第3章③

 そうして気付けば私の膝へと戻ってきていた三毛猫と白猫をそれぞれ撫でると、その手をがしりと掴み上げられた。え、と思う間もなく、ぎゅっと朱堂さんが自らの両手で私の手を包み込んでくる。

 不快ではないけれど普通にびっくりしている私に、朱堂さんは本当に嬉しそうに、安堵をまじえて深く深く頭を下げてきた。

 

「ありがとう。本当に、ありがとう」

「はあ……」

 

 オーバーな反応だけれど、それほどこの二匹のことが心配だったのだというのならば納得せざるを得ない。でもとりあえずこの手を放してくれないかな、という気持ちで手を引くと、朱堂さんは「ハッ‼‼‼‼‼」とびっくりするくらいに大きく息を呑み、バッ‼‼‼‼‼ ととんでもない勢いで私の手を開放した。

 

「すまない! つい、嬉しくて、その、申し訳ない……!」

「はあ、まあ構いませんけど」

「いや構うんだ。俺はいつもすぐに思ったままの行動をしてしまいがちで……このあいだも、とんでもないことを……」

「はあ……?」

 

 先ほどまでの輝かしさから打って変わって、朱堂さんの凛々しいかんばせに影が差し、まとう雰囲気に暗雲が立ち込め始めた。

 えっと、なに? 「どうしましたか?」って聞くべき?

 めんどくさそうな臭いがめちゃくちゃするからスルーしたいんだけどだめ?

 

「俺にはその、好きな……そう、惚れた、女性がいて」

 

 アッだめだもう始まってる。しかも惚れた女性って、これアレか、恋愛相談ってことではなかろうか。うそでしょ私そういうの向いてないんだけど。

 自慢じゃないけど初恋らしい初恋すら未経験だぞ私は! なーんていう切実な私の心叫びをさておいて、朱堂さんは顔を赤らめながら、苦しげに、切なげに、深く溜息を吐いた。

 私の膝から彼の肩に移動した三毛猫がなぁ~んと大きなあくびをした。白猫は私の膝の上で丸くなる。無駄にのどかな光景である。

 

「好きな女性というと、前回お会いした時に話に出た、朱堂さんが無礼を働いてしまったとかいう方ですか?」

「…………ああ。あろうことか俺は、彼女に恋に落ちてしまったみたいなんだ。そんなはずはないと思い込もうとしても、どうしても彼女が忘れられなくて」

 

 は〰〰〰〰そりゃまたお熱いことで。恋っていいですねぇ私には関係ないですけど一切関係ないですけど。

 膝の上に残ってくれている白猫の背を撫でつつ「いい天気だな〰〰」と遠い目をしている私に構わず、朱堂さんはやはり苦しげに、そしてこれまた切なげに続ける。

 

「初めて彼女を意識したのは、彼女の泣き顔だったんだ。いつも強気な女性だったから、そんな顔もするのかと意外で」

「はあ」

「笑顔だったら、どんな顔になるのかな、と、気付けば考えるようになって」

「はあ」

「柳さんは言っていただろう、泣かせてしまった女性には責任を取るべきだと」

「あ――――……」

 

 そういやそんなことも言ったな。めちゃくちゃ適当に言ったな。

 まさかあのアドバイスをそのまま受け取ったのかこの人。

 

「だからプロポーズをしたんだが」

 

 うそでしょマジか。マジで責任を取ろうとしたのか。しかも人生を懸けたレベルの責任の取り方ではないか。

 うわ、かわいそう。朱堂さんじゃなくてその責任を取ると言われた側の女性がかわいそう。

 泣かしてきた相手にプロポーズされても困るだけな気がするのは私だけではないに違いない。しまった、適当にアドバイスするべきではなかったかもしれない。申し訳ない、見知らぬ泣かされた女の人!

 

「……ええと、それでプロポーズの結果は?」

「断られたから今も続けている。連敗記録更新中だ」

「うわ」

 

 こっわ。おっと、思わず本音が出てしまった。

 いくら朱堂さんがイケメンだと言っても、プロポーズをいきなりされても困るだろうし、断っても諦めてくれないのは普通に怖いだろう。

 うわー気の毒。かわいそう。他人事だけど。

 そう、他人事なのだけれど、朱堂さんのこの行動の原因の一端が私にもあることは確実なので、ここはひとつ、もう一度アドバイスをさせていただきたい。

 

「朱堂さん、押して押して押してまくっても、女性は逃げるだけですよ。たまには引いてみては?」

「……それは、桃香ももか……じゃなくて、同僚の女性にも、同じように言われた。いくらなんでもやりすぎだと。立場をわきまえろと。あと向こうの女性にそろそろ本気で嫌われることになるぞ、とも……」

「あ――――……」

 

 もうこのアドバイスは言われた後でしたかそうですか。朱堂さんの同僚の女性はどうやらとても冷静らしい。

 いや待って、そうやって冷静かつ的確にしっかり止められてるのに、まだ押してんの朱堂さんは⁉

 冗談でしょう⁉ という気持ちで彼を見遣ると、気付けば両肩に三毛猫と白猫を乗せていた朱堂さんは、その重みのある肩をがっくりと落として、しょんぼりと顔を両手で覆った。

