第5章②
何してんですかこんなところで⁉ そう問いかけたくても驚きすぎて言葉が出てこない。
そう、VⅠP席に座っていたのは、老齢のご婦人。とっても見覚えのあるそのお顔をどうして見間違えるだろう。いつもの着物ではなく、ピシッとしたスーツに身を包んだその姿は凛としてかっこいい。そんなお衣装もとてもよくお似合いですね……なんて言っている場合ではない。
彼女は、間違いなく、私が借りているアパートの大家さんである。
うっかりキャリーケースを取り落としそうになってしまった私をからからと面白そうに見つめて、大家さんはちゃめっけたっぷりにぱっちん! とウインクをくれた。ウッかっこいい……!
「やだよぉみどり子ちゃん、ここでのあたしは、ジャスティスメイカー司令官、
そ う な の ⁉
えっ司令官? 司令官とかおっしゃりました大家さん⁉ 冗談にしてはタチが悪すぎるんですけど、あの、冗談ですよね……? と、一縷の望みをかけて彼女を見つめ返すと、大家さんはグッとサムズアップした。
「みどり子ちゃんもジャスティスオーダーズに加入するんだし、これからはもっと気軽に『透子さん』って呼んでおくれよ」
「いやいやいやいや⁉ なんかもう決定事項みたいになってるんですけど、あの、色々説明が足りなさすぎません⁉」
いきなり本題をどどんと突き付けられたけれど、ここで即「はい解りましたぁ!」なんて敬礼できるわけがない。
私は自慢にもならないけれど、まあ大概考えなしの馬鹿だ。だが、それでもここで「あのジャスティスオーダーズに⁉ やったぁ‼ がんばりますぅ!」なんて言えるほどアホの子ではないつもりである。っていうかそもそもカオジュラだし。レディ・エスメラルダだし。
悪の組織の女幹部が正義の味方に加入なんて展開が許されるのは二次元の中だけの話だ。しかもまだレディ・エスメラルダは光堕ちもしていない。どう考えても普通に無理。
「あの、大家さ……」
「透子さんとお呼び」
「……透子さん、あのですね、私がジャスティスオーダーズに加入だなんて、なんでまたそんな話に……?」
いくら私がレッドの正体を知ってしまったとはいえ、それにしてもだからっていきなりジャスティスオーダーズに加入する理由にはならないはずだ。もっとふさわしい人間がいるはずだろう。
「あの、私、レッドが朱堂さんだってこと、誰にも言うつもりありません。そもそも朱堂さんの素性も何も知りませんし。たとえ私が言いふらしたとしても、信じてくれる人なんていませんよ?」
世間的には一般ピーポーの私が「レッドはこの人です!」と朱堂さんを指さして声高々に叫んだとしても、「何言ってんのあいつ。確かにその人イケメンだけど、レッドがこんなところウロウロしてるわけないでしょ」と馬鹿にされるのがオチである。もう容易に目に浮かぶ。
カオジュラの女幹部としてその情報を利用しようにも、そもそもカオジュラは繰り返すがビジネス悪の組織であり、目的はカオスエナジーの収集だ。
別にジャスオダを倒したいとかそんなことまったく思ってなどいない。むしろ倒したらダメなやつだ。カオジュラにとってジャスオダは、お国が用意したどうしても必要な敵対組織なのだから。
「あの、ですからですね」
「……そうだねぇ、いきなりこんなことを言われても、そりゃあ驚くだろうし、不安もあるだろうね」
「…………大家さん?」
「透子さん」
「ハイ透子サン」
うんうん、と何度も深く頷いて、大家さんもとい透子さんはほうと溜息を吐き出した。先ほどまでのはつらつとした威勢のいい姿とは打って変わった、なんとも物憂げな姿である。
