする朱堂さんのその姿は、朱堂さんのことを大切にしたい周りの人達への裏切り行為とすら呼べるだろう。

 とはいえこれは私の勝手な持論なので、気に障ったならば申し訳ない。みたらしとしらたま、ついでに私のためにボロボロになってくれたこの人が、今後無茶をやらかさなければいいなぁという私のわがままでしかないのだから。

 

「守るべきは、自分?」

 

 朱堂さんはぽかんとした顔で、私の台詞をかみ砕いて復唱した。そうですね、と頷きを返すと、彼の整った顔がくしゃりと歪む。

 

「そんなこと、初めて言ってもらえた」

 

 えっマジで? それはそれですごいな。それだけ頼られてきて、それに応えるだけの実力があったのか。「朱堂さんは偉いですね」と思わず呟くと、彼はますます顔をくしゃくしゃにして、「ありがとう」と続けて、目を閉じた。

 おや? とその顔を覗き込むと、なんとまあ彼はここにきて夢の世界へと旅立っていた。まあこれだけボロボロだし、こんなにも長々と話させて、無理をさせてしまったからか。

 悪いことをしてしまった、と反省しながら、足元のキャリーケースと一緒に、私は朱堂さんの病室を後にした。

 桜ヶ丘さんの言っていた通りの女性専用フロアに辿り着き、電子キーのタグに記された番号の部屋に辿り着く。

 思っていた以上に豪華で清潔な部屋におののきつつ、目が覚めてしまったらしいみたらしとしらたまと一緒に、ベッドに飛び込んだ。

 なぁお。ふなぁお。甘えた声ですり寄ってくる二匹を抱き締めて、そうしてやっと私も目を閉じる。

 かくして、柳みどり子の長い夜は、ようやく幕を閉じたのだった。

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