 

「……な」

「な?」

「泣き顔が、かわいくて…………」

「は?」

「彼女の泣き顔がかわいくて、どうしても追い詰めてしまうんだ。彼女の涙ぐむ瞳に、俺だけが映っているのが嬉しくて仕方なくて……」

「…………………………」

 

 はたから見たら恋に苦悩するドラマチックなイケメンだが、言っていることは普通にただのいじめっこである。

 えっこの人めちゃくちゃ怖いこと言ってない? 気のせい? このさわやかで凛々しいイケメン面でこんなこと言うのこの人⁉

 私がひええええとおののいているのとは裏腹に、それでもなお朱堂さんの懺悔という名の性癖暴露は続く。

 

「俺のために泣いてくれる彼女があまりにもかわいくて、笑ってほしいはずなのに、どうしても、その」

「いやそれそのうち普通に嫌われますよ」

 

 そのうちも何も既に嫌われている可能性がストップ高な気がするが、そこは言わないでおこう。たぶん余計にめんどうくさくなるので。

 にゃうんにゃうんとじゃれ合う三毛猫と白猫を指先でくすぐりながら、「なんか曇ってきたな〰〰」とまた遠い目をしていると、隣の朱堂さんは「そうだよな……しかもあんなことを俺は……!」と頭を抱えて嘆き出した。イケメンがやると絵になる図なのがすごい。

 あんなことってなんだ。この上さらにこの人何かやらかしたのか。

 そう無言で先を促すと、朱堂さんは顔を真っ赤にして「……その」とやっと口火を切った。

 

「無理矢理、キス、してしまって」

「最低」

「うっ‼」

 

 胸を押さえて撃沈する朱堂さんだが、傷付いたのは朱堂さんではなくお相手の女性である。

 気の毒を通り越してめちゃくちゃかわいそう。朱堂さん、よく警察のお世話にならなかったな。よく訴えられなかったな。いや今はまだ、なだけで、その準備がもう進んでいるのか?

 他人事なので極めてどうでもいいしここまでくるともう本当に関わりたくない。

 けれど、今日から私の家族になる三毛猫と白猫が、私と朱堂さんの膝の上を代わる代わる行ったり来たりして、何かしらきゅるきゅるの瞳で訴えかけてくる。「とりあえず今は見捨てないでやって」と子猫に同情されているぞこの人。

 

「同僚にも、いくらなんでもあれはないとさんざん言われた。当たり前だ。合意も取らず、あんな、あんな……!」

 

 同僚の皆さんはまともなようで何よりだ。まあ言わせてもらうとすれば、この人がやらかす前にまず止めろよという話ではあるのだけれど、そこはそれ、色々事情があるのだろう。あるんだよね? じゃなきゃ説明できない話になるからここは流そう。

 とにもかくにも、この朱堂深赤という青年が、トンデモやらかしイケメンであることはよく解った。同情の余地はない。

 でも、う~ん、でも、なぁ。


「とりあえず、誠心誠意謝罪するところから始めるべきではないでしょうか?」


 謝罪も反省も猿でもできる芸当だとウチの社長は常々言うけれど、それでも謝罪と反省は無駄にはならないもののはずだ。朱堂さんだって、反省しているからこそこんなにも後悔しているわけで、ならばあとは、やはり誠心誠意の謝罪だろう。

 我ながら甘ちゃんなことを言っている自覚はあるが、この三毛猫ちゃんと白猫ちゃんが懐くような人間である朱堂さんは、おそらくきっとたぶんそれなりに悪い人間ではないはずで、だったらやはりまずは謝罪から始めるのが一番であるような気がするのだ。

 まあ赦してもらえるかどうかは別問題だけれども。そこまで責任取れないけれども。

 そんな感じでどうですか? という気持ちを込めて朱堂さんを見つめると、彼は大きく瞳を見開いてこちらを凝視していた。思ってもみなかった、と言わんばかりだ。

 いや悪いことをしたなら謝罪が基本でしょうに……って、ああそういえば、前回会った時、朱堂さんは自分が、職業上、軽率に謝るものではない立場にある、とかなんとか言っていたのだったか。

 ああ、そういうことならもう諦めた方がいいのでは……と、ようやく私の膝に安住の地を見つけたらしい三毛猫と白猫を撫でていると、バッと朱堂さんは勢いよく立ち上がった。

 突然すぎてびっくりする私と、さして驚くでもなくゴロゴロと喉を鳴らす二匹を見下ろし、朱堂さんは深く頷く。

 

「ありがとう、柳さん。前回といい今回といい、本当にあなたは、俺の恩人だ」

「え、いやそんな」

「この恩はいつか必ず……っ⁉」

「ん?」

 

 朱堂さんがどこぞの時代劇のような台詞を言おうとしたその時、絹を裂くかのような悲鳴が聞こえてきた。それは一つばかりではなく、大きなどよめきとなって、この人気のない公園まで聞こえてくる。

 これは大通りの方かな、とそちらを見遣ると、逃げ惑う人々がこちらへとやってくるところだった。

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