そんな姿もまた魅力的な風情をかもし出していて、「素敵な歳の重ね方をなさっているんだなぁ」と感動してしまいそうになるけれど、なんだろう。
……なんか、こう、ものすごく嫌な予感がする。不穏な気配がビシバシ伝わってくる。
思わずじり、と後退りする私に、透子さんは沈痛な面持ちで続けた。
「レッドの正体を知ってしまったなんてことがカオティックジュエラーに知れたら、みどり子ちゃん、あんたの安全は保障できないんだよ。レッドについてや、ジャスティスオーダーズについて、そして我らがジャスティスメイカーについての情報を狙って、カオティックジュエラーは……いいや、ウチに不満を持つ反社会組織にも、あんたは狙われることになっちゃうかもしれないねぇ」
「いや私がレッドの正体を知っていることなんて誰も知らないじゃないですか」
いかにも心配そうに透子さんは仰るけれど、だからそもそも私、カオジュラの女幹部レディ・エスメラルダだし。わざわざマスター・ディアマンが柳みどり子としての私を狙うとは到底思えない。そんな無駄なことしないでしょあの人。
だからこそむしろ、反社会組織についての方が気にかかると言ったら、まあ確かにそうだ。ジャスティスオーダーズは国民の人気者だけれど、カオジュラに対抗するばかりではなく、ついでに警察とか自衛隊にも協力しているから、それを面白くないと思う輩は少なくはない。ジャスオダは、カオジュラ以外にも敵がいるのだ。
だからこその心配なのだと思うけれど、いざとなったらレディ・エスメラルダに変身すればいいだけの話だ。誰が好き好んでレディ・エスメラルダになりたがるもんですかいという話ではあるが、背に腹は代えられない。たとえ反社会組織に狙われたとしても、ちゃんと対応できる自信はある。あとで始末書を出さなくてはいけなくなるだろうが、それくらいならまあ許容範囲と言えるだろう。
大体、繰り返すけれど、私がレッド=朱堂深赤さんという方程式を知っていることを知るのは、もはや誰もいないはずだ。イミテーションズはもうカウントに入れなくていいし。だからあとは私が黙っていればすむだけの話であって……と、そこまで思って、ん? と気付いた。気付いてしまった。
私が知る方程式を知っているのは、イミテーションズだけではない。そう、朱堂さん本人と、目の前の透子さんを代表とするらしいジャスティスメイカーなる組織も……と、そこまで思って、まさか、と透子さんを見た。
彼女はニヤリと笑った。正義の味方の司令塔とは思えない、あくどい笑い方である。
「あたしゃ口が軽くてねぇ。年も年だし、うっかり、そううっかりと、みどり子ちゃんの情報を、困った奴らにこう、そりゃもうこう、うっかりうっかりぽろぽろりと、もらしちゃうかもしれなくてね」
「……!」
お、脅してきやがりましたよこの人⁉ どう考えてもそれ脅しですよね⁉ ジャスオダに加入しなかったらお前の身の安全は保障しねぇぞって言ってますよね⁉
正義の味方の司令官が真っ向から一般ピーポー(一応)のことを脅しにかかってるんですけど、なにこれこんなのアリなの⁉
顔を真っ青にして唖然と固まる私の様子に、それでも流石に透子さんは悪いと思ってくれたらしい。彼女は困ったように苦笑して、「ごめんねぇ」と続ける。
「あんたを巻き込んじまうのはあたしとしちゃ本意ではないんだけど、ねぇ。ウチのレッド……
「ぼ、暴走?」
「そう、暴走」
透子さんは深く頷いた。暴走とはこれまた不穏な響きである。
なに、まだなんかあるのあの人。基本的にレッドの時はいつも暴走してるけど、朱堂さんの時はまだマシだと思ってたのに、ここにきて朱堂さんも暴走しちゃうの?
「深赤坊のことだ。みどり子ちゃんが自分の正体を知っているとなったら、今後、間違いなくみどり子ちゃんのことを気にかける。あの子も自分の立場の危険性を理解してるからねぇ。となると、気にかける、なんてかわいいもんじゃないだろうよ。たぶん、じゃなくて確実に、みどり子ちゃんのことを、なんとしてでも守ろうとするに決まってる。あの子はそういう子さね」
「つ、つまり?」
「深赤坊に四六時中つきまとわれることになるね」
「‼」
なにその新しい地獄。「イケメンに守られて嬉しい♡」なんて喜ぶ女じゃないぞ私は。そういうのは間に合っているので結構である。心の底から遠慮したい。
私の顔色が青から白に変化するのを、本当に気の毒そうに見つめてきた透子さんは、おもむろにデスクの引き出しから、大きな電卓を取り出した。ぽちぽちぽち、と彼女はそのボタンをはじき、そしてちょいちょい、と私を手招く。
逆らえる雰囲気じゃなくて、いったんキャリーケースを足元に下ろしてから、手ぶらの状態で恐る恐る近寄る。透子さんは、その電卓を持ち上げて私に示した。
「ちなみにジャスティスオーダーズとしての給金はこんなもん」
「……」
「休暇は職種上出せないが、呼び出しがない限りは基本的に自由」
「…………」
「もちろん労災アリ。どんな怪我を負ったとしても、ウチのスタッフが最高の治療を提供」
「………………」
「夏と冬にボーナスも支給。ちなみにそっちは……まあこんなもんだね」
「……………………」
「働きに応じて基本給アップも応相談」
「…………………………」
「みどり子ちゃんにあたしは今アパートを貸してるけど、泥棒に入られて扉も壊されちまったし、あたしが持ってるもっと条件のいいペット可物件を、無料貸与……」
「つつしんでよろしくお願いいたしします‼」
透子さんに皆まで言わせず、電卓をちらつかせる彼女のその手を両手でがしりと掴んで叫ぶ。その瞬間、透子さんは先ほどよりももっとあくどい笑顔になった。
「言ったね?」
「アッつい‼ すみませんナシで‼ 考えさせてくださ……」
しまった、あまりの好条件好待遇を前に理性が飛んだ。だ、だって、こんなにも好条件出してもらえたら、みたらしとしらたまにもっといい生活がさせてあげられるから……!
今夜起こった事件は、私がもっとちゃんとした家に住んでいたら起こらなかったであろう事件だ。せめてオートロックくらいついていれば、みたらしもしらたまもさらわれることはなかったかもしれない。私は二匹の家族として、二匹の安全を確保する義務と責任がある。
そう、だからつい……とは、思えども、流石にここでジャスオダ加入はない。いくらなんでもない。だから私はカオジュラのレディ・エスメラルダなんですってば‼
そう内心で叫ぼうとも実際に口に出せるはずもなく、とりあえずこの件は持ち帰らせていただいて、後日きちんとしたお断りを……と思ったその時、透子さんが、持っていた電卓の一番下にある、緑に点滅するボタンをぽちっと押した。
――つつしんでよろしくお願いいたしします‼
次の瞬間響き渡るのは、とっても元気のよろしい私の声である。
凍り付く私を前に、透子さんはにやりと笑った。
「言質は取ったよ」
「い、いやあの……」
「そろそろジャスティスオーダーズも人員不足を感じていたからねぇ。みどり子ちゃんみたいないい子が新しいメンバーだなんて、あたしも嬉しいよ」
「と、とうこさ……」
「ん?」
なんだい? とにっこり笑顔で問い返され、私はあえなく撃沈した。
無理。勝てない。これが人生経験の差だということだろうか。それともただ単に私が馬鹿なだけか。たぶんではなく間違いなく確実に両方だ。あえて比重を言うならば後者がでかいということだろう。
ああああ私の馬鹿。目先の餌に食い付いたせいでとんでもないものを失った。しろくんになんて説明しよう。怒られること間違いなし。もしかしたら怒られるを通り越して呆れられるかもしれないけど、どっちにしろこの案件はヤバい。
レディ・エスメラルダがジャスオダ加入? どんな冗談だ。馬鹿馬鹿しすぎて新聞の三面記事にも載せてもらえない。
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